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21.憂鬱な里の暮らしの中で

勿論、私に割り振られる仕事が少ないなんてことはあり得ない。
里の女たちに声を掛けると山のような洗濯物……それも全て泥にまみれた物を渡された。
 
「早めにやってね。あんたトロいんだから」
 
「はい」
 
愛想笑いを浮かべてそれを受け取る。
不満げな顔をするとなんだその態度はと言われるからだ。
 
井戸の水を組み上げ洗濯物にかける。
なんて量だ。1人で終わるんだろうか?
何か方法がないだろうか……例えば大きな樽に全て入れて揉み洗いをして、それでも汚れの落ちないものだけ個別に洗うとか……。いや大きな樽なんて見たことないしあったとしても私には運べない。
 
「凄い量だ。大丈夫かな? 」
 
思案していた私の顔を赤毛の男が覗き込んでいた。
ナンブール・スマウだ。
彼は不死鳥の血族の者だが数ヶ月前からなんらかの紆余曲折あってヨゼボ・フィースの屋敷にいる客人である。
いつの間にか近くにいた男に驚きつつも私は笑顔を作った。
 
「おはようございます。どうしたんです? 」
 
「修復を手伝っていたんだ。休憩しようと思ってこっちに来たら君が自分の身長くらいある洗濯物を持って来たものだから驚いて思わず声を掛けたんだ。それを洗うのかい」
 
「はい」
 
「1人じゃ難しいだろう。僕も手伝うよ」
 
「良いですよ、スマウさんは休んでてください」
 
「遠慮しなくて構わない。君は確か魔法が使えないんだよね? それじゃ時間がかかる」
 
彼は洗濯物を洗う桶に水を張った。それから腕を振ると洗濯物達が勝手に動き出し自分を洗い始めている。
なんて便利なんだろう。私にもこれが使えれば。
 
「ありがとうございます、助かりますよ! 」
 
「これはどこかの血族から教わった魔法なんだけど、ニッチ過ぎて中々披露できなくて……今こうして自慢出来るのは気分が良いものだね」
 
ナンブール・スマウは得意げに笑う。
神経質そうな男だが話してみるとそうでもないし、怒ったり怒鳴ったりしてこないので獅子の里の中で一番居心地が良い。そもそも不死鳥という、肉食でない幻獣の側は気を張らずに済む。
 
「でもこれじゃ私のやることありませんね」
 
「ダメかい? 」
 
「私は良いですけど。他の人は嫌がりますよ」
 
「うーん、そうか。まあ君は目立つから……。
じゃあ僕の実験に付き合ってくれないか?」
 
「実験、ですか? 」
 
なんだろう。その言葉にあまり良い予感はしない。
ナンブール・スマウはフフフと意味深に笑うと「君の体内に魔力を入れさせてくれないか」と言った。
 
「入れるとどうなるんです? 」
 
「わからない! 魔法が全く使えない獅子の血族なんて初めて見たから!
魔力を蓄えておく器が壊れているからなのかそれとも魔力はあるのに上手く扱えないのか……検討がつかない!」
 
不死鳥の血族特有の灰色の目がキラリと光った。何がそんなに楽しいのか私にはさっぱりわからない。
 
「なんだか嫌な予感がしますねえ」
 
「勿論、危なくないように配慮はする。
……そもそも魔力が微塵も無いのか、それだけでも……」
 
私が嫌がっているのがわかるとナンブール・スマウは食い下がった。
魔力の有無を調べるくらいなら構わない。私は頷いた。
 
「魔力の量くらいなら。どうぞ」
 
「じゃあちょっと失礼して……手を貸してもらえるかな。大丈夫、痛みも何も無いからな」
 
手を差し出すと彼は私の手首を掴み、脈を図るかのように指を当てた。
 
「……微塵も無いわけじゃないのか……」
 
「あ、ってことは私でも魔法使えるんですか!? 」
 
「1人では難しいかもしれない。誰かに魔力を借り誘導してもらいながらならば或いは……」
 
それは新たな発見だ。
私の体内に魔力があっただなんて。
いや、よくよく考えてみれば人間は秘術を使って闇の魔女を産み出したのだから魔力がゼロなわけがない。
使えないだけで持ってはいるのだろう。
 
ナンブール・スマウは暫く指を当てていたが1分程度で手を離した。
触られていたところを擦る。
誰もがそうだろうが私も他人に触られるのは好きではない。触れられている感覚が、徐々に虫が這うような感覚に入れ替わり気持ち悪くなる。
 
