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Fool fights a windmills (1/2)

「……で、私はその嫌な人に絡まれちゃうんだけど、そこですかさず男の子が庇ってくれる……そういうの憧れちゃうなあ!」

 

私は自分で語った妄想にため息を吐いた。

 

「ふうん? そういう人が好きなんだ」

 

馬場くんはニコニコしながらこっそり持ち込んだポッキーを食べている。

掃除が終わった後の教室でお菓子を食べるのは禁止というクラスの決まりがあるのだが彼は見つからないようにね、といつも分けてくれる。

隣の席の馬場 高広くんは穏やかで落ち着いていて、私のくだらない恋愛話も微笑みを絶やさずに聞いてくれる優しい人だ。

そういう彼だからついくだらない話をしてしまうとも言える。

 

「そういう人っていうか……状況?」

 

「そうなの?

でも畠山さんが話す人っていつも似たような感じだよね。

活発で明るくて正義感が強い人」

 

私はポッキーに伸ばしていた手を引っ込めた。

それは単に、私の大好きな漫画「君に届くまで3センチメートル」のヒーロー風間くんが好きだからだ。

風間くんは明るく性格が良く、引っ込み思案な主人公の世界を変えてくれるというキャラで、そんな人いるわけがないとわかっているが憧れている。

……だが高校生にもなって少女漫画のヒーローに憧れていると話すのは、いくら馬場くんが優しくても抵抗があった。

 

「ま、まあ。確かにそういう人嫌いじゃないかなあ」

 

「……だよね」

 

馬場くんはまたポッキーを口に運んだ。チラリと彼の長く美しい指を盗み見る。

そうは言ったが現実で好きなのは馬場くんだ。いくらクラスの中心にいてみんなを引っ張る風間くんだろうと紙の上にしかいない彼が私の腕を引っ張ることはできないし、そもそも風間くんの運命の相手は「君に届くまで3センチメートル」の主人公真美子ちゃんなのだ。

馬場くんはこの世界にいて、私の隣にいて、そして私の話を聞いてくれる。放課後こっそりお菓子を食べながらこうして駄弁っている時間は至福の時だ。

お互いの部活や委員会が始まる前の30分にも満たない時間だけどこの30分があるから学校に行きたいと思える。

 

「……馬場くんは? どんな子が好き?」

 

彼は手を止めて驚いたように私を見つめる。そんなに驚くようなことを言ったつもりはなかったのだが……。

 

「どう、かな。わかんない」

 

「わかんない?」

 

「うん……。今まで女の子ってよくわかんないことで怒るし、楽しくないことで笑うし、意味わかんなくて話す時緊張してたんだけど。

でもなんか、そういう人だけじゃないみたいだから」

 

そういうと彼は口を噤んでしまった。

 

「もしかして好きな子いるの……」

 

私の声は震えていたと思う。馬場くんは困ったように私を見た後「その人は僕のこと好きじゃないみたい」と呟いた。

そうなんだ。私も、相手は私のこと好きじゃないみたい。

恥ずかしくて何も言えなかった。心のどこかで馬場くんは私のことが好きなんじゃないかと思いあがっていた。

普通好きでもない子と毎日放課後残らないし、私の好きなお菓子をこっそり持ってきてはくれないと思った。

でもそんなことは無かったらしい。

二人黙って、日直が跡一つ残さず綺麗に拭いた黒板を見つめていた。

 

今日は3月4日。もうすぐ一年生が終わる。

クラス替えがそこまで迫っていた。

 

*

 

私は2年3組に、馬場くんは2年1組になった。

春休みの間中馬場くんと同じクラスになれますようにと必死に祈ったが神にも先生たちにも通じなかった。

 

春休みの間に彼にどんな心境があったのか。それはわからないが、保健室の匂いが好きだからと言って部活にも入らず頑張っていた保険医委員会はやめ、突如としてバスケ部に入っていた。

運動が好きだなんて知らなかった。バスケをやっていたことも知らなかった。小学生の頃やっていたとかで、結構うまいらしい。

技術力を先輩に買われ2年からのスタートだというのにスタメン入りし、梅雨を迎える頃に彼は女子から歓声を送られるほど目立つ存在となっていた。

 

「茜……またバスケ部見てるの?」

 

友人の恵真が哀れむようにこちらを見つめている。いつまでも惨めったらしく馬場くんを想っている私が痛々しく思えるのだろう。

 

「み、見てないよ。行こう」

 

恵真の手を取るのと体育館で歓声が上がるのは同時だった。

馬場くんがシュートを決めたらしい。

 

「……そんな泣きそうな顔しなくても」

 

「してないって!

