09.なにも考えられなくて
里からどれくらい歩くのかと聞くと、なんと魔法でひとっ飛びするそうだ。
「里の近くじゃこの魔法は使えないんだ。敵も近くに来させられるってことだから。
だがある程度離れれば出来る。結構魔力使うから連発は難しいが」
彼らの移動手段は基本的に徒歩か瞬間移動だそうだ。
それ以外の場合だと人力車を使うこともあるし、川や海なら船を使うそうだ。
動物に乗ったりしないのかと聞いたら、それをするなら幻獣の姿に戻って移動する方が早いと返ってきた。
魔法の使えない者にとっては厳しい世界である。
里から出たら危険が増すと、セルマから帽子を渡された。耳当て付きのニット帽。
すこし暑苦しいがこれを被れば耳が隠せるというわけだ。異世界人であるということはまだ里の人たち以外には知られてはまずいらしい。
里の外には森が広がっていた。
青々とした木々が美しい。どこからか川のせせらぎも聞こえてくる。
セルマによると、大抵の里の外側は森になっているそうだ。
この美しい緑の絶景は東京では見られないだろう。
咲いている見たことのない花々に改めて自分が遠いところに来てしまったことを実感する。
セルマに腕を引かれて森を歩いていると、小学校の時の遠足を思い出した。
昔から体だけは丈夫だった。
だからつい調子に乗ってドンドンと歩いていたら迷子になってしまったのだ。
薄暗い森の中1人で歩いているのは酷く心細かった。叫んでも誰からも返事はなく、私は無い頭を絞って遭難した時に川に沿って歩けばなんとかなるという先生の言葉を思い出しその通りにした。
どれくらい歩いたのか、私が麓にたどり着いたときには学校のバスバスもう無くなっていた。
誰も私がいなくなったことに気がつかなかったのだ。
これで私が遭難でもしていたら大事件になっていたが私は無事に山から出られたし、何よりこの事に関して問題提起する人は誰もいなかったから遠足の後も何事もなく学校生活が続いていった。
「文句の一つでも言えばよかったのに」とRION☆は言ったが、私は誰からも気付かれずに遭難した自分が、味方のいない自分が恥ずかしくて何も言えなかった。
「音梨? どうかしたのか」
「ううん。こういうところ普段歩かないから……」
私はなんでもないと首を振った。昔の嫌な思い出だ。
「そういえば君の世界は何やら大きな建物がたくさん並んでいて、土も見当たらなかったね」
「緑化計画頑張ってるんだけどね」
都知事にはもう少し頑張ってもらわないといけないようだ。
40分ほど森の中を歩いた。恐らくセルマ1人ならもっと早く歩けただろうが、木の根に突っかかったり水たまりに足を取られたりしていた私の介護によって時間がかかってしまった。
私はすでに息を切らすほど疲れていたが、それでもセルマはケロっとしていた。
納品する商品をカゴに入れて持った状態なのに。
健脚なんだな……。
「この辺りで移動しようと思うが……大丈夫か?
少し休むか……」
「いや……こんな……森の中で……休むより……その谷の館で……」
「わ、わかった。そんな息を切らすほどか……」
彼は私の肩を抱く。それからその大きな手で目を隠された。
「慣れないうちは酔うから、目を瞑っていなさい」
言われた通り目を瞑ると、風切り音が耳をかすめた。
辺りの空気が一変し、喧騒が聞こえる。
「もう目を開けていいぞ」
手を外されて顔を上げる。
そこは不思議な場所だった。
本当に谷なのだ。ただの谷。
そこの合間合間に明かりが灯り、屋台が広がっている。
谷自体が大きなマンションのようでとても楽しい光景だ。
「すっごーい!! なに、わ! あれ! なんだ!? 」
「落ち着けって。ほら」
はしゃぐ私を宥めるように笑うセルマに手を差し出され、私は恐る恐るその指を握った。
「絶対はぐれるなよ」
慌てて腕ごと掴む。
人間だとバレたら食われてしまうかもしれない……。
「そ、そこまで警戒しなくても……。
獅子の血族だけ注意して入ればいいけど、一応な? 」
「他の血族は大丈夫なの? 」
「うーん……少し心配ではあるが食べたりはしないから」
我々人類は厄介な血族に目をつけられたものだ。
「今日は人が多いな」
そう言いながらもセルマは慣れた様子でズンズンと進んでいく。
どこになにがあるかすっかり把握しているらしい。
「今日は何かあるの? 」
「んー……? あ! そういえば今日は白い剣の日だ」
「白い剣? 」
「昔あった戦争が終わった日だよ」
終戦記念日らしい。
辺りを見回すが、それらしいものはない。
終戦記念日にかこつけて商売をしているということだろう。
「あ、いた。あいつらだ。
今から会うのは一角獣の血族だから安心していい」
彼が指差したのは小さな荷台に謎の商品を沢山乗せた店だった。
一角獣のお店か……やっぱり娼婦の子宮とか売ってるのかな。
「おーい、マリティ、ラジュブル! 」
彼が呼ぶと、荷台の側にいた2人の人物が揃ってこちらを見た。
1人は輝かんばかりの銀の波打つ髪をした美女、もう1人は同じような銀髪だが適当にひつつめた気だるげな表情の青年だった。
女性額からは長く鋭いツノが一本生えている。さすが一角獣。
しかし、青年の額にツノはない。
どうしてだろうとマジマジ顔を見ていると何かを思い出す。
見たことがあるような……。どこかのバンドマンだろうか?