「痛かったかい? 」
 
「いえ痛みはありませんよ。
それで、今のが何か参考なりました? 」
 
「ああ、助かったよ」
 
「一体なんの参考に?」
 
「魔法に関して色々調べてるんだ」
 
それは分かっていたが……詳しくは教えてくれないらしい。
私は聞かないことにした。説明されたところでどうせわからない。
 
井戸の横に置かれた、すっかり乾いた洗濯物の山を持ち上げようとした。
全部終わっていた。洗濯乾燥そして畳むところまで。
 
「畳んでまでもらっちゃって……ありがとうございます! 」
 
「大したことじゃない。
ついでだから君も着替えたらどうだい? さっきの洗濯物の泥で大分汚れているよ」
 
言われて気がつく。
お腹のあたりに泥がこびり付いていた。
私はあははと笑って羞恥を誤魔化し服を脱ぐ。井戸が横にあるから丁度いい。ここで洗ってしまおう。
着ているうちに乾かせば気にすることはない。
 
「……えっ……」
 
ナンブール・スマウから戸惑ったような声が聞こえた。なんだろうと振り返る。
 
「君女の子だったの? 」
 
「ええ……」
 
今までの数ヶ月私を男だと思っていたらしい。
肌着の上から自分の体を見て苦笑する。確かに枯れ枝のように痩せ細ったこの体じゃ男か女か分からないだろう。
 
「あはは、酷いですね。この魅力的な肉体でわかりませんか? 」
 
「全く」
 
冗談が通じなかった。少し気恥ずかしくなる。
 
「そりゃ残念、まあでも……」
 
「そうか……そうかそうか……ついにフィースにも……成る程な……」
 
私が話を変えようと彼を見ると、目を瞑って1人で頷いていた。少し不気味だ。
 
「えっと……どうしたんです? 」
 
「ほら、フィースは強いだろう? だから色んな女から声を掛けられるのに全然靡かないから疑問に思ってたんだよ。獅子は性欲が強いから番いがいなきゃ誰とでも寝るのになんでかなあと思ってたけれど、そうか。君みたいな子がタイプか……。確かにああいう子とは違うよなあ」
 
どうやらヨゼボ・フィースが私をこの里に置いている理由を勘違いしたらしい。
いや勘違いではないのだろうが、前提が間違っている。彼が私を側に置いているのは番いだからであってそこに恋愛感情というものは無い。
ちょっと茶化してやろうと私は笑った。
 
「私みたいなタイプ? 美人ってことですか? 嬉しいですね」
 
「見かけない雰囲気という意味だ。余り獅子らしくない」
 
それは人間だからだ。
とは言わない。
にしてもこの男冗談が通じないんだろうか。
 
「よく言われますよ。獅子じゃなくて溝鼠の血族なんじゃないかとか」
 
「溝鼠は幻獣じゃないだろう」
 
「嫌味です」
 
「ああ、そう。
それにしても、本当に獅子の血族なのかい? どこの里? ここの出身じゃななそうだが」
 
獅子の里はここ以外にもいくつかあるそうだ。
私はここしか知らないが、もっと穏やかなところもあると聞いた。行ってみたいものである。
 
「5歳の時拾われたんです。きっと私が能無しだと分かって捨てたんでしょう。仕方のないことです」
 
「酷い話だなあ。子供を捨てるだなんて」
 
幻獣は子供が出来にくい。だから子供を非常に大切にする。
人間とは違う価値観だ。今はもう私達しかいないが……その昔は掃いて捨てるほどいたそうだ。子供なんてポコポコ生まれてポコポコ死んでいくものだったらしい。
だから子供を大事にしないのだ。それはそういうものだから仕方のないこと。
 
「でも面白いね。魔法の使えない非力な捨て子に、獅子の血族最強と謳われる男が恋をするだなんて。後世に語り継がれる愛の喜劇になるんじゃないか? 」
 
喜劇どころか悲劇だろう。
最強の獅子は最弱の人間の娘を番いだと認識し愛などどこにも無くただ執着しているのだから。
しかし自分がヨゼボ・フィースの番いであるということは誰にも言うつもりはない。私はなんとか誤魔化そうと口を開いた。
 
「あはは、何言ってるんですか! フィース様は確かに私に目をかけてくれてますけど、それは恋だの愛だのそういうものじゃありません。魔法も使えず力も弱い私ですけど、器用な方なので召使いとしては使い勝手が良いんですよ」
 
言っておきながら果たして私の使い勝手は良いだろうかと首を傾げる。すぐ殺害計画を立てるし、悪い方だと思う。
 
ナンブール・スマウはなんとも言えない表情を浮かべてこちらを見つめた。
 
「……余り、上手くいきそうにないな。これ」
 
「は? 」
 
「君は召使いなのか? 」
 
「あー……恐らく? 」
 
つい最近までは大きくなったら食べるため、つまり餌として扱われているのだと思っていた。そのため必死で太らないよう食べたものを吐いては骨と皮だけの体を維持していたのだが……どうやら私を側に置いておく理由は番いだと思ってしまっているからだと知った。
召使いではないだろうがじゃあ何かと聞かれればやっぱり召使いとしか言いようがない。
いつもあの男の身の回りの手伝いをしたり用事をこなしたりしているのだから。
 
