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23.私の身体は儘ならず

洗濯物を案の定トロいノロい遅いなどと言われながら渡した後、私とヨゼボ・フィースは里を出た。
 
「歩いて行くんですか? 私のようなか弱い乙女はすぐ疲れちゃうんですよー? 」
 
「すぐに魔法を使ってやるからちょっとは歩け。
大体、物を食わないからそんな貧弱なんだろ。甘いもんばっか食わねえで栄養になるもん食え」
 
「あはは、太ったら食べられると思っていたもので」
 
三角の耳がぴくりと反応した。
不愉快そうに眉を寄せ口を曲げる。
 
「……誰が」
 
「フィース様が? 」
 
「食わねえよ。食ったら俺も狂って死ぬだろ」
 
「番いだって知らなかったんですもん。
というか本当に私が番いなんです? 勘違いしてません? 」
 
更に不愉快そうな顔をしてこちらを見下ろす。
機嫌を損ねたようだ。
 
「すみませんって」
 
「本当に分からないのか? 」
 
「何に」
 
「俺がお前の番いだってことに……いや、分かってたらお前はもっと上手く立ち回ったか」
 
それは、そうだろう。
ヨゼボ・フィースと私が番い、一心同体だと知っていたらそれを利用するだけ利用してこの里での待遇も良くさせただろうに。いやそれどころか……。
そこまで考えて私は首を振る。過ぎたことを考えても仕方がない。
 
「早めに教えてくれればよかったのに」
 
「あのな、俺の命を狙ってくる奴に弱点教えるかよ」
 
「それもそうか……。あれ? なら逆にどうしてあの時教えてくれたんです? 」
 
「あの時言わなかったらお前はあの女の……姉だか妹だかの所に行ってただろ」
 
図星だ。流石に分かられていた。
あの時番いだと告げられそして私が離れたら音梨を殺すと言われなければここにはいない。
 
「ん……? 待て、まだ俺を殺そうとしてるのか? 」
 
流石にそれはないと笑う。
恐らくこの男に死なれると私に良くないことが起こる。ボワーリュ・ポーポフィのように自分がこの男を失ったことで気が狂うとは到底思えないが。喜びで狂うんだろうか?
 
「私も気が狂うんでしょうか。あなたに死なれたら」
 
「狂ってくれたら良いんだがね。どうだろう、番いの呪いは異種族相手にはそこまで効果が出ねえみてえだからな」
 
「相手の変更出来ないんですか? 」
 
私の言葉にまた機嫌を悪くしたようだ。
尻尾が大きく揺れて私を睨め付ける。
苛立つだけならいつも通りなのだが、それ以上怒らせるとなると私の身も無事では済まないだろう。
 
「あはは、冗談ですよ」
 
ヨゼボ・フィースは暫く睨んでいたが、私がヘラヘラ笑っているとため息をついた。
 
「出来るならとっくにやって残らず食ってる」
 
「わあ怖い怖い。変更出来なくて良かったです」
 
出来るならこの男だって私なんぞを番いにはしておかないだろう。想像力が欠けていた。
 
ヨゼボ・フィースは未だ不機嫌で、無言で森の中を進んでいる。
その後を必死で歩く。歩幅が違うのですぐに置いてかれてしまう。
 
「フィース様、まだ怒ってます? 」
 
「怒ってねえよ」
 
「なら少し歩くスピード落として貰えません? はぐれたら迷子になっちゃいますよー……」
 
いきなり彼は立ち止まった。
迷子になられては面倒だと思ったのだろう。
 
「お前が迷子になったらとんでもない所に迷い込むだろ。ならないようにしろ」
 
「だったらもう少しゆっくり……」
 
「俺の背中に乗れ」
 
電気の爆ぜる音がして白い閃光が走る。
幻獣の姿に変化したのだ。
閉じていた目を開けると、片腕のない大きな獅子がそこにいた。
 
「良いんですか? 」
 
「早くしろ」
 
素っ気ない彼の返事に、私は内心大喜びでその背中によじ登る。これなら楽だ。
ヨゼボ・フィースのことは嫌いだがこの姿の彼は嫌いじゃない。人間を模している姿の時は冷たく威圧感があるが、幻獣の姿になった時はそれが抜けて理知的な印象だけが残る。
それになによりフカフカだ。
彼に気が付かれないようにそっとそのたてがみを撫でる。ツヤツヤで触り心地がとても良い。
 
「しっかり掴まってろよ」
 
その言葉を待っていた。獅子の首に手を回し顔をたてがみに埋めた。
昔人間は自分よりも強大な獅子を狩ったことがあるそうだが……そしてそれが原因で未だに恨まれている……それはきっとこの毛並みを知ってしまったからだろう。
この毛並みに包まれながら寝てみたい。
 