それより早く行かないと後輩に怒られちゃう! 今日パート練でしょ」

 

吹奏楽部は新入部員が増えて、今までのユルっとした雰囲気から文化系と体育会系の間の雰囲気に成り下がってしまった。

面倒だけど仕方ない。やる気のある下級生のキラキラした瞳を曇らせるのは上級生としてしたくないことだ。

恵真の腕を引く。彼女はハイハイ、と気怠げに返事をした。

 

私の心のように薄暗い空が窓から見える。時計の針は6の上に重なっていた。

今日の練習も大変だった。

「なんでメモとらないんですか」をまさか一年生に言われるとは。あれは落ち込むよね、と恵真と愚痴りながら教室の鍵を閉める。

本来は三年生の仕事だが、三年生は二年生以上にやる気がない。途中で用事があると言って帰ってしまう先輩たちがほとんどなのだ。

そのため大抵副部長を押し付けられた恵真が教室の鍵閉めを行う。

 

「職員室行ってくるわ。ちょっと荷物見てて」

 

「え? 私も行くよ」

 

「荷物重いから持ち歩きたくないんだよ。すぐだし、待ってて」

 

そういえば昼休みに図書室でAKIRAという分厚い漫画を4冊まとめて借りていた。音楽室から職員室は玄関の反対側だしわざわざ持って行きたくないと言うのはわかるが、そんなに重いなら一冊ずつ借りれば良いのにと思わないでもない。

スマホを弄りながら恵真を待っていると賑やかな声が聞こえてきた。顔を上げると、今日の部活が終わったらしいバスケ部が体育館から出て更衣室に向かっていくところだった。

とっさに目が馬場くんを探す。彼は周りに倣ったのか髪をうっすら茶色にしたので、紛れてしまってすぐには見つけられない。

それでも馬場くんを見つけた。彼もまたこちらを見ていた。

 

「あ……」

 

馬場くんが口を開く。私に何か言おうとしてる?

 

「吹奏楽部じゃん! 今終わり? もっと練習しろよ」

 

「ハバツ争いやべえんでしょ。俺も混ぜて。ぜってえ部長になってみせる」

 

「なあ、トロンボーンで音外れてるのいない?」

 

馬場くんが言葉を発する前にバスケ部の連中が口々に何か言ってきた。

ツッコミが追いつかない。私は「トロンボーンは私ですけどねえ」とブツブツ言いながらその場を離れることにする。

 

彼らは一瞬で私に興味をなくしたようですぐに「腹減った」「お前ユニフォーム臭い」などと話し始めた。

馬場くんの後ろ姿を見る。彼はもうこちらを見ていなかった。

 

クラス替えをしてから馬場くんと話す機会が無くなってしまった。

当然だ。私たちは名前順で席が隣になっただけで、放課後少し話すだけで、彼にとっては単なるクラスメイトにすぎなかったのだから。

それでも5月あたりまではなんとか馬場くんと話せないか機会を伺った。だが今の彼は放課後話していた彼とは別人に見えた。

髪も染め、バスケなんて意味不明なスポーツに興じ、友達も増え、女の子ともにこやかに話していて……。

スクールカーストという言葉は嫌いだし生徒間に上下関係なんてないと思っているけど、でも柵はあるとも思う。

私たちは同じ柵にいて同じ草を食べていたはずだったのだが、馬場くんは違う柵で違う草を食べることにしたらしい。

 

私がこの柵を飛び越えて彼と同じ柵の中に入ることはない。飛び越え方なんて知らない。

 

*

 

バスケ部の人にトロンボーンの音が外れていると言われたのは地味に悲しかった。

一年生からも白い目で見られていると思っていたのだ。

このままじゃまずいと思い、開始時間より早めに来て練習することにした。

私が気持ちよくメガロバニアを練習していると音楽室の扉が勢いよく開かれた。

音に驚いて顔を向けるとそこにいたのは同じクラスの来栖 徹くんだった。

 

「あら、どうも。聞き惚れちゃったかなあ」

 

