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08.ただ、一人にしないでほしい。側に居て。

真っ赤な池のようだった。
辺りから漂ってくるのは血の匂い。
母を呼ぶ。返事はない。父を呼ぶ。返事はない。
どうしたらいいのかわからない。なんでこんなことになっているんだろう。
 
父の目は見開かれたままだ。
死んでから時間が経っている。
私は友達とかくれんぼして遊んでいた。私が遊んでいるその時、両親は喉を掻き切られていた。
 
「音梨……音梨! 大丈夫か!? 」
 
体を譲られハッと目が醒める。
両親が強盗に殺された時のことを夢に見ていたようだ。
暫くはこんな夢見てなかったのに……ロニの襲撃で嫌なところを刺激されたらしい。
 
「うなされていた……ああ、酷い汗だ」
 
セルマがゆっくりと私の額を拭ってくれる。
優しい手。
 
「どうした……?
悪い夢を見たのか? 」
 
「うん……親が、強盗に殺された時の」
 
「……君は、見てしまったのか? 」
 
「……血が……たくさん……」
 
涙が溢れ出てくる。
あんなもの見たくはなかった。両親の最後の顔が、あんなに苦しげな顔だなんて知りたくなかった。
 
「音梨……苦しかっただろう……」
 
セルマが私を抱きしめた。
私は彼を抱きしめ返す。この彼の感触は少しだけ私の心を落ち着かせてくれる。
 
「2人は……血塗れで、でも私、通報できなかった……110番すらできなかった……だから、ずっと2人のこと見てたの……近所の人が気がつくまで……」
 
丸一日、私は2人をただ見ていた。
発見された時私は両親の血で血塗れだったらしい。
なんでこんなこと……もう忘れたいのに……。
何度も何度も忘れよう忘れようとして、そして今までは忘れられていたのに。
 
「怖かっただろう……」
 
「悲しかった……」
 
「そうか……そうだよなあ……。悲しいよな……」
 
彼の手が私の背中を優しく摩る。
ああ、幼い頃の私に誰がこんなことをしてくれただろうか。
ただ周りは遠巻きに私を見ているだけであった。友達は脳内の友達……金髪碧眼のイマジナリーフレンドRION☆だけだった。
そんな彼女も私に慰めの言葉をかけるでもなくただ私を責め立てた。
彼女は笑いながら、怒りながら、私を追い立てた。
 
「私はただ見てるだけしかできなかった……私……」
 
嗚咽が止まらない。父と母の虚ろな瞳が私を見つめている気がした。
 
「それで良いんだよ。幼かったのに君は逃げ出さないで両親の死を受け入れたんだ。それで……それだけで良いんだ。罪悪感を感じるべきじゃない」
 
セルマの優しい言葉は私の心にゆっくりと沁みていく。
 
「いい子だ。もう寝よう……大丈夫。私がずっとこうしているから」
 
「……セルマは私を1人にしないんだよね? 」
 
声が震える。伺うようにセルマを見ると、彼は優しく微笑んだ。
 
「しないよ、大丈夫。
1人は辛い……寂しくて苦しいから。私は君をそんな目に遭わせない」
 
そう。1人は苦しいのだ。
耐え切れない。
セルマに抱きしめられ、何度もなんども背中をさすられる内に私はいつの間にか眠っていた。
 
次に気がつくと、セルマに抱きしめられたまま横になっていた。
彼の顔に陽の光が当たっている。
ずっとこのままで、朝を迎えてしまったのか。
 
昨夜のことを思い出し悶絶する。
すっかり彼に甘えてしまった。
 
「ん……起きたか? 」
 
セルマは私を見るとよしよしと頭を撫でてくれた。
 
「お、おはよう……ございます……」
 
「おはよう。気分はどうだ? 頭は痛くないか? 」
 
「も、もう全然……ご迷惑おかけして……」
 
「迷惑なわけないだろう?
君の苦しみを少しでも和らげられたいんだ」
 
彼の言葉にまた泣きそうになった。
なんでこんなに私に都合の良いことばかり言ってくれるんだろう。
彼の半分は優しさで出来ているんだろうか。
 
「何泣いてるんだ……」
 
ちょっと困ったような、呆れたような声だ。
 
「優しさが身に染みて……その優しさに甘やかされてるなって……」
 
「こんなことで泣かないでくれよ。私はまだまだ君を甘やかし足りない。もっと甘えてくれないと困るよ」
 
なんて優しい……。最早バファリンの域を超えたんじゃないだろうか?
 