「……リオン」
 
「はい……」
 
「寝るな」
 
起きているとも。目を瞑っているだけで。
 
「起きてますよー」
 
「ずっと気になってたんだが、この姿の方がす……怖くないのか」
 
「そうですねえ。人間の時のフィース様は正に冷酷! って感じで苦手ですね。まあ出会い頭に耳を食べてきた人の事苦手じゃないわけないですよ」
 
音梨も怖がっていた。初対面でいきなり自分の腕をもいでいたり、次に会った時は首を絞められていたりしたのだからそりゃそうだろう。
「あんな悪の化身みたいな人! 」と言っていた。
 
「知らなかった」
 
「言ってませんし。
にしても、どうして獅子の血族って人を殺すのに人の姿になるんですか? 」
 
獅子は尻尾を一振りしてから歩き出した。
片足がないのでぎこちないが人の姿で歩くよりも早い。
 
「他の幻獣に比べると最近までは幻獣の姿で暮らしていたらしいが、あちら側の神に無礼を働くのはどうかという意見が出たからな。仕方ない」
 
「……あちら側? それは音梨がいた世界のことですか? 」
 
「違う。あれは異次元だ。
あちら側の領域とは、同じ次元の、別の世界のことだ。行き来することも、まあ不可能じゃない。大変だけどな」
 
私は頭を捻った。
この宇宙は大きな建物で、一部屋一部屋を神々が作ったと考える。
音梨のいた異次元は、部屋が違うのではなく建物が違うということだろう。
それを伝えるとヨゼボ・フィースは同意した。
 
「うん。中々分かりやすい例えだな。
それを使って言うとだな、ある時神は自分を模した"ニンゲン"を作ってこの世界に放ったんだ。
最初は幻獣の姿のままでいるつもりだったが、神がその姿を求めているのならその姿になることが礼儀じゃないかとニンゲンの姿を真似することにしだした。
しかし神が何を求めてニンゲンを作ったのかは分からなかった。ここが解釈の分かれる所だ。
獅子の血族はニンゲンを神の失敗作だと考えたが、龍の血族は守護するべき存在だと考えた。そこから因縁が始まってるんだ」
 
私たちは神々の姿だったということか。
獅子は我々人間を神の失敗作だとしていたが、ある獅子の番いを人間たちが殺し、獅子の怒りに触れ虐殺されるようになった。そしてそんな我々を龍は守護した……それが未だに続いているだなんて。
彼の話には新鮮な驚きがあった。
 
「他の世界も見てみたいですね」
 
「多分魔力が無いとあっという間に死ぬぞ。
ああ、そうだ。迂闊なお前が死なないよう忠告しておいてやる。
世界と世界は霧で分けられている。建物で例えるなら部屋と部屋の間はカーテンで仕切ってあるということだ。
だから霧が見えたら警戒しろ。ただの霧かもしれないが、世界を分けるカーテンかもしれない」
 
警戒しろと言われても……私にはどうすることもできない。
戸惑いが分かったのだろう、彼は「霧には近づかないように」と言葉を付け足した。
 
返事の代わりに彼の背中に手を当てる。筋肉が動き躍動していた。
この姿の彼は美しいとすら言える。
 
「フィース様はどっちが好きですか? 2本足と4本……いや3本足」
 
「……服を着ているのが好きじゃ無い。窮屈な感じがする。メシを食うのも道具を使わなくちゃなんねえから面倒だ。正直、こっちの姿のが楽だよ」
 
ならこっちの姿でいればいい。私もその方が好きだ。
しかし彼は言葉を続ける。
 
「だが俺はお前の、人間の番いだからあの姿でいる」
 
その凜とした声になんと言えばいいのか分からず、私は「朝服着てないのそれでなんですね」とどうでもいいことを言った。
 
*
 
一角獣の里に到着した。
里の印象は獅子の里とも不死鳥の里とも違く、真っ白な建物のみで出来た清廉な里だった。
ヨゼボ・フィースは姿をいつものに戻し二本足で立ってズンズンと歩んでいる。
 
「リオン、一つ言っておく」
 
「はいはい? 」
 
「多分……いや確実にロクな奴がいない。
お前なら大丈夫だと思うが我慢出来なくなったら俺を呼ぶか、相手を殴れ」
 
「なんですかその極端な助言……」
 
だがこの反応、なんとなくわかっていたが一角獣の里はマリティ・スアンのような人間が山ほどいるのだろう。
面倒だ。マリティ・スアンが沢山いるところを想像するだけで疲れる。
 
だがヨゼボ・フィースはもっとだろう。
彼女に気に入られたのか熱烈にキスされたりしていたし、あの後一度来た時なんぞ私とヨゼボ・フィースとでベッドを共にしたいなどと言っていた。よくそんなことが思いつくなと感心する。
 