完全感覚dreamer的な。
「ルシャンデュ、お久しぶりだわ! 」
女性はにっこりと微笑んでセルマに腕を差し出した。
セルマが握手しようとすると「あら違くてよ! 商品を渡してちょうだいな! 」と言った。
「そういうことか……恥ずかしい……。
ほら、これだろう?かなりの数頼んでいたな」
「ランプって必需品だから一定数の需要があるのよ」
私はそっと彼らの商品を見た。
雑貨から衣類まで様々だ。
……不思議なことに日本で売っているような下着が置いてあった。てっきりこちらの世界はスポーツブラタイプしかないと思ったが……それにあの生地化繊じゃない? 化繊がこの世界に?
「それで、そちらの女の子は? 」
女性の空色の目が私を見る。
私がブラジャーを見ていたように彼女も私を観察していた。
「彼女は私の婚約者。西東部 音梨だ」
「ああ……」
今まで言葉を発さなかった青年が気の抜けたような声を出す。
セルマは彼には話していたのだろうか。
彼はにこりと私に微笑みかけてきた。
「僕はラジュブル・クルッジョです」
「私はマリティ・スアンよ。よろしくね」
「西東部 音梨です。よろしくお願いします」
マリティ・スアンは満足気に笑ったあと、急に不安そうな顔をした。
人間だとバレてしまったのだろうか……胸がどきっとする。
セルマはそこまで警戒しないでいいと言っていたが……。
「ルシャンデュってば……彼女、私の美しさに見惚れているわ。いやだわ、私、あなたから彼女を奪う気なんてこれっぽっちも無いのに……ごめんなさいね……」
なにを言っているんだろうこの人。
いきなりのぶっ飛び発言に私が顔を引きつらせているとラジュブル・クルッジョが「無視していいから」と呆れたような声で言った。
彼女、常にこんな感じなんだろうか。
「大丈夫、彼女は君に一切興味がないから」
「それはないわよ。目がある者は私の美貌に、耳がある者は私の美声に、心を奪われてしまうのだから……美しさって残酷よね」
彼女は目を潤ませ申し訳なさそうにセルマを見つめた。
その横でラジュブル・クルッジョがため息をつく。
それから私に向かってこう言った。
「本当にごめんね、この人いつもこうだから。気にしなくていいんだよ。鳴き声だとでも思ってて」
セルマは慣れているのか、ナルシスト美女の発言には一切気にも止めずに「納品数確認してくれ」とだけ言った。
「大変だね……」
「商才はあるんだがな……」
残酷なことだ。
「……音梨、と言ったわね……ごめんなさい、あなたの気持ちには答えられないの……」
「いや全然。なにを勘違いしてるか知りませんけど答えなくていいです」
「生きとし生けるもの全てを魅了してしまう私が悪いのよね……。
もしあなたが望むなら、一夜だけの関係なら……」
「なに口説いてんの! 」
クルッジョが素早くスアンの腕を引いた。
一夜だけの……。
思わずセルマの顔を見た。彼は眉ひとつ動かさずに「後金を貰おうか」と言っていた。
「せ、セルマ、私今、とんでもないこと言われてたよね? 」
「無視しなさい。反応すると喜ぶから」
「本当にごめんね……気持ち悪いよね……。
どうもスアンさんの好みに音梨さんが合致してしまったみたいだ……」
「……お、おやおや……」
「君みたいな可愛らしい少年少女が特に好きなんだ……まあ殆どの男女が好きみたいなんだけど……」
ナルシストな上に?