「なら……朝食はあの赤い果物がいい……」
 
トマトとイチゴを足して割って薄めて更に杏を混ぜたような味だ。これが存外美味しい。
 
「そんなことでいいのか、お安い御用だ」
 
よしよしとまた私の頭を撫で、セルマは体を起こした。もう起きるらしい。
 
「今日は昨日集めてる途中だったフイスン石を集めるのと、加工するのをやるんだ。手伝ってくれ」
 
まるで新婚のような朝を終え、私たちは再びあの湖に来ていた。
 
「……もう来ないよね……? 」
 
獅子たちの襲撃を思い出し体が震える。
 
「……あの、ロニっていうのは何がしたいんだろうか」
 
「私に元の世界に帰ってほしいらしいよ」
 
「んー……それって本音か?
あいつにはおかしいところが沢山あるんだ。まず、この湖に近寄れること。あのヨゼボだってあそこまでは来られないだろうに、あいつは一切恐怖を感じていた様子はなかった。
それから身元を隠そうとしていたところも不思議だ。顔を焼いてまで晒したくなかったのは何故だ?
それになにより、ヨゼボが片腕を失ってでもロニの身元を取り返したかった理由もわからない。彼女に完治の呪いまでかけて……」
 
「LOVE……とか? 」
 
セルマがまさか、と首を振る。
 
「ヨゼボにそんな感情があると思えないな。
冷酷冷徹な奴で、ある人間の里を滅ぼしたこともある悪食だ。滅ぼしたのは人間の里だけじゃないが……」
 
「こわ……」
 
もうあの男と出会いませんように。私は手を握りしめ天に願った。
しかし私の願いが叶ったことは殆ど無い。強いていうならイケメンの旦那様が出来たこと。これが叶うとは思わなかったけれど。
 
「もし、またあのヨゼボってのが来たらどうしたらいい? 」
 
「何かするつもりがあるなら前回の襲撃で……でも何もして来なかったということは君に興味はないんだろう。
出会ったら刺激しないようその場を離れなさい」
 
猛獣に出会った時と同じアドバイスじゃないか。
 
私とセルマはそれぞれに昨日のことを考えながら石を選り分けていた。
……私がこの世界に来たのは間違いだったんだろうか。
こっちに来ないで、日本でセルマと結婚したらよかったんじゃ?
 
「獅子の血族は人間の私を殺したいのかな」
 
「獅子の血族は基本的に獰猛で、人間だろうと不死鳥だろうと一角獣だろうと気に入らないことがあれば殺そうとしてくる。
だが一部獅子の血族内で、人間を殺して幻獣たちだけの世界に戻すべきだという思想が広まった。それがあのヨゼボ・フィースの里だ」
 
デンジャーオブデンジャーというわけか。
 
「あの里の半数は沈めてやったんだがしぶといもんだな……」
 
セルマはさらりと爆弾発言をした。
そんな害虫退治みたいな……。
それから彼はふと手を止めてぼんやりと遠くを見た。
 
「人間も我ら幻獣の仲間だと認めるべきだったんだ……」
 
ポツリと呟いたその言葉の真意はわからず、私はただひたすらに石を選り分けた。
 
 
暫く石を分けていたがセルマがこれくらいでいいというのでそれをカゴに入れて、あのランプ屋に戻った。
一階の店の奥の作業場に向かう。そこは木でできた机がいくつも並び、その上にゴチャゴチャとした器具が置かれていた。
 
