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22.ジワジワと毒の如く侵食し

その時私は10歳。
里に来て5年、ここの生活にも慣れつつあった。
 
私が彼の屋敷を出た時、見知らぬ女に話しかけられた。
背が高く金髪を高く結い上げこちらを睨む様は威圧感があった。
着ている衣服でこの里の獅子ではないと分かる。そして目付きからは厄介な相手だということも。
 
「貴方、なんであの屋敷に? 」
 
「……フィース様に拾って頂いて……」
 
「へえ、あの人に出来損ないの子供を可愛がる心があるだなんてね。案外優しい……? それとも」
 
不意に言葉を切り私の顔を覗き込んだ。
目には殺意が宿っている。
 
「番い……な訳ない。こんなボロ雑巾みたいな小娘……。
でも初潮を迎えたら実は番いでした、なんてことになるのかしら」
 
番いが何を意味するのかその当時は分からなかったが嫌な予感はあった。私はその場をなんとか逃げ出そうとする。
 
「あの、すみません。人に用事を言い付けられてるので行かないと」
 
「……警戒してる? ああそりゃそうよね。初対面だし。
いいわ、名前を教えてあげる。私の名前はスタンキ・テイン。獅子の族長の三女よ」
 
「初めましてテイン様」
 
私はお辞儀をしそれでは、と立ち去ろうとする。しかしスタンキ・テインはその手を掴んで来た。悪寒が走る。
 
「待ちなさいよ。貴方……随分私を警戒するじゃない? どうしてかしら」
 
「警戒しているわけではありません。ただ……私は見ての通り不出来なので族長の娘たるあなたに不愉快な思いをさせてしまうのではないかと不安なのです。どうも私他人から嫌われやすいみたいで、あはは」
 
適当な言葉を並べ立てて笑うと、彼女は目を細めて私を観察した。
 
「小さい割りに頭が回るわね。でもそうじゃないでしょ?
私に何かされないか怖いんだ。ふうん、そう。貴方は私を信用しないの? 同じ獅子の血族なのに……もしかしてここの里は皆私を警戒しているのかしら。
まさかとは思うけど警戒するようなことをしているの? それはそれは……里ごと消す必要があるね」
 
私の対応は良くなかったらしい。それか、最初からこういうつもりだったのか。
とにかく彼女はこの里に危害を加える隙を見つけたいようだ。
 
「そんなまさか! この里は何もありませんよ。あるとしたら私のような者がいることくらいでしょうか? 」
 
「気に入らない小娘だ。
……そうね、そう言うならこれ飲んでみない? 」
 
女は懐から小瓶を出して来た。
青い小瓶の中で液体が揺れる。
教えられなくてもそれが毒だということが理解できた。
 
「それは……」
 
「毒だと思う?
まさか、私が毒を同胞に渡すと思ってるわけじゃないわよね? もしそうなら私を信用していない……何かあるってことだ。そうであるなら貴方の内臓から調べよう」
 
女はこう言いたいのだ。
飲んでも飲まなくても殺す。
 
「さあどうぞ」
 
スタンキ・テインは小瓶の蓋を外し私に差し出す。
逃げられない。
私は震える手でそれを受け取った。
 
「……飲んだら、信用してると分かってくれますね? 」
 
「飲んだらね」
 
スタンキ・テインが私の様子を毛穴までジッと観察しているのがわかる。小細工はできまい。
青い小瓶を見つめる。
私はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
家族の元に帰りその顔を一目見るまでは絶対に、絶対に死ねない。
 
覚悟を決めて小瓶に口をつけそれを呷った。
酷い味だ。
いや味なんかではない。炎を飲んでいるかのようだった。
飲む前に吐き出したかったが手で押さえて飲み込んだ。
 
「ごめんね、貴方にもし万が一にも番いになられたらとっても邪魔になるから、初潮の来てない今のうちに殺しておきたいの」
 
そう女が言っているのが聞こえた。
なんとか顔を上げその笑い顔を睨む。
 
「こんなことで……」
 
喉が焼けたせいで酷い声だった。まるで老婆のようだ。
 
「こんなことで、私を殺せると思うなよ……」
 
スタンキ・テインが嘲笑うように私を見下ろす。私が飲むと分かっていたんだろうか。
私は喉を押さえる。呼吸もままならない。
私の体には完治の呪いがかけられている。それがこの毒を即座に中和出来るかは分からなかった。しかし賭けに出たのだ。
 
「リオン! 」
 
どこからかヨゼボ・フィースの声がした。珍しく焦っているような声音だった。
彼は私のところまであっという間に駆けて来る。
 
「……テイン、お前何をした……! 」
 
「私を疑うの? 族長の娘たるこの私を? 」
 
「お前しかいないだろうが! 」
 
「勝手にその子が飲んだのよ」
 
そんな言葉が通用すると思っているのか。
しかしヨゼボ・フィースはスタンキ・テインを相手にするのはやめたようだ。呆れたのだろう。
小瓶を一瞥すると私の肩を抱き指を口に入れてきた。
 
「全部吐き出せ」
 
グッと喉の奥を押される。
灼け爛れている上に強く押されて痛かったが、それよりも反射的な反応が起こる。
喉まで吐瀉物が迫り上がる。
トドメにまた喉を押され毒ごと地面にぶちまけた。
 
