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30.誰を傷つけ、殺そうとも

ヨゼボ・フィースは私を抱いたまま立ち上がると、半壊した小屋から出た。
潮と土が混ざった匂いがしてくる。
 
「……それで、こんな状況になったのは誰のせいだ。昨日今日とずっと様子がおかしかったのはあの忌々しい女のせいか? 」
 
あの忌々しい女、が音梨のことだとわかり大声で否定する。
 
「音梨は関係ありません! 」
 
「さすがに、あの女もここまで酷いことは出来ねえか」
 
フンと彼は鼻を鳴らした。
さすがにって、音梨は一度も私に酷いことなどしていないが。
憤然とした気持ちになるが、ヨゼボ・フィースが歩き出したので慌ててその首に手を回す。
 
「……リオン、ずっと気になってたんだが気持ち悪くないのか? 」
 
「お腹刺されてたんですよ? 最悪な気分ですけど」
 
「そうじゃなくて、お前は人と触れ合うの嫌いだろ」
 
そう言われハッとなった。
今私はこの男に抱き上げられている上に、自分から触っている。
だが気持ちの悪さはなかった。あの、虫が這うような感覚は微塵もない。
 
「あの女に触られても平気だったな」
 
それは音梨は姉妹だし。
だとしたらなんでこの男は平気なんだ。
 
「なんで……」
 
「番いだからだろ」
 
「おろしてください」
 
なんとなく癪だったので体を揺らして彼の腕から下りた。
ヨゼボ・フィースは憮然とした面持ちで「可愛くねえなあ」と呟いていた。
 
「で、誰のせいだ? 何があったか一から説明しろ」
 
一から説明したら、人間がいるということを説明しなくてはならない。
ヨゼボ・フィースは気が付いているのだろうか。人間がここにいるということに。
分からない。やはり危険だ。
 
「だんまりか? 珍しいじゃねえか。誤魔化す言葉も思いつかないとは」
 
「あなたには関係のないことですし、言いたくないんです」
 
「ふうん……。今こっちに向かって来てるリテンマとテインは関係あるか」
 
ある。大いにある。
彼の三角の耳は2人の足跡や息遣いをしっかり聞き取っていたらしい。
だが私は首を振った。
 
「無いですよ」
 
「なら確かめさせてもらうよ」
 
「信用無いですね! 少しは私の言うこと信じて、それで里に戻らせてください。疲れたので眠りたいです」
 
「つい最近お前に殺されかかった身だからな」
 
どうせならちゃんと殺しておくべきだった。
私はため息をつく。
その間にもヨゼボ・フィースはドンドンと歩き、そして向かいから二人の人影が見えるのが分かった。
私はぎゅっと服の裾を掴む。
 
「……テイン、リテンマ。話がある」
 
「うわあ、もういる……」
 
リテンマ・スィアが怯えた声を出し、スタンキ・テインの後ろに隠れた。
 
「あっさり見つかってるね」
 
「リオンが世話になったらしいなあ?
全部話せ。楽に死にたいだろ? 」
 
彼は眼光鋭く二人を睨め付ける。
死ぬことは確定しているようだ。
 
「ちょ、ちょっと待って! 確かに私はその子のお腹に剣を突き立てたりしたけど、でも殺そうだなんて思ってないわ! 逃さないための苦渋の決断よ! 」
 
リテンマ・スィアは手を大きく振って慌てて言い訳をする。
だがヨゼボ・フィースは視線を緩めなかった。
 
「逃さないため……そもそもなんで捕まえておきたかった」
 
「だって、それは……人間だから……売ろうと思って……」
 
辺りが一瞬明るく光り、リテンマ・スィアとスタンキ・テインに雷撃が落ちた。
二人の悲鳴が上がる。私も思わず己を抱きしめていた。
頭が痛いとかなんとか言っておきながら元気なものである。
 
