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20.初めて出逢った時から恐ろしかった

12年前のことは未だにハッキリ覚えている。
パパに抱きかかえられる私、ママと手をしっかり繋ぐオンリ……音梨。
そしてその背後にいるのは巨大な龍だ。ルシャンデュ・セルマ。
私はアレが恐ろしい。
 
パパは彼は味方だと言った。
あの人が守ってくれる。
だけど本当に? だってあの龍は周りの人たちをあっという間に殺してるよ?
 
彼は悪い人たちを退治してるんだ。
悪い人たちは本当に悪いの?あんな風に殺されてしまうほど?
 
そう。そしてパパ達は悪い人たちにとっては悪い人だ。だから逃げなきゃ同じように殺されるよ。
 
それは嫌だ。
あんな風に苦しんで殺されるのだけは。
誰か助けて。お願い誰でもいい。誰か誰か。
私たちを逃して。
私の体は震え、全身が引っ張られるような感覚に鳥肌が立った。
 
だけど、目の前には悪い人たちがもう既に目の前に来ていた。
ボワーリュ・ポーポフィとヨゼボ・フィース。
ボワーリュ・ポーポフィはずっと「殺してやる」と叫んでいた。それをヨゼボ・フィースが冷めた目で見ていた……ような気がする。
今だからわかるが、ボワーリュ・ポーポフィは番いの仇であるルシャンデュ・セルマを殺したかったのだ。だからあの場に来ていた。
 
ヨゼボ・フィースの目が私たち4人を捕らえる。緑色の冷酷な瞳だ。
私たちの内どれから殺そうかと考えている。
そう思った私は男の目を強く見返した。
どうせ殺されるのだから屈服は無意味だ。
 
「……弱いくせに、気だけは強いのか」
 
声まで冷酷だった。
パパが怯える。私は震えるパパの体から離れた。
みんな私を殺せと言っていた。私の体じゃ長くは生きられないから食い扶持が増えるだけだと。
ならば、今ここで私が死ぬべきだ。
パパに早く逃げるよう合図する。だがパパは怯えて動けていなかった。
なんとか時間稼ぎをしなくてはと思い言葉を絞り出す。
 
「な、なんでわたしたちを殺すの」
 
「闇の魔女の封印のためだとかなんだとか……まあそんなことしてもあれは封印できそうにないし、大方あの龍に対する嫌がらせだろうな。そんなことをするから同胞が死んでいく」
 
緑色の瞳は背後の恐ろしい龍に向けられた。
どうやらあの龍とこの悪い人たちは喧嘩をしているらしい。
私は龍の顔を思い出した。最初に会ったときは優しげな顔だった。彼がニコリと笑うと目が垂れてシワができ、その穏やかな笑顔にホッとしたのを覚えている。
それがどうだ。あんな血に塗れた悍ましい姿になって。
だが、この男なら……。
いかにも冷酷な男だろう。きっと酷いことをされる。しかしその緑色の瞳は理知的だ。
あの狂気に染まったヘーゼルの瞳ではない。
話が通じるかもしれないと直感的に思った。
 
「わたしが……わたしが死ぬ。わたしはからだがよわくて、それしか……。だから」
 
だから家族を助けて。
それは言葉にせずとも伝わったらしい。
ヨゼボ・フィースの瞳が僅かに見開かれ獣の耳がピンと立った。
 
「……こんなに幼いのに自己犠牲を知っているとはな」
 
そしてパパとママを見下ろした。嫌悪感を露わにし、口の隙間から鋭い牙が見える。
 
「それに比べてお前らはなんだ? 自分の娘が犠牲になろうって言い出したのになんもしねえでガタガタ震えて、みっともねえじゃねえか!? 」
 
「ヒッ」
 
男の怒鳴り声にママが悲鳴を上げる。
私は男の服の裾を掴んだ。
 
「や、やめて! おねがい、わたしが……」
 
「……ああそうだな。お前を貰い受けよう」
 
冷たい手が私の体を抱き上げた。
パパとは違う冷たい体だ。恐怖で体が硬直した。
 
「む、娘を差し上げれば、助かると? 」
 
「……俺は追わない」
 
パパは明らかに安堵した。後ろにいたママも。
音梨は……どうかな。ボンヤリした子だからよくわかってなさそうだ。
 
「ああ良かった」
 
パパが泣きながらママの手を引いて走り出した。
音梨は振り返りながら泣きそうになっていた。
さすがに、もう会えないと分かったようだ。
 
男は「塵屑が」と吐き捨てると私に向き直った。
 
「……で……貰った所でどうしたものか」
 
「……こ、ころすんでしょ? 」
 
せめてあの龍のように残忍に殺さないでほしい。
生きたまま四肢をもがれるのだけはごめんだ。
男は不思議そうに首を傾げ「殺さねえよ。殺してなんになる? 」と聞いてきた。
 
