Fool fights a windmills (2/2)
三日後、来栖くんが退部した。というか、させられた。
彼は本当に馬場くんの顔面にボールを投げたらしい。
馬場くんは鼻血を出したが鼻の骨は無事だった。とは言え問題行動として顧問から二度と体育館を跨ぐな! として退部させられた。
当然だ。むしろ停学にならなかったのが不思議なくらいである。
「次は野球部を狙ってる。バットを気にくわない奴の頭に振り下ろすんだ」
来栖くんは一切反省していない。
「殺人じゃん」
「一緒に吹奏楽部入ろうよ!」
「ならチューバかな。あれが一番でかいだろ」
「誰がこんな危険人物入れるか! もう、茜も止めてよ……」
私は三人が廊下で話しているのを地面と平行になりながら聞いていた。
あの日から私は二日休んだ。休んだというか、気付いたら二日経っていたのだ。
起きている間も寝ている間も馬場くんのことを考え落ち込み続けた。
「……来栖から聞いたよ。馬場に八つ当たりされたんだってね。
気にするなってのは無理だけど……」
恵真が私の頭を撫でる。
一年半。高校生活の半分を馬場くんの想いと共に過ごしてきた。けれど私が好きだった馬場くんは幻想だった。漫画のキャラを好きなのと同じだ……。
途方もなく虚しい。恋が報われないだけだったら良かったのに色ボケの馬鹿と思われ嫌われていた。
「一年生の時……仲良いと思ってたから……嫌われてたなんて思わなくて」
「……私も信じられない。馬場ってそんな、ひどいことするようなタイプに見えないのに」
「人は見かけによらないもんだ」
見かけ通りの問題児が何か言っている。
「漫画みたいに好きな人から好かれるのって難しいもんだね……」
「そうかもな。俺にはわかんないけど」
「徹くん、今は、ね? 静かにしてようか。
茜ちゃんも起き上がろう! 地面ばっちいよ」
恵真と有栖ちゃんに支えられながら私は立ち上がる。
「……何か楽しい気分になる漫画教えて」
そう言うと三人は優しく微笑んだ。
「ちょうど良かった。面白い漫画買ったんだよ。
君に3センチの先生のアシさんのやつなんだけどテンポ良くて面白い」
「わあ、読む」
「シドニアの騎士って言ってね……」
「うん……? 読んでみるよ」
「なるたるってタイトルなんだけど……」
「古田、今はほら、楽しい気分になるやつ読みたいらしいから。やめておこうか」
最初から有栖ちゃんに紹介された漫画は読む気はないので大丈夫だ。
授業開始を告げるチャイムが鳴り、慌てて教室に向かう。
しかし何歩か踏み出した時、目の前が歪んだ。視界が狭まる。背中から脂汗が吹き出した。
「茜!?」
貧血だ。多分寝不足だったから。
大丈夫だよと言おうとしたが舌が回らない。有栖ちゃんが「保健室!」と叫ぶのが聞こえた。
来栖くんと恵真が私の体を持ち上げる。
そこで意識が途絶えた。
*
目が覚めると保健室のベッドにいた。来栖くんと恵真が運んでくれたのだろう。
ベッドの脇の窓から見ると外が薄暗くなっているのがわかった。かなりの時間寝ていたらしい。
制服のポケットからスマホを取り出す。
恵真から「先生には伝えたから大丈夫だよ。しばらく休んでな」とLINEが来ていた。
三人にはお礼を言わないといけない。
起き上がる。頭のくらくらした感じは無くなっていた。
カーテンを開ける。
「……起きた?」
馬場くんが丸椅子に座ってこちらを見ていた。なぜ彼が。
カーテンを閉じようとした手を立ち上がった彼に止められる。
「野島さんたち心配してたよ」
「そ、そうなんだ……」
馬場くんの手は冷たい。彼が私に向ける視線ほどではないが。
そこで頬の絆創膏に気がついた。
多分来栖くんが投げたボールによるものだろう。
「……ごめん」
「何が」
「顔……。来栖くんがボール投げたって聞いたよ」
「ああ、うん。びっくりした。ああいうのって言ったとしても本当にやらないよね」
私が来栖くんに仲直りを頼まなければ良かったのだ。もう一度「ごめん」と呟く。
「なんで畠山さんが謝るの」
「私が巻き込んじゃったから……」
私の手を馬場くんがギュッと握った。
「……畠山さん。こっち見て」
こわごわ彼の顔を見上げる。
馬場くんは苦しそうに顔を歪めていた。
「来栖は風間ってキャラにそんなに似てるかな」
来栖くんと風間くん? まるで結びつきそうにない。私は首を振る。
というかなんで馬場くんが風間くんの話をするのだろう。
「そうだよね……。
畠山さんが好きなのはこのキャラじゃないかって思ってたんだけど違ったみたい」
彼はすっと手を離した。
だが今度は私の肩を掴む。
「ごめんね、もうどうなってもいいや」
馬場くんの話が少しも理解できない。なんのことか聞こうとした唇が塞がれた。
柔らかい感触がする。目の前には馬場くんの顔面がある。
キスされている……。
驚きと戸惑いが頭の中を支配した。なんでキス?