「これを加工するの? 」
 
「そうだ。
普段は大きいのばかり取れるから粉砕してサイズを整えるが、ちょうどいいサイズのがこれだけあればその必要はない」
 
セルマは作業台に置いてあったタライの中に乳白色の水を入れ、更にそこに取ってきた石を入れた。
 
「これで軽く洗うんだ。
優しくかき混ぜておいてくれ」
 
「了解したんだぜ! 」
 
米とぎの要領でかき混ぜて洗う。
米とぎなら白く濁りだんだん透明になるが、これは最初から白く濁っている。
どれくらい洗えばいいんだろう……。
 
セルマは作業場の奥の、金属のバケツが大量に置かれたスペースで何かをしていた。
 バケツに水と色の付いた粉を入れている。
 
「もうそれくらいで大丈夫だ。ありがとう。
そしたらそれをこの中に入れて、色を付けよう」
 
洗い終わった石を渡すと、彼は適当に石を掴んでバケツに入れていった。
バケツはそれぞれ赤から紫まで美しいグラデーションを描いて置かれている。
 
石を全てバケツに入れ終わると、彼はバケツが置かれた台の下……管が通っている……を見た。
 
「これを温めて色を定着させる」
 
そう言って彼は管の一本を叩いた。私が見た限りでは管に変化はなかったが、バケツから出た湯気で徐々に温まっていくのがわかった。
 
「半日くらい放置しておく。これで石は加工が終わって、後はああやってランプやアクセサリーにするんだ」
 
「図工みたいで面白いね」
 
「図工?
まあ面白いならよかった。
暫くは時間があるし里の中をウロついてようか」
 
私は大きく頷いた。
里の中をまだ探検したりない。
この不思議な街を見て回りたかった。
 
*
 
里には色々なものがあった。
恐らくこの中だけで全てが完結するのだ。
どんな店もあるし、大浴場などの生活に欠かせないものもある。
そしてなにより不死鳥の人々には陽気さがあった。
皆がずっと笑顔微笑みの国というわけではない。あるところでは喧嘩している声がするし、あるところでは泣き喚く声も聞こえる。
だが日本で暮らしていた時に常に感じていた寂しさはなかった。
人々が常に誰かを気にかけている……そんな気がした。
 
「ルシャンデュと、ええっと……サイトウブ、だったかな? 」
 
結婚するとどちらかの家名を名乗るようになるらしいが、私はそのままサイトウブと名乗っていた。
 
「そうです」
 
「可愛い嫁さんだね。羨ましいよ。
俺の嫁も昔は可愛かったんだけど、今じゃ俺を邪魔者扱いしやがる」
 
コロンボもこんなこと言ってなかっただろうか?
どこの世界でも、妻というのは夫を邪険にするものらしい。
私は大浴場の前にいたおじさんに頷く。
 
「子供はいるんですか? 」
 
「ああ、娘が2人。もう仕事に就いてるけどな……嫁に似たみたいで3人で俺に小言を言ってくる。たまったもんじゃないぜ」
 
父娘の関係も似ているらしい。
私はこのおじさんが3人の女から詰められているところを想像して笑ってしまう。
 
「笑ってくれるなよなあ!
ルシャンデュも今は可愛い嫁さんだろうけど将来気をつけろよ?子供が生まれたら夫なんて二の次三の次だぞ」
 
その言葉にどきりとした。
子供が生まれたら……そう、私はそもそもそのために呼ばれたんだった。
そして三年したら元の世界に戻る……それがセルマとの約束だ。
 
「想像できないな……意地悪はしないでくれよ? 」
 
「し、しないよ……多分」
 
おじさんは仕事に戻ると言ってその場を去っていった。
 
私は、まだこの世界に来て3日目だというのに、そして昨日あんな目にあったというのに、この世界から戻りたくないと思い始めていた。
だがここに居てはいけないと確かに何かが叫ぶのだ。
 
 
 
「おーい! お二人さーん! 」
 
通りからこちらに向かって走ってくる人影があった。
シンシャさんだ。
 
「どうかしたか? 」
 
「いえね、ルシャンデュさんがサボっているのが見えたんでお仕事を頼もうと思って」
 
「サボってないサボってない。案内してたんだ」
 
「今日じゃなくていいでしょうに。
完成品を納品して来てください」
 
「君は本当に遠慮がないな……」
 
セルマは遠い目でシンシャさんを見た。
嬉しいけど、でもやっぱり仕事をするべきじゃ。
シンシャさんは彼の言葉に首を振った。
 
「何言ってるんですか。遠慮してるから仕事を一つしか頼んでないんですよ。
谷の館までですから近いですし、お願いしますね」
 
「谷の館……? 」
 
それはどこなんだろう?
里に谷など無いし、もしかして里の外なんだろうか。
という私の予想は当たった。
なんでも、里から少ししたところに谷があってそこで色々な人が集まって商売をしているらしい。他の血族の商品が出ているので楽しいとのことだ。
 
「なんで館なんですか? 」
 
「いろんな人が集まってそこで物を売ったり寝泊まりするもんだから大きな館みたいだって、そう呼ばれるようになったんだよ」
 
館と聞くと蝋人形の館しか思い描けないが、話を聞くにショッピングモール……のような感じだろうか?
 
「へえ……楽しそうですね」
 
「楽しいよ。そうだ、音梨ちゃんも行ってきたら? デートついでに」
 
デート……!
思わず仰け反り倒れるところだった。
そうか、私とセルマが出歩けばそれはデートになるのか……。
 
「うん、なら行こうか」
 
彼はサッと立ち上がった。
そして私の手を取る。
 
「あら、急にやる気になりましたね」
 
「谷の館でゆっくりデートさせてもらうよ」
 
思わず彼の言葉に赤くなった。
セルマは私の顔を見ると、フッと笑いながら私の耳に唇を寄せた。
 
「そう可愛い反応してくれるな。また口付けしたくなる」
 
この男の色気で膝から崩れ落ちなかった自分を褒めたい。

アンカー 1
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