「殺さないの……? 」
 
「うん。まだ小さいし美味くもなさそうだ。
良い匂いはするんだがな……」
 
今は、殺さないということだと解釈した。
大きくならないようにしようと私は決意する。
 
「里に連れて帰るか……いや、その前に」
 
突然男が口を広げた。長い牙と赤い舌が目に入る。
私が悲鳴を上げる前に男の手が私の口に伸びそのまま塞いだ。
そして口は耳を噛み、そのまま食い千切った。
男の手の中で悲鳴を上げる。
やっぱり食われるのだ。恐怖と痛みで涙が溢れる。
 
男はもう片方の耳も喰い千切ると、血塗れの唇で傷跡に口付けを落とした。
痛みが引いていく。魔法を使ったのだ。
 
「耳は元に戻さねえ。なんでか分かるか? 」
 
恐怖に体が震え、男の顔を伺うように覗き込んだ。
私の血で染まった唇が恐ろしい。
 
「味見、ですか? 」
 
「違う。ニンゲンは山ほど食ってるからそんなの必要ない」
 
その言葉にゾッとし、より体が震える。
早くこの男の質問に答えないと食われる。
 
「い、いじめ? 」
 
私の涙声の回答は鼻であしらわれた。
 
「馬鹿か?
お前の耳で人間かどうかバレるからだよ。
いいか、生き残りたかったら絶対に人間だとバラすな。他の奴にバレたら耳だけじゃなくて腕も足も食べるからな」
 
私は泣きながら必死で頷いた。
確かに私はバカだった。こんな男を頼ってしまった。
これが私の最初の過ちだろう。
 
*
 
朝。ヨゼボ・フィースを起こしに行く。と言っても隣の部屋なのだから大したことではない。
 
数週間前に私が不死鳥の里に押し入った際のケジメとして彼は腕を切断した。
その為に私が補助をしなければならなくなったのだ。腕くらい生やせるだろうと尋ねるとそれではケジメの意味がないと言われた。
 
「失礼します」
 
垂れ下がるカーテンを潜り、ベッドの天蓋をめくる。
良かった。今日は最低限の服を身につけていた。
彼は何故か大抵の日全裸で寝ており、本人は人が来る前に服を着るから良いだろうと言うが、朝が弱いこの男は大体着替える途中で二度寝をしている。
見られてもなんとも思わないようで平然としているが、私は見たくもないものを見させられて朝から不快な気分になった。
見たくもない。この男の全身に入った呪文の刺青。特に背中。
呪いがこうして刺青になって現れるのだと男は言っていた。
そして一際大きな背中の刺青は、番いがいることの現れだと。
私はそれを見る度イライラした。何が番いだ。剥いでやりたくなる。
 
「おはようございます。起きてますよね? 」
 
子供じゃないんだからとっとと起きろ、と思うのだが目を開けない。
起きてはいるのだろう。尻尾が揺れるのが見えた。ただ起き上がりはしない。
早くこの仕事を片付けてしまいたいので、私は耳元で大きな声を出した。
それが良くなかったのか、唾が喉に引っかかり咳き込んだ。中々止まらず体を丸めて咳をなんとか止めようとする。
 
背後で衣擦れの音がした。耳元で咳き込まれる鬱陶しさから目を覚ましたようだ。
 
声をかけようとするがまだ咳が止まらない。
その私の背中に手が当てられた。
思わず体が跳ねる。
 
「何処が悪い」
 
寝起きの掠れた声だ。
顔を見上げてヨゼボ・フィースと目を合わせる。
 
「噎せた、だけです」
 
私の返答に彼は……驚くべきことに……ホッとしたように息を吐いた。
 
「……なんだ。朝から驚かせるな。
昔の毒が悪さしたか、肺の穴がまた開いたかと……」
 
彼は長い金髪を掻き上げ鋭い瞳で私の胸の辺りを睨む。
かつて私の肺には穴が空いており、それは生まれた時から私を苦しめていた。
今はヨゼボ・フィースによる完治の呪いですっかり塞がっている。
 
「また開くことがあるんでしょうか」
 
「俺が生きている限りは絶対に無い。死んだらどうなるか知らねえが」
 
だから俺に手をかけるなよ、と言外に伝えてきた気がするが私は気がつかないふりをした。
 
彼はベッドから降りるとその肉体を惜しげもなく晒しながら衣服を着始めた。
どこにも欠点のない体だ。私が銃で撃った跡も無い。
左腕以外は全てが整っている。
左肘の先はスッパリと消え、傷跡だけが残っている。
あんなことをして痛くなかったのかと尋ねると痛いに決まっているだろと怒鳴られた。
 