離れようともがく体を馬場くんはあっさり抑えてしまった。ベッドに押し倒される。
思わぬ重みが苦しくて咄嗟に彼の唇を噛んだ。そこまで強くしたつもりはなかったが口の中に鉄の味が広がる。
「なに、するの……!」
解放された唇で馬場くんを非難する。体がすくんで動けない。
彼は唇の血を拭いながらベッドの周りのカーテンを閉めた。
「……なんだと思う。少女漫画にはこういうシーン無い?」
「なに」
「物語だとこういうとき都合よく助けが来るよね。来栖は来てくれるかな」
ネクタイを馬場くんが緩める。なんで? 彼が私に覆いかぶさってくる。
「……本当にわからない? 今、貞操の危機ってやつが訪れてるんだけど」
テイソウってなんだっけ。学校で習った?
頭がグルグルする。貧血による物じゃない、混乱しているのだ。
馬場くんは呆れたように笑うと私のネクタイを解いた。シャツのボタンが外される。
貞操だ。今私の身にとんでもないことが起こっている。
「や、やだ! やめて!」
「来栖とはこういうことした?」
「するわけないよ!?」
なんとか逃れようと馬場くんの顔に平手打ちをした。乾いた音が保健室に響く。
馬場くんの動きが止まる。
私の頬には自然と涙が溢れていた。悲しみからじゃない。怒りからだ。
「なんで……!? なんでこんなことするの!! 私のことが嫌いだからってこんなことしなくてもいいじゃない……!」
馬場くんの傷ついた唇は嘲笑うように片方だけ吊り上がる。この後に及んでも私を馬鹿にしているのかと悲しくなる。
「友達だと思ってた……。私の話、笑わないで聞いてくれて、嬉しかったのに、馬場くんは馬鹿だと思って。私のこと嫌ってた。
嫌いだったなら関わらないでくれれば良かったのに。どうしてそうしてくれなかったの」
私の震える声で訴えた言葉に馬場くんは眉を下げた。
「友達だと思ってくれてたんだ。嬉しい。
でも、僕は友達じゃ嫌だった」
「……なんなら良かったの」
彼は小さく息を吐いた。視線は遠く、どこかを寂しげに見ている。
「好きになって欲しかった」
思考が止まる。言っている意味がわからない。
「僕のこと好きじゃないんだろうなってわかってたけど、諦められなかった。
だから畠山さんが好きって言ってた人みたいになれるように努力して、好きって言ってた漫画読んで、振り向いてもらいたかった。
……けど、全然ダメだった」
「嘘だ……」
「何が?」
「私のこと好きならどうして、だって、いつも怒って」
「……僕じゃなくて来栖を選んだから嫌だった」
また来栖くんだ。どうしてここで彼の名前が出るのだ。
「まさか来栖くんと私が付き合ってるとでも思ってるの?」
「……バスケの練習試合で来栖の応援してたし、スマホのステッカーだって……」
「練習試合は有栖ちゃんの付き添いだよ。
君に3センチだって有栖ちゃんが来栖くんに教えたんだよ。私はそれで、話すようになっただけ……」
馬場くんのぼんやりした視線が徐々に定まっていく。そしてそっか、と呟く。
「古田 有栖……A.Fだと思ったけど、A.Hでもいいのか」
「え?」
「T.Kのイニシャルはもちろん来栖 徹で、A.Hはずっと、畠山さんだと思ってた。
畠山 茜でA.Hだ」
……そうか。来栖くんのスマホに挟んであるあのステッカー。
T.Kと書かれたハートとA.Hと書かれたハートが並んでいるデザインだ。
馬場くんはあのステッカーを見て私と来栖くんが恋仲だと思った……。
「ひどい勘違いしてたみたいだ」
不意に馬場くんがベッドから降りる。私は急いでボタンを留めネクタイを結び直す。とにかくここを出よう。頭が働かない。
だが彼はすぐにこちらに戻ってきた。「はい」と何かを渡される。
今度はなんだと身構えるが差し出されたのはゼロコーラだった。
「色ボケは僕だった。ごめんね。
……本当、馬鹿みたいだ」
彼の浮かべる笑みは自嘲の笑みだと気がついた。
「馬場くん……」
ペットボトルを押し付けられそれを受け取る。
「安心して、もう関わらないよ。
……じゃあね」
保健室の扉が閉まる。
呆然として、ただ渡されたゼロコーラを握っていた。
温いゼロコーラだ。私が倒れてからずっと待っていたのだろうか……。