彼はバスケ部のユニフォームに身を包み、睨むように私を見ている。

金色の髪は校則違反だが一年生の頃から改める気はないようで、今更彼に注意する先生はいない。

 

「……古田は」

 

クラリネット担当・古田 有栖ちゃんのことか。そういえば二人は先月から付き合い始めたはず。

本人たちは隠してるらしいけど、と言いながら恵真は教えてくれた。だが教えてもらわずとも私は知っていた。

 

「おりませぬが」

 

「まだ来てないのか?」

 

「うん……まだ始まる時間じゃないし。

どうかしたの」

 

「部活が始まる前にアイツの顔見たかっただけですけど?」

 

これで隠してるつもりなんだから恐ろしい。アホなんだろうか。

 

「そっか。スマホに入ってる有栖ちゃんの写真でも見て心を落ち着けると良いよ」

 

「なるほど」

 

来栖くんは感心したように呟くとスマホを取り出し熱心に見つめ出した。アホなんだなあ。

扉閉めるからどいてねと言おうとして彼のスマホケースに挟まれたステッカーに引っ掛かった。

T.KとA.Hのお互いのイニシャルとハートが入った愛をまるで隠す気のないステッカーにではない。その横に挟まれたステッカーのロゴに、だ。

 

「……それ、君に届くまで3センチメートルのロゴだよね」

 

来栖くんは返事をしなかった。代わりにスマホを床に落とした。

 

「わ。これ高級品だよ」

 

拾って渡そうとしたらひったくられる。

 

「勝手に触るな」

 

「拾ってあげたんだけどなあ」

 

「そうでした。どうもありがとう」

 

「いえ。

で、そのシールだけど……」

 

「な、なんのこと? 俺には透明なケースにしか見えないね」

 

「そんな無茶な」

 

彼は苦々しい顔で私を見下ろす。やがてため息と共に言葉が吐き出された。

 

「誰にも言うなよ」

 

「君に届くまで3センチメートル好きなこと隠してるの?」

 

頬を少し染めながら彼はうなずく。

 

「うーん。来栖くん、隠すっていうのはね、表に出さないことなんだよ。

有栖ちゃんとのこともだけど、好きだからってそんなスマホにでかでか挟むのやめなって……」

 

「こ、これはアイツが勝手に……! っていうか、なんで俺と古田のこと知ってるんだ」

 

アホさ具合についていけない。

 

「……私エスパーだから」

 

「そうなのか? 間抜けな面してると思ってたんだが……意外だな」

 

「意外なのはこっちもだよ。男の子でも少女漫画読むんだね」

 

「頼むから他の奴に言うなよ。言わないでください。お願いいたします。

その……古田が、面白いって言うから読んでみたら面白くて……」

 

さすが君に届くまで3センチメートル。性別を問わず愛される名作だ。

風間くんと真美子ちゃんの純真さに誰もが心を洗われ、二人を取り巻く友人たちの優しさに誰もが涙するのだ。

 

「良いよね……」

 

「良い……。

畠中も好きなのか?」

 

「畠山だけど。

うん……好きだよ」

 

「三巻のお弁当箱の……」

 

「ああ、グラタンが……」

 

「そう、グラタンの……」

 

私たちの間に詳細など不要だった。

「真美子ちゃんの癖字」といえば「日直の田中くん」と返ってき、「鳥山のリップクリーム」と聞かれれば「ジンギスカンキャラメル」と返した。

どのシーンがどうだったか言葉を尽して語らなくても、相手がどんなに心を揺さぶられたかわかっていたから。

 

「良い……」

 

しんみりと来栖くんが呟く。私も「良いよね」と返した。

 

*

 

その日以来私たちはすっかり仲良くなった。今では「来栖くん」「畠山」と正確に互いの名前を呼び合えるようになった仲だ。

どうやら有栖ちゃんは「君に届くまで3センチメートル」より「漂流兵器彼氏」の方が好きらしい。あれも名作だが読み進めるたびに主人公たちを地獄に突き落とすのでかわいそうで私は読めない。来栖くんも「寝取られはちょっと」と眉を下げていた。

 

「君に3センチの作者の前のやつ読んだか?」

 

「親指から神様のこと? 読んだよお。

武井くんがさ……」

 

「携帯ハンマーで叩き割るところ?」

 

「そこも良いけどキーボード分解して掃除するところの、あの表情が……」

 

「ああ……良いよな……」

 