「次嘘をついたら内臓を燃やす」
 
「わ、わ、分かった! 本当のことを話すわ! 私たちはハショウインの海辺で……」
 
「ちょっとスィア! 黙りなさい! 」
 
「黙ったら殺されるわよ! 」
 
「そうだ。殺す」
 
このままじゃリテンマ・スィアは全部話してしまう。
ダメだダメだ。人間が殺される。そのことを考えるだけで頭が白くなって寒気が止まらなくなる。
私はヨゼボ・フィースの腕を掴んだ。
 
「そこまでしなくても! 私はこうして元気ですから……」
 
「リテンマに話されたくないのか?
だがな、こいつらが繋がってることもハショウインの海辺に何かあることも分かっていた。
それが何かは、お前の反応でわかったよ。人間だな? 生き残っていた人間がいる」
 
私は血の気が引いていくのがわかった。
目の端が白くなっていき、頭が働かない。ヨゼボ・フィースの冷たい顔だけが見える。
バレてしまった。
獅子の血族の中で最も人間を殺した男に!
 
「い、ないです、違いますよ。いたら私はここにいません。人間たちと一緒にいます」
 
「お前が受けた傷は剣の傷だけじゃなかった。
人間に、お前が敵だと勘違いされて攻撃されたんじゃないのか? 」
 
「違います。あそこには何もなかった。私は、リテンマさんにやられたんです」
 
「エッ、私? 」
 
「違うみてえだが? 」
 
「罪を軽くしようとしてるんです」
 
いっそこいつらを殺させて、目的を喋らせない方が良いだろうか……。
この人たちはフィース様を殺そうとしたんですよ、とかなんとか言って。
だが私が口を開く前にスタンキ・テインが身を乗り出した。
 
「わかった、全部話すから殺さないで」
 
落ち着き払った態度だったが、言葉尻が僅かに震えている。
 
「急にどうした」
 
「その女は私たちを殺そうとしてるわ。
言うこと信じないで」
 
彼女は私の殺意に気が付いたらしいく、口を閉じるしかなかった。
ここはもう諦めるしかない。
他の手段で、人間たちを逃さなくては。
 
「わかった、俺の一存では殺さない。話せ」
 
「私たちはハショウインの海辺にいる人間たちを捕まえて、闇の魔女を作るつもりだったのよ」
 
「なんだと!? なに寝惚けたこと言ってんだ! 」
 
ヨゼボ・フィースの怒声とともに辺りに雷が何度も落ちた。自分でも、体が大きく跳ねるのがわかった。
スタンキ・テインの近くにあった木が丸焦げになる。
彼女の言葉はヨゼボ・フィースの怒りに触れた。
 
「ポーポフィがどうなったのか忘れたのか! あいつは闇の魔女に囚われて結局死んだ! 」
 
「でも、それはあの人が狂ってしまったからよ! 正気でいるなら制御できる」
 
彼女の言葉が言い終わる前に、再び雷撃が落ちる。
二人は悲鳴を上げ、恐らく逃げ出したかったのだろうが、それを堪えてヨゼボ・フィースに向き直った。
 
「こ、これだけの魔法が使えるあなたにはわからないよ……! 私たちがどんな思いをしてきたか……! 実父から何度も何度も罵声を浴びせられたわ! 出来損ないに生きる価値はないって! だから力が欲しいの、あなたとの子供を作れないならもう方法がないのよ! 」
 
私は谷の館であったことを思い出す。
能無しの男が、集団で暴行を受けていたことを。
彼等は常にああいった目にあうのだ。私より遥かに長い年月を生きる癖に未熟で、そして人間的だ。
 
スタンキ・テインが力を求める気持ちは強く共感できた。
私のように無力なものは力のある者に媚を売らないといけない。
彼女もまたヨゼボ・フィースに媚を売り子供を産みその子供を最強と呼ばれるまで強く育てなくては、周囲から蔑ろにされる。助けなどはない。
特に獅子は実力社会だ。のし上がるには強くならなくてはいけない。
 
