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01.思えば、初めて会った時から魅了されていた。

 

「いらっしゃいませー」
 
店員のやる気の無い声が聞こえる。しかしやる気が無いなりにやる気があるのか、一応の体裁なのか、店の奥から姿を現した。
こういう小さな雑貨屋で店員に見張られていると物色しにくい。
私はその気怠げで銀髪の(銀髪! なんてロック!)若い男の店員と目を合わせないようにしながら適当に棚を見る。
よくわからないものばかりだ。合成獣の鱗、龍の髭、不死鳥の羽……どこで手に入れたのかも真偽も不明だ。
外観の雰囲気が良かったためつい入ってしまったが、怪しげな店に入ってしまったと気がついて慌てて出ようとした。
 
「あっ」
 
「えっ?」
 
「これ可愛いんじゃない?」
 
彼女は私に謎の龍が巻きついた水晶のストラップを見せてきた。
どこの地方の土産屋だよ。
 
「いやどうかなあ。ダサいと思うけど」
 
「そんなことないって。黒いし、かっこいいよ?
それに安い。450円!」
 
「ビミョー……」
 
直径10センチくらいの水晶だし確かに安いが欲しいかと言われたら別だ。そもそも水晶かどうかもわからないし。
 
「買ってみたら?」
 
「なんでよ」
 
「あのお客さん?」
 
気がつくとやる気があるようでないようである店員が私の側に立っていた。
彼は怪訝そうな顔でこちらを伺う。
 
「誰と話しています?
当店通話は禁止なんですが……」
 
しまった。つい癖でイマジナリーフレンドと声を出して話していたらしい。
 
「すみません、想像の友人が……」
 
「え? 想像の?
ヤバいやつじゃないですか。それ買うなら早く買って出てってください」
 
「客商売してるとは思えないほど正直」
 
店員は私から謎のストラップを奪うとさっさと梱包してしまった。
仕方がない。私は450円払い店を後にした。
店員はもう帰りなさい!と私の背中に向かって叫んでいた。
 
「ちょっと妄想と話してただけなのにひどい話だ」
 
謎のストラップを高校の鞄に付ける。
うむ、修学旅行にはしゃいでいる中学生男子のようだ。
私は満足し、重役出勤並みのこの時間に学校に向かった。
 
 
 
私が教室に入ると、騒がしかったそこはシンと静まり返る。いつものことだ。
ヒソヒソと私を見ながら何か話す奴もいる。
前なら目障りだと言って喧嘩をふっかけたが最近は私が近づくとサッと逃げるようになったのでそんなこともしていない。
 
「西東部さんどうして遅刻したんですか?」
 
新任の教師が怯えながら聞いてくる。
彼女は今年入ったばかりだというのに、元担任が事故を起こしたり、その次の担任がアイドルを目指すと言って同僚2人と共に辞職したりなんだりでいきなり高校2年生の担任になったのだ。
今まで色々失敗し保護者からあれこれ言われたため、高校生相手に怯えている。
 
「お腹が痛くてー」
 
「そ、そうですか。保健室は行かなくて平気かな?」
 
「もう治りましたー」
 
「そう、なら、その、席に着いて。
授業を再開します」
 
言われた通り席に着き教科書を開く。
こんなに教師に従順なのに怯えられるのは心外だ。もっと暴れている奴らはいるというのに。
 
 
 