門の近くに行くと2人の、一角獣の血族の女がこちらを見てニコリと笑う。髪が長い方と短い方。
一応の門番だろう。一角獣の里は交易が主な収入源であり人の出入りの多い里の一つであるが、闇の魔女の出現以降は警戒するようになったそうだ。
とは言えそこまで厳しくなく、今も彼女たちは気さくに話しかけてきた。
 
「こんにちは……あら? ヨゼボじゃない? 」
 
「エエ! なんでこんなところに? あ、わかった、美人がいるって噂を聞きつけて私に会いに来たのね? フフフ、仕事が終わるまで待ってちょうだい……」
 
やっぱり全員そういう感じなんだ、と彼女たちとそっと距離を置く。
 
「触んじゃねえよ、気色悪い。
人に会いに来ただけだ」
 
「ふうん? 誰?」
 
1人の髪の短い方が拗ねたように唇を尖らせた。
 
「リテンマだ。知ってるだろ? 」
 
「スィア? 勿論知ってるわよ。なに? 呼んでくる? 」
 
「中に入れてもらえねえのか」
 
「勿論構わないわよ。あ、アタシはすぐ上がれるんだけど……どう? 家に来ない? 」
 
「行かない。リテンマはどこに行きゃ会えんだ? 」
 
「入ってすぐ右のお店にいると思う。大きな緑の看板があるからわかるわよ」
 
彼女は軽やかに笑うと私たちを里に通した。あっさりしたものだ。
 
しかし、そうは言ったが……。
私たちは呆然と里を眺めた。
似たような白い建物ばかりでどれがどの店かわからない。
手がかりである緑の看板を下げている店は3つもあった。きちんと詳細を聞いておくべきだったか……。
 
「……大きな、だからアレか……? 」
 
ヨゼボ・フィースは戸惑いながらも一軒の店に入ろうとする。
私もそれに続こうとした時出て来た客にぶつかった。
 
「すみません! 」
 
顔を上げると、一角獣の女がこちらを見下ろしていた。
ツノが短い。
 
「いえ……あら、あなた、こんなところで何してるの? なにその格好」
 
彼女はまるで私と会ったことがあるかのように話し始めたが、見覚えがなかった。
一角獣の知り合いは2人しかいない。
私は帽子を押さえた。この帽子、目立つだろうか。
 
「えっ……と、なんの話でしょう? 」
 
「惚けないで頂戴。いやね、頭がスッカラカンだとは思っていたけど、もう私の顔忘れたの? そんな格好して、獅子に扮しても私は誤魔化せないわよ。っていうか何その声。風邪? 体調管理も出来ないのね」
 
初対面でこの言われよう。誰と勘違いしているか知らないが凄く嫌われている。
 
「忘れるも何も初対面で……」
 
「あなたがここにいるってことはセルマもいるのかしら? どこにいるの? 」
 
「セ、セルマ? ルシャンデュ・セルマのことですか? 一緒になんていませんよ」
 
「ふうん、捨てられたの? 」
 
「捨てるも何も拾われてません。私とどなたかを勘違いされているようですけどもういいですか? 急いでるんで」
 
「あ、待ちなさい! 」
 
振り切ろうとしたが腕を掴まれた。
他人の体温に鳥肌が立ち思わずその腕を振り払う。
女から小さな悲鳴が上がった。
 
「……随分なことをしてくれるじゃない……」
 
「ごめんなさい、咄嗟に……」
 
触られたところを擦りながら頭を下げた。
 
今までの話からすると、どうやらこの女は音梨と会ったことがあるようだ。
ルシャンデュ・セルマのことを知っていて、更に音梨が人間だと知っていて、その関係も知っているとなると相当な情報を集めている。
 
私が人間だとバレるとマズイが、音梨とこれだけ似ている私が獅子の血族だと言って信じるだろうか?
 