「僕は君のこと同居人だと聞いてたがね。
まああいつが誰かに優しくしてるところなんて想像もつかないが、それでもそんな勘違いさせるなんて酷いやつだよなあ」
 
「フィース様は大体いつも酷いですよ」
 
「……悪い奴じゃないんだけど……。
ああ見えて意外に情に厚いところもあるし、僕は付き合いやすいんだけどね。何せ口が悪い上に言葉が足りない」
 
「あはは、面白いこと言いますね」
 
ナンブール・スマウは頭を掻いた。
それから面倒そうに溜息を吐きながら「僕が口出ししたら余計拗れるよなあ」などとブツブツ呟いている。
 
その時ヨゼボ・フィースの気配がした。
振り返ると屋敷から出て砂利道を歩いている姿が見える。噂をすればなんとやら。
苛立ったように尻尾を振っていたが此方に気がつくと不思議そうな顔で近付いてきた。
 
「珍しい組み合わせだな」
 
私とナンブール・スマウはあまり話をしないのは単に彼がいつもあっちこっちフラフラしているからであって、嫌煙しているわけではない。
先にも述べたように里の中ではそこそこ居心地のいい相手である。魔法に関することを聞くと少し鬱陶しくなるくらい語ってくるのが難点だが。
 
「フィース、里の長と族長と話し合いしてたんだろう? 終わるのが早くないかい? 」
 
ナンブール・スマウが気さくに話しかける。
どういった経緯があるのか知らないがこの2人には種族を超えた友情がある。
 
「堂々巡りだから抜け出して来た」
 
「君が抜けたら話にならないだろう」
 
「俺の話なんて聞くような相手じゃねえだろ。今までも散々俺の話を聞かない癖に俺の力だけアテにしてきたんだからよ」
 
ハアとヨゼボ・フィースがため息をつく。それにナンブール・スマウは嗚呼、と頷いた。
獅子の愚痴をこの男はよく聞いているらしい。逆もまた然り。
 
「族長の娘は? 」
 
族長の娘……。そうか、アイツが来ているのか。
無意識に喉に手が触れていた。
 
「いつもとおんなじだ。馬鹿の一つ覚えみてえに……顔を見るのも嫌になるな」
 
「仕方ない。君との子供が出来れば族長の娘自身の地位は高まるし、血族も戦力が増えることを望んでいるからね。君はそんなの嫌だろうけどでも彼女は……ああ、ごめん。部外者が口出しすることじゃ無かった」
 
ナンブール・スマウが申し訳なさそうに首を振った。
 
「別にいい。あの家にいたら筒抜けだろ」
 
ヨゼボ・フィースがなんでもなさそうに答える。
確かにあの家にいたら、この里のことなんぞ全て筒抜けだ。ヨゼボ・フィースに相談するものも多いし、里の長も、彼がいると知っているのに大事な要件を大きな声で話す。
しかしナンブール・スマウが言ったのはこのことではなかったらしい。
 
「そうじゃなくて、ほら、僕ってどうも恋愛ごとに疎いだろう?
口出しをすると余計に拗れると思って……」
 
「恋愛なんかじゃないもっと別の欲望だろありゃ。人の上に立つのが何より好きなんだろうな」
 
「族長の娘のことじゃなくて君とこの子のことだよ」
 
この子と言いながらナンブール・スマウは私に手のひらを向けた。
私?
思わず顔を見上げる。
ヨゼボ・フィースも驚いたように目を剥き、耳をピンと立てた。
 
「は……」
 
「驚いたよ。まさか君にも好きな人が出来るだなんてなあ。
初めて会った時の君を思い出すと感慨深いものが……」
 
「待て、何言ってんだ」
 
「何って、あ、恋バナってやつだろう?
さっきもその子としてたんだよ。まあでも君明らかに脈無しだったな。脈無しと言うのも烏滸がましいくらいに。ああ元気出せよ、初恋は実らないものらしいから」
 
「……本当に……口出ししないでもらいたいな……」
 
彼は額に手を当て鋭くナンブール・スマウを睨んだ。
そんなことより族長の娘はどうしてるんだろうか。私は2人の会話に割って入った。
 
「スタンキ様はどちらに? 私が近づくとまた毒飲まされちゃうかもしれませんから離れておきたいんですが」
 
緑の目が僅かに嫌悪の色に染まる。
 
「里の長の所だ。すぐ帰るだろうから……」
 
私の喉を見る。
 
毒を飲んだあの日のことを思い出した。

アンカー 1
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