こうやって話すのは五分くらいのことだ。有栖ちゃんも交えて話すこともあるが彼女は大抵「監禁しちゃえばいいのにね」と不幸な結末を提示し私たちを悲しませるのが常であった。

 

「監禁は……犯罪だよ」

 

「でも絶対面白い」

 

「かわいそう」

 

「絶望に染まった主人公の顔が見てえ……」

 

有栖ちゃんと私の間にはとてつもない溝を感じることが多々ある。

それでも三人漫画を持ち寄って交換会をするようにもなった。有栖ちゃんの漫画は展開があまりにも辛くて読めないことも多々ある。

 

「最近アホの来栖と仲良いよね」

 

「漫画の貸し借りしてるの。恵真も読む?」

 

「童夢?」

 

違うよ、少女漫画。と答えようとしたが来栖くんとの約束を思い出し「いや、よつばと!」と返す。

来栖くんが少女漫画を読んでいるのは内緒なのだった。

 

「よつばと? 渋いね」

 

「童夢のが渋くないかなあ!?

あ、ねえ、土曜日バスケ部練習試合なんだって。見に行かない?」

 

そう聞くと恵真は急にしたり顔になった。

 

「ははあ。茜も考えたね。

バスケ部の来栖と仲良くしておけば練習試合見に行けるもんね」

 

「そ、そんなつもりは、六割くらいしかなかったよ!」

 

「結構な割合。

良いよ、明後日ね。行こう」

 

未練たらたらな私に恵真は呆れていたようだったが、笑いはしなかった。

 

土曜日。体育館には我が校と相手校の保護者や生徒たちであふれていた。来るのが遅かった。これでは試合の様子がよく見えない。

馬場くんどころか保護者の後頭部しか見えないじゃないか……。

 

「あ、おーい。畠山、野島」

 

私を呼ぶ声がする。人だかりをかき分けて来たのは来栖くんだ。

 

「古田が場所とってあるから」

 

彼はコートの真前に陣取り双眼鏡を構える有栖ちゃんを指さした。あの距離で双眼鏡はいらないと教えるべきだろう。

 

「ありがとう。

それにしても凄い人だね」

 

「馬場目当てじゃないか?」

 

「え……」

 

「アイツ、愛想良いからモテるんだよ。結局男も愛敬ってことだ」

 

私は改めて周りを見渡す。確かに我が校は女生徒ばかりが応援に駆けつけているようだ。

心に重石がずんとのしかかった。

馬場くんの柵は強固なものになっていた。乗り越えることも壊すこともできそうにない。

 

「……茜……」

 

「あ、ごめん……。

来栖くんも頑張って」

 

「ん。馬場の声援に負けないくらいの声量で応援してくれると助かるのでお願いします」

 

「はい」

 

応援して欲しいなんて意外と可愛いこと言うじゃないか、と思ったがそれは試合が始まるとすぐにわかった。

馬場くんへの応援に混じって有栖ちゃんが来栖くんにラブコールを送りやがるのだ。

 

「徹くん! 世界一かっこいいよ! 腹チラして! 腹筋素敵!」

 

「やめな!!」

 

恵真が有栖ちゃんの口にタオルを突っ込む。

付き合ってることを隠す云々前にセクハラをするのはいかがなものか。私は有栖ちゃんのセクハラをごまかすように来栖くんを応援する。

 

「来栖くん頑張れ〜! ここで諦めたら試合終了だよ〜!」

 

彼はこちらを一切見なかった。無視することに決めたらしい。

代わりに馬場くんが私を見た。

ドキリとした。それは目が合ったトキメキによるものではない。瞳の冷たさによるものだ。

 

*

 

試合は我が校の圧勝だった。点数のほとんどを馬場くんが稼いでいたと言っても良い。

一年の頃は消毒液の匂いが好きだから保健委員楽しくて仕方ないんだと語っていたのに、ボールを投げて輪っかに入れる方が楽しくなってしまったらしい。

さらに彼にはその才能があった。

放課後二人で話していたことを思い出しながら寂しさを感じる。

 

試合が終わるとご飯でも食べようかと四人でサイゼリヤに向かった。

親指より人差し指の方が長いボッティチェッリの女神の足元を見ながらミラノ風ドリアを頼む。他の三人もそうだった。学生はお金が無いのだ。

 

「試合お疲れ様」

 

なけなしのお金でドリンクバーを付け、薄められたジュースで乾杯する。

 

