16.もしかしたら歪んでいて、
大きな音を立てながら私の体は廊下に投げ飛ばされる。
何が起こった……?
背中の痛みを堪えながらゆっくり後ろを振り返る。
そこにいたのは、金髪の男……ヨゼボだった。
彼の長い髪が乱れ、明らかにやつれていたがその目だけは異様にギラついていた。
「あ……ああ……」
ここまで来ているだなんて……!
リオンが危ない!
背中を蹴られたせいでうまく息ができないが、それでも体を引きずりながら彼女の方へ向かう。
「い、や……リオンに、近づかないで……」
「それは俺の台詞だ」
「ころ……さないで……」
這いつくばりながらリオンの体に手を伸ばすが、腹をヨゼボに蹴られた。
息が詰まり、遅れて痛みがやってきた。その感覚に意識が飛びかける。
けど、ここで倒れたらリオンが……!
「ウウ……リオン……に、手を出さないで……」
声がうまく出ない。私はよだれを垂らしながらヨゼボに訴えかける。
「……少しは成長したようだな……」
……どういう意味だ……?
そういえば、最初に会った時彼は「成長していない」と言ってきた。
「なにが、」
「……12年前のお前は母親の体に隠れるだけだった。リオンは俺たちに立ち向かってきたっていうのにな」
……確かにそうだった。私は口元をぬぐいながら思い出す。
あの時私は母の背中に隠れこの恐ろしい怪物がいなくなるのを祈っていた。
私はいつだって誰かに守られている。
「だから、今度は私が……リオンを守るの……。
リオンを殺さないで……」
「殺すわけないだろ」
「嘘だ……!
獅子の血族は、ニンゲンを殺し尽くしたって……ウ……こ、この12年、リオンに何してた……!? 父と母を殺して、それを隠して仕えさせてたのは、どんな気分よ……! 」
ヨゼボを下から睨みつける。
怖くてたまらない。でもリオンを……唯一の家族を失うことの方が怖い。
しかし、私の言葉に男は明らかに激昂した。
ある方の腕で襟首を掴まれ体を持ち上げられる。
「随分偉そうな口をきくな……お前ごとき、人間ごときが! ルシャンデュの目の前でバラバラにしてやるよ……! 」
「イッ……アァ……!
なんで、なんでリオンなのよ! なんであの時リオンだけを連れ去ったの!? いっそ私たち全員皆殺しにすれば良かったじゃない! 」
腕を離させようと手を掴むがビクともしない。
それどころかより吊り上げられてしまった。
息が苦しい……!
ヨゼボの顔が私を嘲笑うように歪む。
「お前たちに価値は無い。母親の背中に隠れて震えてるだけのお前も、リオンが俺に立ち向かった時止めもしなかったその母親も、リオンを寄越せば逃げられると分かった時に嗚呼良かったと言った父親も、全員、お前ら全員無価値の塵だ!
だがリオンは違う……! 殺されると分かっていながら俺の所に来る決断をした! 自分は体が弱いから死ぬしか役に立たないと、まだ5歳の子供が言ったんだぞ!
だからポーポフィがお前たちの所に行っても助けたりなんかしなかった。お前たちはそんな労力に値しない……リオンだけに生きる価値がある! 」
獅子はそう咆哮し、私を地面に叩きつけたが再び私の首を捕らえ持ち上げた。
「殺してやる……! 塵芥の分際でリオンを忘れて、その癖まだ守られて……許されると思うなよ! 」
首が締まる。息が出来ない……!!
なんとかこの手から出ようともがくが男は微動だにしない。
目の端が白くなりチカチカした。もう……
「フィース、様、」
リオンの囁くような声がした。
瞬間、ヨゼボは私から手を離しリオンに向き直る。
私は大きな音を立てて床に倒れこみ、何度も咳をした。息を吸う。酷く苦しい。
「リオン……」
「もう戻ってくるなんて……さすが早いですねえ。弱らせておいたつもりだったんですけど……」
「お前は……。
その怪我は治んねえのか……? 」
私に襲いかかってきたのが嘘のような気遣いまじりの声だった。
そしてもう私に興味を無くしたのかすっかりリオンの方を向いている。
……大怪我をしているというのに、姉妹にまた助けられた。
「あはは……フィース様の呪いがもう解けたみたいですね。残念残念……」
リオンは青白い顔のまま軽口を叩く。
「……解けたんじゃねえよ……。もう魔力が無い」
「え……ああ、そうか、そりゃそうですよね。ざまあみろ」
「本当にお前は馬鹿なやつだよ」
ヨゼボの声が少しだけ寂しげに聞こえたのは気のせいだろうか……。
あちこちが痛む体を抱えながら2人を見る。
彼は身を屈めてリオンのお腹に手をかざすと、その場に倒れこんだ。
「フィース様!? 」
「今ので全部の魔力を使い切った……」
「……なんで……」
ヨゼボは体を片手で支えながら身を起こし、壁に寄りかかった。
魔力を使い切るのは相当辛いらしい。息が荒い。