お昼、中庭でのんびりケバブを食べていると見知らぬ生徒が私に喧嘩をふっかけてきた。
調子に乗っていて鬱陶しいとのことだったが、私が立ち上がるとそれだけで逃げ出してしまった。
身長161.8センチ、体重53.7キロである。棚橋じゃあるまいし、そこまでビビるくらいなら何故喧嘩を売ってきたのか不思議である。
これは私にまつわる噂によるのだろう。
なんでも、私は一年生の時アメフト部に所属する上級生5人をひと蹴りで沈め、二年生の時は気に入らない教師にヘッドロックをしかけ、今年の春にはスペインでルチャ・リブレをし勝ったことになっている。
何故そんなことになったのかもわからないし、最後だけあまりにも非現実なのはなんなのか。
確かに一年生の時、私に突っかかってきた上級生と喧嘩をした。しかしそれは華道部のたおやかな乙女とした些細な口喧嘩だ。華道部のあの細っこい先輩たちはどんな気持ちでアメフト部と戦ったことになったという噂を聞いただろうか。
また二年生の時の先生にヘッドロックをかけたというのも大嘘である。気に入らない教師のカツラを取っただけだ。
あの教師からしたら、カツラをしていると噂をされるよりはヘッドロックかけられたと噂をされた方がマシかもしれない。もしやあの教師が嘘をついた……?いやまさか。
もちろん、今年の春スペインになど行っていない。どこにも行ってないし、ルチャ・リブレなんて行なっていない。ただ、美術の時間にエル・サントの似顔絵を描いたというだけだ。
それがどう曲解されたら私がルチャドーラになるのか全くもって意味がわからない。私の顔が濃いから外国人だと思ってるのか……。確かによく英語で話しかけられるがそれに私は日本語で返す。
それに、外国人だとしてもルチャドーラになるというのは意味が不明だ。
 
ケバブの最後の一口を口に放り込み、私は立ち上がった。
帰ろう……。こんな、私をルチャドーラとして恐れている人間しかいない学校にいるなんて時間の無駄だ。というのは建前で、今日の残りの授業は国語と歴史。嫌いな分野だ。
 
その時後ろから男子学生の話し声が聞こえてきた。
 
「おい、西東部のやつ、ケバブ食ってたぞ……」
 
「なっ!? タコスじゃねえのかよ……信じらんねえ。
あいつの魂はメキシコにあるんじゃねえのか!?」
 
「トルコに魂売ったっていうのか……」
 
何故ケバブを食べていただけでここまで言われなくてはならないのか……。
包み紙を丸めて彼らに投げつけると、2人は「ヒエ! ジャべはやめてくれ!」と逃げ出して行った。
生きづらい世の中だ。
 
 
 
傾きかけの日本家屋—大叔母の家に戻り、黒ずんだ畳に倒れこんだ。痛い。
12年前に両親は強盗に殺され、大叔母に引き取られた。
両親が殺された時のことは覚えていない。この家で殺されたらしいのだが、大叔母がその部屋を封じてしまった。
大叔母はフラダンスが趣味で一年のうち3分の2いやうそ10分の9はハワイに行っている。
ネグレクトもいいところだ。
 
「なんかいいことないかな」
 
買ったばかりの謎のストラップを見る。
そこにはぼんやりとした、どこか不安げな顔の女がいるだけであった。
 
 
 
あの謎のストラップを買ってから2週間経った。
特に変哲のない毎日だった。変わったことと言えばいつのまにか私はルチャドーラから少林寺拳法の達人ということになっていたことくらいか。
 
そう、変哲のない毎日だったと思っていた。
しかしどうやらそんなことはなかったらしい。
 
私は自分にのしかかる褐色の大男を見上げた。
はて、どこから侵入したのか。私はこれから何をされるのだろうか。
やはり可能性として高いのは人身売買か。それもこれも大叔母さんが私をネグレクトするから……
 
「聞いてるか?」
 
軍服のような、かっちりした服を着た大男は訝しげな顔で私を見下ろした。
惚れ惚れするほどに美しい。
こんな状況でなければ「あっ、あの! 写真撮っても良いですか……? え? 事務所を通して? そんな殺生な! どうぞ一生のお願いですから写真を撮らせてください!」と五体投地をしただろうに。
私は男を必死で睨みつけた。
 
「な、なんですかあなた! どこから侵入したんです!? 誰なんです!? 写真撮っても良いですか!?」
 
いつものように学校から帰って布団でゴロゴロしていたら何やらポワンとかシュワンとかそういった可愛らしい音と共にこの男が現れ私に覆いかぶさってきたのだ。
あの音が窓ガラスを割る音やドアをぶち破る音とは到底思えない。どこから入り込んだ。
 
「君こそその武器を下ろしてくれないか!?
危なくて会話も出来ないんだが!」
 
私はハッとして手を見た。
咄嗟の判断だったので一切気がつかなかったが、どうやら私はこの男を見た瞬間部屋の隅にあった金属バットを取り振り下ろそうとしていたらしい。無意識ってすごいね。
なるほど、それで彼は私に覆いかぶさっていたのか。防御のために。
 