しばらくすると心配そうな顔をした恵真が保健室に入ってきた。様子を見にきてくれたようだ。
「……茜、大丈夫?」
「うん。もう良くなったよ」
「良かった。
さっきそこで馬場とすれ違ったけど何かあった?」
「ど、どうして?」
「……馬場が泣いてたから……」
私はわからないと首を振る。
彼は本当に馬鹿だ。
泣くくらいなら好きと言ってくれれば良かったのに。
*
馬鹿なことをしたし、ひどく恥ずかしかった。
好きという一言が言えないくせに襲うことはできるのか。
最低だ。僕は頬に流れた涙を乱暴に拭う。来栖につけられた傷が痛んだ。
誰もいない教室の窓から外の様子を伺う。部活はもう終わった頃だろうか。
僕にはボールを輪っかに入れるだけのあの運動がどうしてそんなに面白いのか理解できない。
だから小学校の時さっさとやめた。
でも、畠山さんはスポーツマンシップに溢れた男が好きなようだから、せめて経験のあるバスケをやってみようと入部してみた。
部員たちは皆髪を染めパーソナルスペースが近く、はっきり言って合わないタイプの人たちしかいなかった。
しかし朱に交われば赤くなるじゃないが、髪を茶色にしてパーソナルスペースを狭めてなんとか打ち解けた。打ち解けた、というか、気に入られたの方が正しいかもしれない。
付き合ってみるとバスケ部の人たちは合わないけれど悪い人たちでもなかった。来栖以外は。
普段はただの阿保なくせに喧嘩を売られるとすぐに買い顔面にボールをぶつけてくるという凶悪な性格の持ち主だったのだ。まさか僕も実際にやられるとは思わなかったが。
しかしなぜか来栖のストッパーとして僕は買われ試合に出る数も増やされてしまう。
さらにバスケ部を応援をしたがる女も増えてしまい、彼女らの誘導係も僕がやらされることになる。一度、ボールを輪っかに入れるところなんか見てて楽しいの? と聞いたら悲しそうな顔をされてしまった。傷つけたようだ。
人付き合いは得意じゃない。面倒だし、一人でいる方が楽しい。
ただ畠山さんだけは別だった。
彼女がいると一人でいる時よりも楽しくて、でも緊張した。
頭の中が畠山さんでいっぱいになってあんなこと話したい、こんな話したらなんて言うのかな、とかいろいろ考えて放課後を待つのに、結局話したい言葉は出てこない。
それでも畠山さんはニコニコしていて、いろいろな話をしてくれた。結構くだらない内容だと思う。でもそれが面白かったし心地よかった。
彼女に自分のことを好きになって欲しかった。
無理矢理キスして押し倒して、怖がらせた。
好きになってもらえないなら嫌われたかった。
キスしている間、来栖なんかに彼女の唇が奪われたと思うと悔しくてたまらなかった。……それは僕の勘違いだったのだが。
彼女はこれから誰のことを好きになるのだろう。その人とキスはするだろうか。
その時僕のことを思い出すだろう。誰かとキスするたび僕のことを少しでも思い出せばいい。
そう考えると仄暗い喜びが胸の内に広がる。最低なことをしたと反省しつつもこうやって喜ぶのだから我ながら救いようがない。
僕は荷物をまとめる。
早く帰ろう。
バスケ部に行くことはもう無いだろう。畠山さんに振り向いて欲しくて入っただけの部活だ。
スタメンになってしまったがこの座を狙っている人は多い。僕よりやりたい人がやるべきだ。
教室から出ようと扉に手をかけるが、僕より早く誰かが扉を開けた。
「ば、馬場くん!」
「畠山さん……」
息を切らし彼女は教室に入ってくる。うちのクラスになんの用だろう。
「……倒れたんだからあんまり走ったりしないほうがいいよ。
じゃあね」
赤い目を見られたくないのと、関わり合いになるのを避けるためすぐに教室から出ようとした。
「ま、待って」
柔らかい手が僕を掴む。
「どうかしたの」
「……文句、言ってやろうと思って」
彼女は大きく息を吐いた。そして意を決したように口を開く。
「本当に馬鹿だと思う。私のことが好きって言うならそれらしいところ見せてよ。全然わかんない。
いきなり髪染めて、付き合う人も変わって、怖かった。女の子からモテモテになるし。
話しかける隙無いのに、そっちから話しかけてきたと思ったらイライラして」
言い返せるところが1つもないのが悲しい。その通りだ。僕は馬鹿だ。