「…………すみません、服汚して」
 
喉は嗄れたままだ。
ヨゼボ・フィースが私の声を聞いて息を飲んだのが分かった。
 
「そんなことどうだっていい」
 
「フィース、貴方……」
 
「黙れ」
 
その一言だけで体が震える。怒りの篭った声。
彼はスタンキ・テインを睨め上げた。
 
「それ以上口を開いたらお前を獣の慰み者にしてやる」
 
「わ、私にそんなことしていいと? 」
 
「族長の娘がなんだ。お前の代わりなんざ幾らでもいるんだ、死んだって誰も悲しみやしねえよ。
お前がこの里を乗っ取ろうとしてるのは分かってる。だったら勝手に画策してろ! こいつに手ェ出してんじゃねえぞ! 」
 
ヨゼボ・フィースは怒ると恐ろしい。
手がつけられなくなる、というのではない。分析しながら怒るのだ。
怒っていながらも冷静に相手を分析する。
今も怒鳴りながらスタンキ・テインの最も傷つく事を言い、そして考えを読もうとしている。
 
「……私が欲しいのは里じゃない。貴方。
獅子の血族最強の男」
 
彼女は私たちを眺めた後溜息をついて一歩下がった。
 
「でもそれは無理みたいね」
 
「分かったなら出て行け。二度と近寄るな」
 
「それも無理ね。私は父の手駒だもの、父がここに行けというなら私は来るわよ。例え貴方に殺されたとしても」
 
「なら今この場で殺してやるよ」
 
「分かってるでしょ。そんなことしたら本当に里乗っ取られちゃうわよ。
……まあ、また来るけど暫くは顔を出さないことにする。次来るときは貴方を手に入れるから」
 
彼女は少し疲れた様子で歩き出した。
一度振り返って私を見た。「本当に死なないとは恐れ入った」と呟くとまた歩いて行った。
 
「……リオン、喉、は」
 
「完治の呪いも効かないんですね」
 
「これが治せるのは怪我だけだ。あの毒は……あいつ特製の、呪いの混じった毒だったんだろう」
 
呪いはかけた者が解かないと治らないそうだ。
あの女が私の呪いを解くことはないだろう。
 
「……つまりずっと……」
 
この嗄れた声なのか。
 
喉が軋む。
これだと歌ったりも出来ないのか?
ここに来てから歌なんて一度も歌っていないから構わないが。
 
「……目を、離すべきじゃなかった」
 
ヨゼボ・フィースの手が喉に伸びる。
 
「痛むか? 」
 
「……大したことありませんよ」
 
本当は酷く痛みがあり、こんな嗄れた声になったのはお前の所為でもあるんじゃないのかと責めたかったが、彼の悲しげな顔を見て思わずそう答えていた。
何故か私よりも落ち込んでいた。
 
「そんなわけないだろ」
 
彼は私の口元を袖で乱暴に拭うと、グイと腕を引き私を立たせた。
 
「暫く休め」
 
はい、と頷いたが、その後私はセルーポ・ヌザンと些細なことからの取っ組み合いの喧嘩をしてかなり怒られた。
 
*
 
あれから7年経った。もうすっかりこの嗄れた声にも慣れ、むしろ生まれた時からこの声だったのではないかと思うまでになっていた。
 
「まだあの人フィース様と結婚して里を乗っ取ろうとしているんですか。すごい執念ですねえ。この寂れた里のどこがいいんでしょうか」
 
私は首を傾げる。
百歩、千歩、万歩譲ってヨゼボ・フィースと結婚したいというのは理解しよう。
だがこの里にそこまでの価値があるのだろうか。
 
「土地を増やしたいんだろう」
 
どういう意味だ?
ここは獅子の里。血族の物だ。増やすも何もないだろう。
……そう考えてハッとした。
この里は、他の血族の里を襲いやすい立地にある、ということか?
背筋が震える。音梨は、不死鳥の里は……。
ナンブール・スマウもそれに気が付いたらしい。眉を顰めて「また闘いが始まるのか? 」と囁いた。
 
「闇の魔女の件がまだ終わってないのに、また血を流すというのか」
 
「……不死鳥の里は大丈夫だ。話を聞いている限りな。
どうも別の所を狙っているようなんだが、それが」
 
彼は言葉を切った。
どう言ったらいいのか分からないとでもいうように首を振る。
 
「正体がわからない、らしい」
 
「正体が? どの血族の土地を狙ってるって言うんだ」
 
「それが分からない。ただ確実にそこには豊かな生活があると……。土地を狙ってるわけでもないみたいで、そこにある技術が欲しいとかなんとか。
……言っておいて俺もよく分からねえ。悪いな、混乱させた」
 
「いや……。ただ物凄く気になる」
 
「俺もだよ」
 
私もだ。
そんな曖昧な所を襲撃するのか?
里の長や族長は何を考えているのだろう。
 
「リオン、午後になったら出るからお前も支度しろ」
 
「どこにですか? 」
 
「…………一角獣の里……」
 
酷く嫌な顔して言う。
横でナンブール・スマウも同じ顔になっていた。

アンカー 1
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