「つい……」
 
私が金属バットから手を離すと、それはこの男の足に直撃したらしい。
彼の声にならない悲鳴が聞こえる。
 
「わざとじゃないよな……っ!?」
 
それでも彼は私から離れようとしない。
まだ私が攻撃すると疑っているようだ。
 
「もちろん偶然ですよ。
ほら離してください」
 
「絶対に何もしないと誓えるか?」
 
「それはあなたの出方次第です。
っていうか本当にあなた何者なんです!?
私、ちゃんと戸締りしてたのに……」
 
「ああ、そうだな。
そういう込み入った諸々の話をしたいからとにかく君に落ち着いてもらいたい……から!拳を作るのやめてもらえないか!? 」
 
「やだつい……。
私ったら、攻撃性が高いんだから! 」
 
「可愛くないことを可愛く言うなよ……」
 
男はなお私が握り拳を離さないのを見て1つため息をつくと、私から手を離し後退した。
180はあろう大男からの筋肉の圧迫感が消えホッと息をつく。
 
「君に危害を加えるつもりは毛頭無い。
信用できないなら縛ってくれても構わない」
 
「ええ!? 私亀甲縛りしか出来ませんよ?
っていうか初対面でいきなりSMプレイとかハードですねー! 
わかりました、取り敢えず鞭持ってきますから待っててください」
 
「……何を言っているのかわからないが、鞭はいらない」
 
「なるほど、ロウソクがいいと?
でもウチ低温ロウソクなんてありませんよ」
 
「ロウソク?
こんなに明るい照明があるじゃないか? 
……わかった、縛らなくても会話できるならこのままで話すぞ」
 
男は畳に胡座をかく。
私もつられて布団に胡座をかいた。
 
「……下着見えるよ」
 
「どこ見てんですか! 変態!
でも特別に教えてあげますね、今日の下着は鶏柄なんです」
 
「聞いてないから、胡座をやめなさい」
 
仕方ないのでヨガのワシのポーズをすると、見てるだけでこっちが辛いからやめなさいと言われた。
私も辛かったので普通に足を投げ出した。
 
「……ハア……なんかもう疲れたな……」
 
「頑張れ頑張れ!
こっちはまだ何が起こってんだかさっぱりだぜ!」
 
「……それもそうだな。
まず私のことを話そうか。
私の名前はセルマ。ルシャンデュ・セルマだ」
 
「めっちゃ外国人じゃ~ん。まあ顔からしてそうかなって思ってましたけど」
 
「外国人というか、そもそもこの世界の住人じゃない。
別の、異次元の住人だ」
 
その言葉に私はまじまじと男を見た。
褐色の肌にヘーゼル色の瞳に黒い髪……よく考えたらこんな色の組み合わせの人種いただろうか?いる気もするが……。
見た目は中東っぽい感じだ。鼻が高く全体的にくっきりはっきりしているがアジア的でもある。
しかし日本語ペラペラ。勝手に二世かと思っていたがそうではないらしい。
 
「異次元の言葉は日本語なんですね」
 
「それは魔法で翻訳しているだけだ」
 
「魔法!
わかった。お兄さんの世界ハリーポッターって有名な少年いない?」
 
「いない」
 
ハリーポッターではない魔法の世界か。
タラ・ダンカンか、ダレンシャンか、デルトラクエストか、どれかだろう。
 
「世界の危機来てます?
私が救っちゃう的な?」
 
「いや……あー……。世界ではなく私の一族の危機なんだ。
私の一族は龍の血族なんだが、壊滅的状況にあって現在跡取りが私しかいない。
というか生き残りが私だけだ」
 
龍の血族。
そう思って改めて彼を見ると、鱗やツノが……生えてはいない。さすがの私でもそれは気がつく。
ただ、耳が尖っていたり、爪が硬そうだったり、犬のような牙が見え隠れすることには気がついた。
人外感が薄いが、人外ではあるようだ。
 
「ふむふむ、タラ・ダンカンではなくゲド戦記だったか。
テルーの唄歌える?」
 
「いや歌えない。君の国の民謡か?
……なんでガッカリしてるんだ? 話を続けるぞ?
あー……そもそも、私たちは元々子を作りにくく同族だとしても出来ない。
出来るとしたら人間との交配になるわけだが、私たちの世界の人間は全員食べられてしまってな。
そこで別の世界に行って嫁を娶ろうということになり、君に白羽の矢が立った。
ここまではいいかな?」
 