「徹くんかっこよかった! 大活躍してたぜ!」

 

「そうかな……」

 

照れたように頭を掻く来栖くんに恵真が「ほとんど馬場が点数入れてたけどね!」とすかさず言う。

 

「ああ、でも今日は調子悪かったみたいだ」

 

「あれで!?」

 

「普段はシュートバンバン打つタイプじゃ無いんだよ。

それに今日はミス多かった。パス回さないし、ファール貰ってたし……イラついてたみたいだ。珍しい」

 

「徹くんに嫉妬した可能性が高いね」

 

「低いよ。

周りは馬場の応援しかしてないのにどうしてコレに嫉妬できる」

 

「応援うるさかったかな……」

 

先ほどのことを思い出しそう呟く。私の声が煩くて集中を切らしてしまった。だから睨まれた?

 

「いつも鬱陶しそうにしてるしそれはあるかも」

 

「あ、やっぱり嫌なんだ」

 

「そりゃ、先輩たちは面白がってる人がほとんどだけど快く思わない先輩だっている。

それに……別に運動好きじゃないみたいなんだよな」

 

「え? そうなの?」

 

「前、疲れることをわざわざする理由がわからないって言ってた。

アイツ変わってるよ」

 

来栖くんにだけは変わってると言われたくないだろう。

けれど、その言葉が本当だとするなら彼はなぜバスケ部に入ったのだろう……。

恵真も同じことを考えたらしく首を傾げている。

 

「なんでバスケやってるんだろ。モテたいとか?」

 

「あんまそんな感じしないけど」

 

「……馬場って彼女いるの?」

 

恵真の言葉には意を決した響きがあった。私のために聞いてくれているのだ。

私も縋るように来栖くんを見つめる。

だが彼はあっさり「知らない」と答える。

 

「なんだ」

 

「あ、でも、先輩に彼女作らないの? って聞かれた時、頑張ってはいますって答えてた。

……ん? つまりモテたくてバスケやってるのか?」

 

「最低だ。徹くんや私を見習って真面目にやって欲しいよ」

 

「へへ……」

 

「来栖はなんでバスケやってるの?」

 

「なんでもよかったんだけど、バスケのボールって硬いだろ? どさくさに紛れて嫌いなやつの顔面にぶつけてやろうと思ってな」

 

私はストローを噛みながら考える。

馬場くんはおそらく、好きな人に振り向いて欲しくてバスケを始めたのだ。

その好きな人は誰なんだろうか……もう、馬場くんのこと好きになった? いや、来栖くんが知らないだけでもう付き合ってる人がいるのかもしれない。

 

「……茜ちゃん? 大丈夫?」

 

「え、あ、ごめん。なに?」

 

「もしかして茜ちゃんって馬場くんのこと……」

 

有栖ちゃんは言葉を切った。私は首を振る。

 

「ち、違うよ! 私は、ほら……風間くんみたいな人が好きだから」

 

「え、誰それ」

 

恵真が怪訝な顔をする。

 

「漫画のキャラ」

 

「よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるね。いもしないし、理想化された人間じゃないか」

 

「風間くんは俺たちの心にいるんだよ!

それに風間くんは理想化されてない、隣の学校にはいそうなギリギリの現実感があるんだ。

二巻のしつけ糸のくだりがそうだけど」

 

来栖くんがバスケの試合では見せなかった熱量で熱く語り始めた。

有栖ちゃんはそうだよね、そうそうと相槌を打ち、恵真が死にそうな顔で時計を見つめている。

 

*

 

土曜日は結局日が暮れるまで来栖くんの話を聞かされることになった。二度とアイツとはご飯を食べないぞ。

硬く誓いながら体育館側の自販機でコカ・コーラ ゼロを買う。

黒いキャップを開けるとプシュッと小気味のいい音がした。これこれ! お父さんはビールを開けるときの音が好きらしいが、そんなものコーラを開けたときのプシュッには敵わないと思う。

炭酸の喉越しと人工的な後味。ゼロコーラは飲み物じゃないと恵真はいつも言うが私はゼロコーラのスッとした後味が大好きだ。

そんなことを考えていると後ろから声をかけられる。

 

「畠山さん」

 

そこにいたのは馬場くんだった。思わずコーラを吹き出しそうになる。

 

「ば、馬場くん!」

 

「部活中?」

 