畠山さんの手は震えている。好きな人をこんなに怖がらせてしまった。
僕は荷物を床に置いた。
「煮るなり焼くなり好きにしていいよ」
「……じゃあ殴らせて」
「わかった」
彼女が殴りやすいように少し屈む。
予告されてから殴られるのって、いきなり殴られるのと違う恐怖がある。
吹奏楽部は筋トレするらしいしいい拳をしているのだろう。僕は覚悟を決め目を瞑った。
「……好きって言っておけば良かった」
「え?」
暖かい手が僕の顔を包む。
彼女の顔が近づく。洗剤と汗の混ざった匂いがふんわり漂った。
唇が離れていく。
僕は驚きで動けない。
「私が好きなのは風間くんでも、活発で明るくて正義感が強い人でも、当然来栖くんでもない。
髪の毛染めてない、私の話聞いてにこにこ笑って、一緒にお菓子食べてくれる人が好き」
……そうか、彼女もずっと僕のことが……。
なんで気付かなかったんだろう。
畠山さんの背中に手を回す。彼女もそれに倣った。
「……本当に、ごめん」
「一生許さない。ずっと側にいて、文句言ってやる」
「ん……じゃあ許されないでいいか……」
そう呟くと畠山さんが小さく笑った。
彼女の笑顔を久しぶりに見た気がする。
ずっと見たかった。
*
「……そんなわけで付き合うことになりました!」
私は艶々とした顔で恵真と有栖ちゃんに報告した。
二人は呆然としたのち「全然わからん」と言った。
「えっと、つまり両想いだったってこと?」
「そう!」
「八つ当たりは?」
「嫉妬してたみたい」
「やべえやつじゃん……」
恵真の顔が引きつる。反対に有栖ちゃんは興奮したように目を輝かせた。
「いいよいいよ! やべえ奴との恋話聞きたい!」
「待って、馬場くんは別にやばくないよ。
私を振り向かせるために好きでもない部活に入ってイメチェンしたんだから、努力型のアグレッシブな変態ってところかなあ」
「それはそれでどうなの」
「みんなにはご迷惑をおかけしました……」
粛々とお辞儀する。
恵真は「謝るべきは馬場だろ、アイツ呼んでこい!」と親父のようなことを言い出していた。
「あ、今度馬場くん入れてダブルデートしてもいいね!」
「ボールぶつけた側とぶつけられた側だよ!? 穏やかなデートにならないでしょ」
「あたぼうよ。私、徹くんが怒ってるところ見るの大好きなんだ」
「ふむ。ここにもアグレッシブな変態が」
どうしようもない。私と恵真のため息が重なる。
「なにため息吐いてるんだ?」
私たち三人の頭上に影が落ちる。
「あんたの彼女が変態だって話だよ」
「ああ……そこが可愛いだろ?」
「いや、わかんない。
それで先生の話ってなんだったの」
来栖くんはんーと唸り声を上げる。成績がヤバイとか、テストの点数がまずいとか、大方そんなところだろう。
しかし彼の口から飛び出たのは思ってもみない言葉だった。
「バスケ部に戻って欲しいってさ」
「え!? なんで!?」
「馬場がやめるって。スタメン二人抜けるのがきついのかもな。
あとアイツやめるとき、ボールの件は自分が悪いから許してあげてくれって言ったとかなんとか。
殊勝な奴だ」
ハン、と来栖くんが鼻で笑う。
馬場くんは自分が煽りすぎたせいだと反省していたらしい。何があろうと手を出したほうが負けだと思うのだが……。
「馬場くんバスケ部辞めるの!?」
「うん……汗かくの好きじゃないんだって」
「二度と運動部に入らないで欲しいね」
私のスマホが鳴る。馬場くんからだ。
お昼一緒に食べる約束をしていたのだ。
「私そろそろ行くね」
「おう、馬場に伝えておけよ。
色ボケの馬鹿野郎って」
「言わないよ」
そうしてふと気づく。なんで私が馬場くんとこれから会うこと知っているんだろう。
私の疑問に気付いたようで来栖くんがニンマリ笑う。
「放課後でも残ってる人って多いんですよね〜」
「え」
「教室でイチャつくならドア閉めておこうね!」
自分の耳まで熱なっていくのを感じる。見られていたのか!
「いや、あれは、ほら……若さゆえの……」
「大丈夫。古田と野島にしか言わないから」
「うんうん。私たちも根掘り葉掘り聞いた後は少数の友人にしか言わないよ」
「誰にも言わないでよ!」
私は三人を睨むが、ニヤニヤとした笑みが返ってくるだけだった。