「そんなくだらねえことの為にポーポフィの死を無視した挙句、こいつに手を出したのか! なにが力だ、そんな短絡的に考えるような奴が闇の魔女の力を制御できるわけがない」
 
ヨゼボ・フィースはスタンキ・テインの言葉をあっさりとくだらないと吐き捨て、牙を剥き出しにした。
その恐ろしい形相にも関わらずスタンキ・テインは怒鳴り返す。
 
「ポーポフィの死を無視だなんてしてない! 彼女は可能性よ! 狂気にありながら闇の魔女に囚われていても意識を保つことが出来る……その証明じゃない! 」
 
彼女は腕を大きく広げた。まるでそんなこともわからないのか、とでも言うように眉を下げて。
が、ヨゼボ・フィースの怒りは収まらない。
体を震わせ、唸り声をあげた。
 
「それ以上俺の妹を侮辱してみろ! 約束は無しだ、お前を殺してやる……! 」
 
妹?
思わぬ言葉にヨゼボ・フィースの顔をまじまじと見た。
似てないし、家名も違う……いや、番いがいたならその相手の家名か。
だが兄妹というには淡白だった。
 
私がグルグル考えていると、ヨゼボ・フィースの怒りがついに爆発したのがわかった。
何度も落ちる雷にこの辺りは焼け野原となるだろうと思った。
 
彼が二人に集中しているこの隙に人間のところにまた行こう。
そう思い一歩離れるとすぐさま腕が伸びて私の腰を捕らえた。
 
「どこに行くつもりだ? お前から話を聞いてねえぞ」
 
「話なんてありませんよ。こんな危険地帯にいたら死ぬと思ったから離れようと思っただけです」
 
「お前に当てるわけないだろ」
 
彼は不満げな顔をして私の腰をグイと寄せた。
どうですかね、と言いながら私は腕から出ようともがく。離れて欲しい。
だがヨゼボ・フィースは力を緩めなかった。
 
「彼奴らが人間を襲うと知ったからお前は人間の住処に来た。だが人間はお前を敵だと思って攻撃した。
それでもお前は人間を助けたいんだろ。特に人間を食い殺す俺やテインからは逃したい」
 
その通りだ。
もう認めるしかないが、頷くことは出来なかった。
けれども逆にそれを同意と捉えたらしくヨゼボ・フィースは打って変わって落ち着いた声を出した。宥めるように、腰に回された手が少し緩んで人差し指の背が私の腰骨を撫でる。
 
「なら安心しろ。俺はもう人間に興味は無い。こいつらももうすぐ死ぬ」
 
「殺さないって言ったじゃない! 」
 
リテンマ・スィアの叫び声が悲痛に響くが、ヨゼボ・フィースは面倒だと言いたげに鼻を鳴らす。
 
「気が変わった。そんな危険思想のある奴ら残しておけないだろ」
 
「ま、待ってよ! 」
 
リテンマ・スィアが半泣きになって地面に膝をついた。
手は己を守るかのようにしっかり握りしめている。
 
「私は闇の魔女を作るテインを説得するつもりだったのよ……! 私、あなた達と違って人間の肉食べたいなんて思ったことも恨んだこともないし……! まああの女にそっくりのその子は死んでもいいかなとか思わないでもないけれど、でもあなたの番いだって分かったから殺さなかったのよ!? 」
 
「知るかよ」
 
無慈悲な言葉に彼女の大きな目から涙が溢れる。
さっきは黙って死ね! と思ったがバレた今では死ぬことはないだろうと思い私は助け舟を出すことにした。
少し力が緩んだ隙にヨゼボ・フィースの腕から抜け出し、リテンマ・スィアに一歩近づいた。
 
「確かに色々されましたけど、でも言ってることは本当だと思いますよ。
ハショウインの海辺で襲撃された私を小屋まで運んでくれましたし……単純に、私だけを犠牲にするためかもしれませんが……」
 