「よくないよくない。
それだとお兄さんと私が結婚するってこと?
しかもお兄さん人間じゃないし。色々問題アリですよこりゃ。
他の人誘って。お兄さんなら外で立ってるだけで逆ナンされまくりますよ」
 
私は立ち上がり、男の肩を叩いた。
玄関まで案内しようと思ったのだ。
だが彼は首を振りすがるように私を見た。
 
「待ってくれ、まだ話は終わっていない」
 
「科捜研の女で加害者がよく言うセリフやめてください! フラグが立つ!
私には無理ですよ、知らない人間と結婚だなんて。しかも異世界人ってハードル高高の高。HIGH AND HIGHですわ。
大丈夫、世の中広いからお兄さんの顔と筋肉でいくらでも女は釣れますよ。あとはスタンガンで失神させてその隙に結婚しちゃえばいいですって」
 
「君の言ってることたまにおかしくないか!?
私はそんなことはしない、というかそうではなく!
私は君が良いんだ!」
 
思わず、男の顔を凝視した。
私は君が良い……?
それはつまり、私のこの美貌……かつてゾエア幼生に似ているという褒め言葉とは到底思えないことを言われたこともあるこの美貌に、彼は一目惚れしてしまったというわけか。
 
「まあそういうことなら—」
 
「き、君は、保護者も居ないし、友人と呼べる者も見当たらない。さらに腕っ節も強く体力だってあるようだ。
君なら異世界に行ったとしても問題は少ないと踏んだんだ。そう、そういうことだ」
 
……そっちか。
ゾエア幼生に惚れる男などそうそう居ないとわかってはいたが。
しかし彼の言葉に私は反論したい。
保護者は今からあと数ヶ月以上帰っては来ないがいることにはいるし、友人にはイマジナリーフレンドがいるし、腕っ節はルチャドーラ程ではない。
 
「イマジナリーフレンドならいますから」
 
「イマジナリーフレンド?」
 
「はい、私の頭の中に。ね?」
 
イマジナリーフレンドのRION☆は頷いた。
残念ながらこの男には見えないが、彼女は大変美しく美麗で見目好い金髪碧眼の猫耳美少女である。
 
「そうか……でもそれは君の中にしかいない、つまり君が作り出した存在だろう?
君がここからいなくなったとしても問題はない」
 
彼は真面目な顔でそう言った。
 
「ヒィン……狂人に真っ当なこと言わないでください……。
っていうかなんで私に友達や保護者がいないってわかってるんです」
 
こいつ、公安の人間と繋がりが? もうマークはされていないと思ったが……。
 
「そのガラス玉から見ていた」
 
男は私が水晶だと思っていた謎のストラップを指差した。
ガラス玉だったのか。
 
「君には悪いと思ったが、あそこから全て見させて貰っていた。
西東部 音梨、君のことはある程度わかっている。17歳。
親しいものはおらず、誰かと長時間話すこともない。
学校という施設に毎日2、3時間滞在するも周囲から恐れられるか、喧嘩を売られている。残りの時間は町を散歩しているか、家でぼんやりしているね」
 
このストラップが監視カメラの役割を果たしていたなんて。
あのお店怪しいと思ったがこれは警察に通報するべきなんじゃ。
 
「ってことは、私が着替えてるところとか見てたってこと!? 変態! スケベ! このアクタイオーン!」
 
「見てないが、君が謎の踊りを踊っていたのは見た」
 
「えっ!?  恋するフォーチュンクッキー!?
や、やだなあ……」
 
せめて恋ダンスなら……。
私は両手で赤い顔を覆った。
冷蔵庫に向かって踊り狂う姿を見られていたということか。なんて恥ずかしい。
 
丸くなってメソメソしていると、男の手が私の肩を叩いた。
 
「悪かった。そんな恥ずかしいものだとは思わなかったんだ」
 
「うう……それもこれも、あの時450円で買わなければ……」
 
「あのガラス玉450円で売られてたのか……安い……。
じゃなくて、本当に悪かった」
 
「そういえばあのガラス玉って結局なに?
異世界と通信できるアイテム的な?」
 
私がガバリと体を起こすと彼はちょっと目を見開いて「立ち直りが早い」と呟いた。
 
「そう。
人探しアイテム……みたいな。
君たちの世界にあれをばら撒いてそこから良い相手を探していたんだ」
 
「天涯孤独、社会隔絶、清廉潔白、羽毛布団の人間を……なるほどね」
 
都合の良い相手探しにはピッタリのアイテムだろう。
この世の中に私のような人間がどれだけいるかわからないが、少なくともここまで社会的繋がりの無い人間はそうそういないのだろう。
 