「う、うん。喉渇いちゃって……」

 

彼はユニフォーム姿だった。額にはうっすら汗が浮かんでいる。

 

「馬場くんも部活中だったの?」

 

「そうだよ」

 

「そっか」

 

なんとなく気まずい。試合中睨まれた身としてはこれ以上ここにいていいかわからない。

それにイメチェンした彼とこうやって二人で話すのは初めてのことのように思える。

 

「……土曜日、来てたね」

 

練習試合のことだろう。私は足元を見ながらうなずく。

 

「たくさんシュート決めててすごかった、よ。

みんなから声援もらってたし……」

 

「畠山さんは俺の応援してくれなかったね」

 

馬場くんが自分のことを「俺」と言ったこともちょっと驚いたが、まさかそんなことを言われると思ってなかったので二重に驚く。

 

「ちょっと事情があって……」

 

「……最近、来栖と仲良いよね。試合に来たのも来栖を応援するため?」

 

「まあ、付き合いでねえ」

 

馬場くんが怖くて顔が上げられない。

言葉の端端にトゲがあった。私が怒らせたのだろうと思うのだが原因がわからない。

 

「もう、戻らないと怒られちゃうから……またね」

 

コーラのキャップを閉め逃げるように立ち去ろうとする。だが腕を強く掴まれた。

弾みでペットボトルが私の手から離れていく。キャップはちゃんと閉められていなかったのか黒褐色の液体がコンクリートに吸われていく。

 

「馬場くん……?」

 

恐る恐る彼の顔を見上げた。

馬場くんの顔は明らかに苛立ちで歪んでいる。

 

「……ごめん。買い直す」

 

「い、いいよ! 気にしないで」

 

これ以上馬場くんと関わらない方がいい気がする。手を振り払い、残り1/4ほどになったコーラを拾い走り出した。

馬場くんは今度は私の腕を掴まなかった。

 

*

 

「馬場くんって何かあったの?」

 

明くる日、いつものように有栖ちゃんとイチャつきに来た来栖くんに尋ねる。彼は不思議そうに首を傾げた。

 

「何かって?」

 

「なんか、怒ってるみたいだから」

 

「そうなの? 昨日はいつも通りだったけど」

 

じゃあ、私が何かしてしまったんだ。

好きな人に好かれるどころか怒らせるって……ますます落ち込む。

 

「喧嘩でもした?」

 

「わかんない……」

 

彼は困ったように眉を下げた。それから「謝っておけば?」となんとも微妙な助言をくれる。

 

「なんで怒らせたかわからないし……そもそも、そんな怒らせるほど話してない」

 

「じゃあ嫌われたんだよ」

 

「徹くん!? そういうのはオブラートに包んでだなあ……」

 

「オブラートって何」

 

「食べられる紙だよ」

 

「それに何を包めばいいんだ?」

 

「優しさ……?」

 

「いいよ、有栖ちゃん……。

やっぱりそうだよね……」

 

肩を落としながら音楽室へ戻る。

しかし、なかなか気持ちは切り替えられず、楽譜を床にぶちまけ、マウスピースを嵌めないで吹こうとし、伸ばしすぎたたスライド菅を後輩の頭にぶつけて、見かねたパートリーダーに部屋から追い出された。

 

翌日も、その翌日もそんな感じだった。

恵真も有栖ちゃんも漫画やお菓子で私を慰めてくれるが気分の切り替えが下手なせいで、落ち込んだそれを持ち上げられない。

そしてついに、耐え兼ねた来栖くんが私を体育館裏に呼び出された。

金髪で背の高い来栖くんにこんなところに呼び出されるとカツアゲされるんじゃないかと緊張する。

 

「しねえよ」

 

「あ、声に出してた? ごめん」

 

「なめやがって。

で、あんた馬場に嫌われてるんじゃないかって落ち込んでるんだよな」

 

「……そうだね」

 

「あのな、誰かに嫌われたって死ぬわけじゃない。

俺はあらゆる先生から目をつけられ成績は右肩下がりだがこの通りピンピンしている」

 

「……有栖ちゃんに嫌われたら?」

 

「死ぬ」

 

極端すぎないか。

 

「私は来栖くんみたいに割り切って考えられないんだよ……」

 

「まあ、そうなんじゃないかと思った。

だからここに呼んだんだ。これから馬場のところ行こう。で、謝ろうじゃないか。

俺も付き添ってやるよ」

 

とんでもないことを言い出したぞ!