手早く服を着ると髪紐を私に差し出してくる。
片手で服は着られても髪は結えないのだ。
それを受け取り椅子に座る彼の背後に立つ。
 
「編み込みとか、します? 」
 
「してどうする」
 
「綺麗かなと。いらないなら良いです。適当に結びますね」
 
音梨がルシャンデュ・セルマに編み込みをしてもらって、それが綺麗だった。
そもそも音梨が綺麗だからかもしれない。
あの2人は見ているこちらがもうやめてくれと頼みたくなるような甘いことを平然とやってのける。
編み込みしながら花を差しているルシャンデュ・セルマを見たときは気が遠くなった。
不器用だから上手くできなくて、などと言っていたがあれだけ出来れば充分だ。どこを目指しているんだ。
 
そんなことを考えながら私は男の髪を適当に結わえる。
この三角の耳が邪魔だ。切り落としてやろうか。だがそんなことは出来ないので耳に当たらないように気をつけながら手で梳いていく。
後れ毛さえ無ければいいだろう。
 
「出来ましたよ」
 
ヨゼボ・フィースに声をかけて椅子を軽く叩く。彼は私の顔を見上げた。
 
「お前は伸ばさないのか? 」
 
「何を」
 
「髪。昔は長かっただろ」
 
今の私は肩に付くか付かないかの長さで、自分で切っているので毛先がバラバラだ。
ヨゼボ・フィースの問いに首を振る。別にこだわりがある訳ではない。
というか、そんなものは持つべきではないと学んだ。
 
「もしかしてフィース様もこの間の音梨の髪型を思い出してました? 」
 
彼は顔中に嫌悪感を露わにし鼻に皺を寄せた。
音梨の名前を出すといつもこうだ。
私が音梨のことを好きなのが気に食わないのだろう。だが、生き別れの双子の姉妹を嫌えというのが土台無理な話である。
 
「あれは酷かった。あんな不器用なのになんで不死鳥のランプなんか作ってるんだ? 」
 
彼が嫌悪したのはどうやらルシャンデュ・セルマの腕前の方らしい。
 
「そんなに酷かったですか? 綺麗だと思いましたけど」
 
「どこが」
 
「……花? 」
 
「それは髪型関係無ぇだろ……。
お前ほどとは言わねえが、もっと丁寧にやってやりゃいいのに」
 
呆れたように彼は溜息をついた。
そういえば、腕を切り落とす前まで彼自身で髪を結わえていたのだが、それは綺麗なものだった。
案外見た目を気にするのだなと思う。
私にも見た目に気を配って欲しいのかもしれない。髪もきちんと伸ばしついでに言うならば服ももっと自分の体型に合ったものを。
獅子の血族には髪が長い方が良いという文化がある。
 
「髪長い方がいいですかね」
 
私の問いに何故か男は僅かに動揺したようだ。
目が泳ぐ。
 
「……お前の好きにすればいい」
 
てっきり長い方がいいと言われると思ったが予想が外れる。
もしそう言われたなら短く切り揃えるつもりだった。
 
「じゃあこのままで! 」
 
「どっちにせよ自分で切らないで人に切ってもらったらどうだ」
 
「うーん……」
 
首回りを他人の刃物が掠めるというのは気分のいいものではない。
音梨はどうしているんだろう。
伸ばしているようだし、切ってないのかもしれない。
 
「嫌なら別にそれでいればいい。どうせ帽子を被るんだから見えねえよ」
 
「てっきり私に身綺麗にしてほしいのかと思いました」
 
ヨゼボ・フィースが冷たい、自嘲するような笑みを浮かべた。
 
「そんなことされたら、俺はお前が他の奴に取られないか不安で狂っちまうよ」
 
 
番い、というこの獅子の血族にかけられた呪いは面倒なものである。
たった1人に執着する、種の生存にとても向いているとは思えない呪い。
ただしこれは全員に現れるものではなく理想の相手が見つかった場合のみらしい。
彼等はお互いを愛し合い、その生涯を死ぬまで共にする。もし片方が死んだなら残された方は狂ってしまう。ボワーリュ・ポーポフィのように。
 
そしてヨゼボ・フィースの番いは私だという。何かの間違いじゃないかと思うのだが、番いを間違えたりはしないそうだ。
だが私はあの男のことを微塵も好きではない。当たり前のことではあるが。
哀れな男である。私は決してこの男を愛すことはないと断言できるのに、私はこの男の番いなのだ。
愛されなかった番いは、番いに先立たれた者と同じように狂気に囚われると言う。
もしあの時私を殺してパパとママと音梨を助けていればこんなことにならなかっただろうに。
後悔すればいい。自分の行いの所為で愛してもいない、そして愛してもくれない女に執着しなければならなくなったことを。
 