「ああ……! あの女に似てる上に小賢しくて生意気な女とか思ってごめんなさい! 」
 
「別に死んでくれても構いません。あー、お腹痛いなーさっき刺されたからなー」
 
「嘘! 美人! 賢い! ハスキーボイスがセクシー! 」
 
面白いので暫くお腹痛いなと繰り返し、リテンマ・スィアに褒めさせておいた。
語彙が少ないのか最後の方はハスキーしか言わなくなっていた。
 
「……まあ、こいつから詳細を聞くとするか。
ならこいつは」
 
「私を殺すの? 」
 
スタンキ・テインは馬鹿にしたように私たちを見下ろした。
 
「いいわ、殺せば?
でも忘れてない? その女の喉にかけられた呪いを解けるのは私だけよ」
 
リテンマ・スィアがハスキーボイスと繰り返すのを蹴って止めさせ、自分の喉に触れた。
スタンキ・テインがかけた毒の呪い。
 
「ひどい声じゃない。まるで老人みたい。
フィースは可哀想だと思わないの? この声じゃ歌も歌えない、笑い声もひび割れて聞いてられない。ねえこの子の笑い声とか歌声とか聞いたことある? 無いんじゃない?
みっともないから我慢してるのかも……。可哀想に、このままじゃ幸せになれない」
 
スタンキ・テインが痛ましそうな表情を作った。
元凶が何を。
 
「私なら呪いを解ける」
 
「その代わりに見逃せってか? 」
 
「そう」
 
スタンキ・テインは微笑んだ。腹立たしい。
こんなことで逃げ出せると思うなよ!
 
……しかし信じられないことにヨゼボ・フィースは悩んでいた。
口をきつく結び鋭くスタンキ・テインを見る。
 
「先に呪いを解け」
 
「……それじゃ解いた後殺すでしょ」
 
「そうじゃなきゃ逃げて呪いを解かないかもしんねえだろ」
 
「悪いけど命かかってるの。信じてもらわないと」
 
ヨゼボ・フィースは眉を顰め、口を何度か開閉した。
悩んでいる。何を悩んでいるのだ。
 
私は口を開いてしっかりと、この場にいる全員に聞こえるような声を出した。
 
「呪いなんか解かなくていい」
 
嗄れた醜い老婆のような声だ。
 
「えっ……で、でもあなた、ずっとその声でいるつもり? そんなの嫌でしょ? 」
 
正に意表を突かれた、という顔で彼女は私を見つめる。それから焦りもあった。
私は構わず言葉を続ける。
 
「歌を歌ったことがないのも笑い声を上げたこともないのは、そんな楽しい気分に一度だってなったことがないだけだよ。
楽しけりゃ笑うさ」
 
そもそも音梨といる時はゲラゲラ笑っている。こいつらが知らないだけだ。
 
「大体、幸せになりたかったらこの男からとっくに逃げて自殺でもなんでもしてるから!
でもいい、私は幸せになりたくてここにいるんじゃない。
綺麗な声はくれてやるよ」
 
「は、はあ? ならなんで生きてるの、皆幸せになりたくて生きてるんじゃない」
 
「あんたに教える義理はない」
 
スタンキ・テインは顔色を白くし、絶句した。
私が呪いを解くように頼むと思ったのだろう。
愚かしい。
 
「ならもういいな。
そうだ……父親の元へ行け」
 
「……え……」
 
スタンキ・テインの顔から表情が抜け落ちた。
真っ白な肌に虚ろな青い目がぽかんと浮かぶ。
 
「死んだ方がよっぽどマシだろうな。
獅子の里に戻るぞ」
 
スタンキ・テインが逃げ出すよりも早くその腕を掴み、それからリテンマ・テインと私に自分の腕を掴むように言うと、ヨゼボ・フィースは獅子の里へと飛んだ。

アンカー 1
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