どれだけカルマを重ねれば気が済むのだ。
「スアンさん、お客様に手を出さない約束じゃんか」
「私は何もしてないわ。強いていうならこの美貌が……」
「あんたの妄想だよ」
「まあ、クルッジョってば酷いのねえ。
嫉妬しないでちょうだい?
はあ……もう少し可愛ければねえ……」
どうやら彼女の世界では、人は皆自分のことが好きということになっているらしい。幸せな世界だ。
「そういえばラジュブルは幾つになったんだ? 」
セルマが全く関係ない質問を振る。
それに彼はホッとしたように息を吐いた。
この話を続けたくなかったのか、セルマが怒っていないと安心したのか、どちらかだろう。
「21歳ですよ」
エッ!? 21!? すごく……身近な歳だ!
121の間違いだったりするだろうか?
「まだ若いのに、よくまあ……頑張ってくれ」
「ノウハウ盗んだらとっとと独り立ちしますよ……」
彼は遠い目でスアンを見た。
早く盗めるといいね、と思いつつ私は彼に疑問をぶつけた。
「あ、あの! 本当に21歳? 」
「へ? うん。
あ……もしかして大人に見える……? 」
「いや妥当。
だけど……私に年が近い人初めて会ったから……」
大人に見られたかったのかクルッジョは残念そうに肩を落としたが、私が17だと伝えるとおお、と驚いた声を出した。
「セルマさんってば、随分とまあ……歳の差が……。
スアンさんのこととやかく言えなくない? 」
「私はそういう性的嗜好ではないから」
「そう願っときますよ。
にしても、音梨さんは17かあ。
本当に僕と年変わんないね。スアンさんなんて、873歳なのにあんなんだからさあ……」
873!!
まさか、ミレニアム近い年をあのテンションで積み重ねていったのだろうか?
「今朝も、そう、ちょうど音梨さんくらいの背の子に訳のわからないこと言って口説いて大変だったよ」
「節操ないね」
「あら変なこと言うのやめてちょうだい!
向こうが熱い視線で私のことを見てきたのよ……」
「頭おかしいなって遠巻きに見てたんじゃないのかな。
全く、あのヨゼボの連れだったんだから危なかったよ? 反省してくれないと」
ヨゼボ。
その名前に体が震えた。
あの男がここに?
「今ヨゼボって言ったか? 」
「わ、なんか怒ってます? 」
「いや……ちょっと揉めたんだ」
「ああ……なるほど……。
今朝……本当に朝早くにヨゼボと連れの子がここに来て仮面を買ってましたよ。
変な子でしたねー。声ガラガラで老人みたいなのに見た目は痩せ細った浮浪児みたいで。
ヨゼボの部下なのかな……それにしては……」
ロニだ。
あの2人は里から出た後ここに立ち寄っていたのか。思わず身震いする。
もう彼らの根城に戻ったと思ったが、まさかまだここにいるんじゃ……。
「ヨゼボはどこに行った」
「さあ……。ただちょっと疲れてたみたいでしたからまだこの辺りにいるんじゃないかな。あれじゃ獅子の里まで移動出来なさそうだし」
「……早く戻ろう。ヨゼボに会ったら最悪だ」
「あ、待って」
すぐにでも帰りたいがこれだけは聞いておかなくては。
「連れの子はどういう感じだった?
顔は見た? 」
「どういう……さっき言った声以外特におかしなところは無かったかな。
顔は帽子を目深に被ってて顔を見てないけど特徴的なところは何も……。
スアンさんが訳のわからないこと並べ立ててもさらっと流してたね。逆にヨゼボの方がイライラして怒ってたかな」
顔の火傷は無くなっていたのか。
しかし、それ以外彼女の手がかりはなさそうだ。彼女の正体を知りたいのに……。
「知り合い? 」
スアンが小首を傾げて聞いてくる。
可愛らしい仕草だが873歳である。
「そういうわけじゃないんだけど……」
「あの子のことが気になるのね……。わかるわ。あの燃える炎のような目……いつか己の身を焦がすんじゃないかと心配になるわ……」
ちょっと何言ってるのかわからない。
スアンをちらりと見ると、彼女は沈痛な面持ちで遠くを見つめていた。
……もしかして、彼女についてなにかわかった……?