「今日も里の長の所にまた族長が来るらしい。俺も行って彼奴らの相手しなきゃなんねえから、お前は里で修復の手伝いでもしてろ」
 
ヨゼボ・フィースが面倒そうな声を出した。
族長と里の長、特に里の長のことを彼が疎んでいるのは元々だが、最近はそれを隠そうともしない。
 
はい、と答えたがそんなことするつもりはない。私はこの里に潰れてほしかったのだ。
その為に色々と画策した。半年前ボワーリュ・ポーポフィの体に入り込んだ闇の魔女に里を潰す程度にひと暴れしてもらった後はマリティ・スアンとルシャンデュ・セルマと協力して闇の魔女を異次元の石でバラバラにするつもりだった。
残念ながら半分も達成されなかった。
ヨゼボ・フィースを後一歩の所まで追い詰められたが結局こうして私の前にいるし、暴れたのは闇の魔女ではなくマリティ・スアンだった。
 
失敗したのは闇の魔女が音梨を捕まえていたからに他ならない。
闇の魔女を利用する計画そのものが間違いだったのだろう。音梨に何かあったら……。そう思うとゾッとする。
音梨まで死んでしまったら私の12年全てが無意味だ。
計画が成功していればとも思うが、終わったことを考えても仕方がない。今後のことを考えなければ。
 
私は屋敷を出て里にある裏山に向かって歩き出す。
獅子の気配のしない所に行きたい。
 
「あー! おい、何サボってんだよ! 」
 
見つかってしまった。
振り返ると年若い獅子の血族、セルーポ・ヌザンがこちらに駆け寄って来ていた。
金の髪はうねって乱れ、黒地に赤の刺繍の入った服も泥だらけだ。彼は一仕事終えた後らしい。
 
「全く、人手が足りないんだから手伝えっての! 」
 
「私が行ってなんの役に立つんです? 重い物も持てませんし、魔法も使えないし、邪魔なだけだと思うのですが」
 
「えっ……それは……その通りだけど……」
 
セルーポ・ヌザンは目を泳がせた。大方、ヨゼボ・フィースに見張るように言われているのだろう。
また不死鳥の里に勝手に行くと考えているのかもしれない。流石に1人であの距離を移動するのは厳しい。マリティ・スアンがいたから出来たことだ。彼女は暫く獅子の里に来ていないからきっと他の地域で商売しているのだろう。
 
「なんか……仕事あるから! 来いって」
 
「嫌ですよ、嫌味言われるだけなんですから」
 
彼は困った顔になり、三角の耳が垂れた。
獅子の里の者達は私を邪険にしている。当たり前だ。いきなり現れたかと思えば魔法も使えない体は弱い、その癖獅子の血族最強と謳われているヨゼボ・フィースに目をかけられているとなると目障りで仕方がないのだろう。
セルーポ・ヌザンは獅子の里の中では私に良くしてくれている方だ。歳が近いからだろうか。煩く鬱陶しい。
 
「私は屋敷の掃除でもしてます」
 
「あの屋敷もうピカピカだろ? 他の屋敷掃除しろっての! 」
 
「裏庭の雑草取りしなくては」
 
「あのな、俺はフィース様にお前のこと任されてんだよ! 言うこと聞けって! 」
 
「なんて? 」
 
「目を離すとロクなことしないから見張っとけって……あ」
 
慌てて口を塞ぐがもう遅い。
やっぱりこいつは見張り番か。まあその程度しか役に立たないから仕方がない。
闇の魔女を殺す際に多くの獅子をマリティ・スアンと共に薙ぎ倒した。その時里の獅子たちは私に気付く前にマリティ・スアンに倒されていたが、こいつは私に気が付いていた。
だがそのことを指摘された際私がしらばっくれると、あっさりと信じていた。
要は頭が悪いのだ。
 
「いや、見張るっていうか……その……」
 
バツが悪そうにこちらを伺う彼を一瞥する。
 
「分かってたから良いですよ。
じゃあ洗濯でもしましょうか」
 
セルーポ・ヌザンのしつこさからして、とっとと終わらせたほうが吉だ。
きっと周りの獅子は手伝わないどころかこちらの邪魔をしてくるかもしれないが、そんなもの今更気にすることではないと自分に言い聞かせる。
 
「俺も手伝う……」
 
「結構です。それよりあなたの仕事は? 早く戻った方がいいんじゃないですかね」
 
やり残したことがあったようだ。彼はこちらを気にしながら走って戻って行った。
私は憂鬱な気持ちでその後を追う。洗濯物の量が少ないと良いが。

アンカー 1
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