私は何度も何度も、濡れた犬のように首を振りまくる。

 

「いい、いい。やめておこう」

 

「悩んでたってしょうがないだろう? 何か誤解があるのかもしれない」

 

「で、でも」

 

「さっさとしろ。

……こんなとき真美子ちゃんならどうする」

 

私はハッとした。真美子ちゃんならきっと話を聞くだろう。問題を解決しようと足掻く。それが彼女の魅力の一つである。

来栖くんに連れられるようにして私はバスケ部とバレー部がコートの準備を始める体育館にお邪魔した。

ぼんやりとした顔つきでドリブルをする馬場くんはこちらに気がつくとギョッとした顔になった。

 

「畠山さん?」

 

「おう、馬場。ちょっと面貸せよ」

 

言い方! と思ったが馬場くんはボールをその辺に転がすと大人しくついてきた。

体育館の入り口に三人並ぶ。

 

「……それで、なんの用?」

 

馬場くんは怪訝な顔だ。助けを求めて来栖くんを見るが彼はスマホをいじり始めてしまっている。

大方有栖ちゃんの写真でも見ているのだろう。仕方ない。

 

「あの……私、何か、馬場くんにしちゃったみたいで……」

 

「何の話」

 

「えっと、だから……謝りたいなって……」

 

やっぱり馬場くんが怖い。イラついたように顔をしかめている。

 

「なんで来栖がこの場にいるの」

 

確かに。第三者には離れてもらった方が誠実なのかもしれない。

 

「来栖くん……二人で話してくるからさ……」

 

来栖くんは有栖ちゃんの写真に夢中で聞いていない。私は彼の腕を叩く。

 

「来栖くん!」

 

「は、なんだ?」

 

「話聞いてた?」

 

「何も。解決した?」

 

「もう……。だから、二人で話してくるからちょっとどっか行ってて欲しいんだよね」

 

「どっかって。それが人に物を頼む態度か」

 

「面倒だなあ……。お願いしますよ」

 

フンと鼻を鳴らした来栖くんがスマホをポケットにしまい離れようとした。

 

「それ」

 

「え?」

 

「見たことある。畠山さんも好きな漫画だよね……。

君に届くまで3センチメートルだっけ?」

 

まさか馬場くんが君に3センチのロゴを把握していると思わなかった。

私たちは返事できずに黙ってしまうが、彼は構わず話を続ける。

 

「そう。来栖も好きなの、その漫画。

意外だな。男なのに少女漫画呼んでるんだ。案外恥ずかしい趣味してるよ」

 

「恥ずかしくは、ないだろ、別に。

いかがわしいものじゃないんだ」

 

そう言うが来栖くんは耳まで赤くしていた。

 

「そうだよね。恥ずかしいと思ってたらそんなふうにステッカー挟まないよね。

恋人とのイニシャルなんて俺なら恥ずかしくて見せられないや」

 

「い、いいだろ。あんたには関係ない」

 

「もちろん関係ない。でもさ、笑っちゃうよ。

頭の中空っぽだとは思ってたけど色ボケでまともに物考えられないだけか」

 

馬場くんの声は聞いたこともないくらい冷たいものだった。

 

「……畠山さんもコイツに影響されて色ボケになっちゃった?」

 

「え、わ、私……」

 

「馬鹿みたい」

 

西日に照らされる馬場くんの優しい笑みを思い出す。

一年生の頃、放課後毎日聞かせていた話は、馬場くんにとっては馬鹿みたいな色ボケの話だったのだ。

あの笑みは呆れか嘲笑か。

 

「……ごめん……」

 

声が震える。馬場くんは何も言わない。

 

「あとでボール顔面にぶつけてやるからな! 鼻の骨折ってやる!」

 

来栖くんが馬場くんを怒鳴りつけた。そして彼は私のほうに駆け寄ると申し訳なさそうに俯いた。

 

「畠山、行こう……余計なことして悪かった」

 

彼に背中を押され私は体育館を後にした。

私たちの間にあった柵は、柵じゃなくて壁だった。馬場くんは私との間に壁を作っていたのだ。なんで気づかなかったのだろう。

この壁は乗り越えられないし壊せないし、それに、そんなことしてはいけないのだ。

拒絶の壁だ。

私が好きだった人はもういない。

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