反対にリオンは怪我が治ったのか素早く立ち上がるとヨゼボを恐れるかのように距離を取った。
ヨゼボは最後の力を振り絞ってリオンを治したのだ。
「なんで助けたんです……私はあなたを裏切ったのに……」
「……ポーポフィは馬鹿だった」
ヨゼボがポツリと呟く。彼女の質問を聞いてないのか、それとも聞いていて無視しているのか。
「番いが死んだら狂うことは分かってたってのに、なんもしねえでただ狂っていくことしか出来なかった。自殺でもなんでもすりゃ良かったんだ。いっそ、俺が殺してればな。何度止められても振り切るべきだったのかもしれねえ。
狂って人間を殺してそれに怯えてまた狂気に囚われて……最後は魔女に利用されて終わりだ。
だが俺たちの血族はそうだ。番いに死なれればその後正気で生きていくことは出来ないし、番いに離れられば原因を殺す衝動を抑えることは出来ない」
獅子の血族の愛情というのは見かけとは違って相当重いようだ。
ポーポフィは私たちの仇である。
だとしても、愛する人を失い狂っていた人にああやって皮だけを利用されて死んでくれとは思わない。
遣る瀬無い感情が私の中に残った。
しかし結局なぜ彼はリオンを助けたのか。
リオンを見ると愕然とした表情でヨゼボを見ていた。
「……リオン? 」
「……そういう、ことか……。
私は……私……」
彼女の言葉をかき消すようにバキンという板が割れるような大きな音がした。
振り返るとセルマが地下室の扉を蹴破っていた。彼は私の姿を見つけると一目散に駆けて抱き上げる。
「音梨! 大丈夫か!? 大丈夫じゃないな!? ああ、どうして、可哀想に、痛かっただろう。すぐ治すから……。
それでなんでヨゼボがここに……そして何故倒れてる? 」
セルマは早口にまくし立てながら私の頬を撫でる。
彼に触られると体の痛みが引いていった。
魔法を使ってくれたらしい。
「よ、ヨゼボは魔力が尽きたって……」
「ああそういう……。
お前だな、今私のいた部屋の扉を開かなくしたのは」
セルマがヨゼボを睨む。彼は疲弊しきっていたがセルマを睨み返しながらゆっくり立ち上がった。
疲れを見せたくないのだろう。相当プライドが高い。
「ああ。その女を殺すのに邪魔が入ると思ってな」
睨まれた私はサッと目をそらした。あんな殺意にギラついた目で見られたら石になってしまう。
「……ポーポフィはどうした」
「皮しか残ってないけど、そのままにしてある。私には触られたくないだろうしな」
「……死んだのか」
「そもそも闇の魔女に内臓を乗っ取られて生きていられるわけないだろ」
ヨゼボは黙って目を瞑った。
それから目を開けて「そうなんだよなあ」と小さく低く囁いた。
ヨゼボが黙ると、我々の間に沈黙が流れる。
セルマもヨゼボも相手の出方を伺っているのだろう。
やがてセルマがゆっくりと口を開いた。
「どうして闇の魔女が里にいることを隠していたんだ」
「獅子の里の者が闇の魔女に囚われたことを公表できるほど恥知らずじゃねえ。
こっちで解決するつもりだった」
セルマは何か言いたげにしていたが言葉にならなかったのか何も言わなかった。
言ってももう無駄だからかもしれない。
「これからどうするつもりだ」
「お前には関係無えよ」
ヨゼボはセルマに噛み付くが不意に額を押さえた。
セルマに水責めにされ弱っている。
今のうちに逃げるべき。クラウチングスタートをしようと体を動かすがセルマに押さえられた。
「……116年前のお前は容赦が無かった。同胞はお前に沈められ苦しみながら死んだってのに。大分衰えたか? そのまま衰弱して死んでくれると良いんだが」
「まだ成長途中なんだが……。
それに116年前は卑怯な奇襲を食らってなりふり構っていられなかったからな。
さて、じゃあ私たちはもう行くよ。このことは里の長の……いや族長の話し合いがあるだろう。
リオン、君はどうする? 」
セルマはそれまで押し黙っていたリオンに声をかけた。
彼女が顔を上げる。
私と同じ顔だが、何かが決定的に違う顔だ。
「……ここに残らないと」
「だが君のやったことを考えるとここにいたらまずいんじゃないのか? 」
「大丈夫大丈夫。なんとかなりますよ」
なんとかって……。
ヨゼボはリオンに生きる価値があると言った。
殺すことはないと思いたいが……だが彼女はヨゼボを殺そうとした。彼がリオンを許すとは思えない。
リオンを見つめると彼女はこちらを見て笑った。
何を考えているんだろう……。私は、彼女を助けられない?
「リオン……一緒にはいられないの……? 」
「あはは、まあそういうこと」
彼女は仕方ないな、とでもいうような顔をした。
「どうして……」
「おーい! 」
私が問い詰めようとした時廊下の先から声がした。