「リオン、どうした」
 
騒ぎを聞きつけてヨゼボ・フィースが戻って来た。
女の顔を見ると僅かにその目が見開かれる。
 
「リテンマ……ここにいたのか。お前に用があって来た」
 
「待って頂戴、この女はなんであなたの行動しているの? 」
 
「リオンを知っているのか? 」
 
「リオン? いえ、そんな名前じゃない。この女の名前は音梨よ? 」
 
彼は状況を察したようだ。
面倒そうな顔をこちらに向けてくる。
 
「……成る程な。あいつに会ったことが……まあそうか……。
ここじゃ話しにくいから店の中で話さねえか? 」
 
女は……リテンマ・スィアは渋々頷いた。
 
この店はどうやら飲み屋のようだ。
ガヤガヤと客の話し声で賑わっている。
私たちは店員に案内され奥のカウンター席に通された。
 
「それで? なんで一緒にいるのか説明してくれない? 」
 
席に着くやいなやリテンマ・スィアは話を切り出した。
ヨゼボ・フィースが真ん中に座り、私は壁際に座る。
 
「……腕、赤くなってるから擦るのやめろ」
 
指摘されて目を下ろす。無意識に腕を擦り続けていたらしい。
手を下ろして尻の下に入れる。
 
「こいつはお前の言ってる奴じゃない。別人だ」
 
「嘘よ。確かに前会った時よりもやつれて痩せているし若干賢そうではあるけれど、でも別人なわけ……」
 
そう言って言葉を止めた。
私と音梨がどういう関係か気が付いたのだろう。
 
「……まさか家族……?
ああ……獅子の里にいたなんて……」
 
瞬時にリテンマ・スィアの顔に同情の色が浮かぶ。
 
「ルシャンデュはあの女を娶ったことを隠しもしない。そうやって敵を炙り出してんだろうがこっちは良い迷惑だ。
なんとかしろ」
 
沈黙が流れる。
リテンマ・スィアは呆けた顔の後、ギョッとなった。
 
「……え、私が!? 」
 
「他に誰がいる」
 
「ど、どうしろって言うの!? こんなにそっくりだったら誤魔化しようがないわよ! 」
 
「声がデケェよ。静かに話せ」
 
彼はリテンマ・スィアの椅子を蹴った。
リテンマ・スィアは口を押さえ、ヨゼボ・フィースを睨む。
 
「……方法はあるの? 」
 
「適当な噂を流せば良いんじゃねえの? 」
 
「異次元から来た人間と、獅子の血族の女が何処をどうしたら似通うのよ。答えは1つしかないじゃない」
 
「頑張れ」
 
そう言ってヨゼボ・フィースは懐から何かを出した。
リテンマ・スィアはそれを見ると文句を言いながら「やるわよ、なんとかするわよ」と呟いた。なにを見せたのだろう。
 
「それ出されたら……って、あなたそこまでしてその子を守りたいわけ? それって……まさか、その子、あなたの、番い、なのかしら?」
 
「違う」
 
涼しい顔をして嘘をつく。
 
「あ、ああ。そうよね。まさか獅子の血族の番いが人間だなんてね。そんな酷い話……。
じゃあ恋人とか? 」
 
「まさか! それだけは絶対無いですね。単なる居候ですよ」
 
ヨゼボ・フィースが答えるよりも早く私が答えた。
冗談でもやめてほしい。
彼は不満そうにこちらを見ていたが気がつかないふりをする。
なに、不満そうにしてるんだ。なにが不満なんだ。
 
「拒絶が激しいわね……。
……それで、用件ってこれだけかしら? 」
 
「これは想定外だった。
本題はハショウインの海辺の情報だ。なんでもいい。どんな些細なことでも」
 
リテンマ・スィアは目を細めた。
 
「ハショウイン? なんもないでしょあんなトコ」
 
「分かってる」
 
「ふうん、いいわ、わかりました。
なんか集めておくわよ……どうせなんもないと思うけれど」
 
ヨゼボ・フィースは無愛想に「頼んだ」と言うとカウンターに何かを置いた。
リテンマ・スィアはそれをサッと懐に仕舞う。
 
「用はそれだけだ」
 
「それだけ? 」
 
「今はな」
 
彼は私に帰ると言うとサッサと店から出て行ってしまう。
リテンマ・スィアに会釈して出ようとするが呼び止められた。
 
「本当のところ、どういう関係かしら? 」
 
「言ったでしょう? ただの同居人ですって」
 
彼女は納得していなかった。胡乱げな目でこちらを見ている。
 
「少なくとも私はそう思ってますよ。
そんなことより、あなたは音梨と話したことがあるんですよね? 」
 
「ええそうよ。あの楽しい勘違い女」
 
打って変わって嘲笑うかのような表情に変わる。私は彼女の方へ一歩近づいた。
 
「何があったかは知りませんが、今度彼女を侮辱したら許しませんよ」
 
「あら、何されてしまうの? 」
 
「その短いツノ折ってやる」
 
リテンマ・スィアは甲高い声で笑い出した。しかしそれを無視して私が頭に手を伸ばすとギョッとし身を引いた。
 
「お、折れると思ってるわけ? 」
 
「折れないと思うか? 獅子の里になんでいられると思う? 」
 
なんでいられるか、という言葉に彼女は私がすごい力の持ち主だと思ったらしい。リテンマ・スィアは青い顔してこちらを見る。
 
「本気じゃないわよね? 」
 
「あんたが二度と音梨に近づかないと約束できるなら」
 
「……二度と、はわからないけど……極力関わらないようにする……」
 
その答えに満足し、私は身を翻した。
これでいい。

アンカー 1
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