「私が救ってあげたいわ……そう、例えばこの完璧な肉体を使って」
「本当にごめんね。穢らわしいね」
クルッジョがすかさずスアンの腕を引いて私から離した。
どうしようもない。
私がやれやれとため息をつくと、不意に辺りが暗くなった。
周りから悲鳴が聞こえる。
太陽が雲で隠れた……というわけでは、周りの反応からしてなさそうだ。
何事かと空を見上げるとそこには不気味な何かが広がっていた。
真っ黒でドロドロとした、まるでヘドロのような巨大なものが空に浮かんでいた。
「闇の魔女だ……」
魔女……?
あれは生き物というよりは何かの物体に見える。意思もなくただよう……水に浮かんだ油のように。
私がぽかんと空を見上げていると、セルマに腕を引かれその体に包まれた。
周りの人たちも一気に臨戦態勢となり谷の館に緊張感が走る。
「なんでアレがここに……」
「なんなのあれ? 」
「闇の魔女の目だ。こうやって私たちを見下ろして観察している」
「闇の魔女って? 」
「その昔、秘術が生み出した恐ろしい生き物だよ。
世界からより多くの命が消えることを生き甲斐にしている。
この間まで西の山に引きこもっていたのに……また何か企んでいるのか? 」
セルマは鋭く闇の魔女を睨み、私を抱きしめた。
クルッジョは商品をそそくさと片付け闇の魔女を観察している。
スアンは、先ほどまでのふざけた態度から一変して忌々しそうに魔女を見つめていた。
「スアンさん、手出したらダメだよ! 」
「そんなことしないわよ…………」
低い唸るような声だった。
今にも飛びかかりそうな彼女の態度にどきりとした。
闇の魔女はゆっくり谷の館の頭上を旋回していたが、5分もしないうちにまたゆっくりと来た方向へ戻っていった。
辺りに太陽の光が戻ってくる。
ホッと息を吐いてセルマから離れた。
が、彼はまだ私の腰を抱いたままだ。
少し嬉しいけどかなり恥ずかしい。
「12年でもう動けるようになるとは……」
「……いやね、ほんと。なんとかしないと……早く……」
「隠れて闇の魔女に従属している人が多いらしいですよ。絶大な力に惹かれるみたいですけど、その力は生物を殺して得た力だってわからないんですかね」
名前を言ってはいけないヴォルデモートのようなものだろうか?
それにしては随分粘性だったが、異次元に来ると溶けてしまうんだろうか。
「従属……? 」
「そうです。闇の魔女に従属して、自分もその力を分けてもらおうって魂胆ですよ。
……あ、そういえばヨゼボの里も闇の魔女に従属してるらしいけど……」
「あいつらはあんなんでもプライドはあるだろう? 」
「噂ですけど、闇の魔女を里で見たって。
里が潰れてないってことは闇の魔女と繋がりがあるんじゃないかって言われてますね」
どうもあのヨゼボはこの世の悪をかき集めないと気が済まないらしい。
そんなに悪役全開で何が楽しいんだろうか。
やっぱり、階段から「well,well,well…」と拍手しながら言いたいのか。
「今日はもう帰ろうか……。
ヨゼボもいて、闇の魔女もウロついてるんじゃ危なくて仕方ない」
「せっかく白い剣の日なのに。なんか買っていきなさいよ」
「んー……何がある? 」
「ランプ」
セルマはさあ帰ろうかと私の腰を寄せて歩き出した。
後ろでクルッジョが気をつけてと言っていた。なんだか聞いたことのある声なような。
腰を抱かれていると歩きにくいけど嬉しい……けど歩きにくい。
「セルマ、歩きにくいよ」
「そうか? 」
「手、繋ぐのじゃダメ? 」
「まさか! 」
彼は私の腰から手を離すと、そのまま私の手に指を絡めた。
恋人つなぎだ……。ドキドキする。
「なんか照れくさいね」
「だけどずっとこうしていたい」
その直球な言葉に顔が赤くなる。
でも私もずっと……
その時だった。
背後から爆音と悲鳴が上がり、砂埃が舞い上がる。
「ギャア!? 」
「なっ!? 」
予想外のことに彼の手が緩んだ。私は全身の力が抜け大きく転倒してしまう。
「音梨! 」
*
砂埃が辺りを全て覆ってしまった。
目が開けられない。
セルマはどこ?
「セルマ! セルマー! 」
彼の名前を叫ぶとどこからか「音梨! どこだ!? 」と聞こえてきた。
近くにいるのに!
目が開けられないからどこにいるのかもわからない。
私は闇雲に体を動かした。どこかに必ずいるセルマの元へと行くために。
「あっ!? 」
闇雲に体を動かす……というのは良くなかったようだ。
私は何かに躓き、そして宙に投げ出された。