「……私の他にいなかったんです? 監視されてる人とか……候補者は」
 
「ああ……その……。
そう、何故かこのガラス玉を持ちたがるのは大体白いシャツを着た年若い少年たちばかりで……あと大抵長い木の棒も持っていたな」
 
修学旅行にはしゃぐ中学生だ……。
全てデザインが悪かった。
もっと女性が好みそうな、例えば昨今の猫ブームに乗じて猫がガラス玉を持っているようなデザインにすれば良かったものを……。
 
「龍は……男子中学生にとっては心揺さぶるアイテムなんですよ……」
 
「そういうものか……。
……君は龍は好きか? 」
 
「え? まあタスマニアデビルよりは」
 
「比較対象がよくわからないな」
 
そう言いながらも男は満足そうに笑う。
龍の一族の末裔だ。やはり人気が気になるところなのだろう。
私がぼんやりそんなことを考えていると、目の前の男が居住まいを正し、こちらに向き合った。
 
「……君が望むものは出来る限り用意しよう。食べ物や衣服は勿論、宝飾品が欲しいというのならばそれも。蓄えはあるから君の好きなものを買えば良い。
だからどうか私と一緒に来てくれないか?」
 
これはプロポーズ、ということか。思わず顔が赤くなる。
早めに決断が欲しいのだろう。男は焦っているように見えた。
しかしこちらとしてはじっくり考えたい問題だ。そもそも急な話すぎる。三ヶ月くらい考える時間が欲しいものだ。
 
「定期的にこっちに帰って来られる?」
 
「それは……難しい。異次元を渡るには膨大な魔力が必要だ。短期間に何度も行き来は……最低でも一年は開けないとできない。
私もあと帰る分の魔力しか残っていない」
 
プレインズウォーカーならこうはならないのだろうが残念、私はしがない一般人。
 
「そっちの世界がどういうものかもわからないですし……巨人に住処を追いやられてる世界だったら困るしなあ。
そもそもお兄さんと結婚して私に何の得があるの?」
 
「それは、」
 
彼の目は僅かに泳いだが、次の瞬間にはしっかり私を見つめ返した。
 
「君の言う通り、君への負担は大きいし、利益は無いかもしれない。
だが……私は君を1人にはしない」
 
男は部屋を見渡した。
何も無いガランとした部屋だ。
 
「こんなに広くて寂しい部屋にずっと居たくはないだろう?
君は1人が好きなわけじゃなさそうだし……そうだったら脳内の友達など作らないはずだ」
 
彼は立ち上がり私に手を差し出した。
大きな手だ。よく見ると指の股の間に水かきのようなものがある。
水泳選手には水かきが出来ると聞いたことがあるのを思い出す一方で、仏様は全ての人を救う為に金色の水かきがあるというのを思い出した。
 
この人なら私を1人にしないんじゃないだろうか。
少し考え、私は口を開いた。
 
「……じゃあ、3年……。3年間だけ、成人するまでの間。
3年したらここに戻ってくる。それでいいですか」
 
「……わかった」
 
男は難しい顔をしながら頷いた。
よかった、一生異世界で暮らすのは勇気がいる。
 
「……あ、大叔母さんにボリビアに留学しますって置き手紙残すから待ってください」
 
「ぼりびあ……? わかった」
 
学生鞄からノートとペンを取り出し留学する旨を書き小さなローテーブルに置いておく。
こんなことしないでも誰も私を心配などしないだろうが。
 
そして男を振り返る。
彼はヘーゼルの瞳で私を見つめた。
 
「行こうか」
 
「うん」
 
私は男の手を取る。
男はどこか寂しそうな表情を浮かべながらも私の腕を強く引いた。

アンカー 1
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