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あなたの傷

 

夕食の支度をしながらダユトの帰りを待つ。
チラリと窓の外を見るがだいぶ薄暗くなっている。今日は遅いのだろうか。
私はトマトスープを一口味見した。うん、いい感じ。

彼のことを考えながらパンを切っているとやっと玄関の扉が開く音がした。私は大急ぎで彼の方に駆け寄る。

「お帰りなさい!」

パッとダユトに飛び付こうとして、彼の右手に巻かれた包帯に気が付いた。

「ど、どうしたの」

「患者さんが倒れちゃったんだけど受け止めきれなくて。
……大丈夫。ただの捻挫だから」

ダユトは左手で私の頭を優しく撫でた。
ただの捻挫、と言われても怪我は怪我だ。思わず彼に縋りつく。

「アルラ、そんな顔しないで。大したことないよ。僕が特別丈夫にできてるの知ってるでしょ?」

「でも」

ダユトが怪我しているところはもう見たくない。
もう散々痛い目に遭わされてきたのだ。そのせいで彼がどんなに苦しんだか……。

「明日お休み貰えたし、全然平気だから」

「捻挫って痛いでしょ……それに利き手だし……」

「左手使えるよ」

こうやって、とダユトは私の頬を撫でた。私が心配しないように振る舞ってくれているのだ。
胸がギュッなる。

「……ご飯食べる?」

「うん、食べたいな! お腹ぺこぺこだよ」

「今日はトマトスープ」

「わあ、良いねえ」

ご飯を並べようとするダユトを押し留め、私は食事をよそいスプーンを渡そうとして……はっと気がつく。

「ご飯食べられる?」

「平気だよー!」

そう言うが左手で持つスプーンは震えている。当然だが動かしにくいのだろう。
口に運ぼうとしてスプーンがカチャン! と机に落ちた。

「私、手伝う!!」

私はサッと彼からスプーンを奪いトマトスープをすくう。

「はい、あーん」

ダユトは戸惑ったように眉を寄せ「平気だって……」呟いている。けれど私が「口開けて?」と言うと大人しくその通りにした。
雛にエサをあげる親鳥の気分だ。

「恥ずかしいなこれ」

「美味しい?」

「美味しいよ」

ダユトは小さく頷いた。良かった。私は今度はサラダに手を伸ばす。

「新しいドレッシング作ってみたんだ」

「わあ、美味しそう」

そう目を輝かせ言うが私がフォークを持つと輝きが僅かに曇る。

「1人で食べれる……」

「あーんして?」

まさに渋々、という感じで彼は口を開いた。
……これは楽しい!

食事の後も私はダユトに付き纏い、彼が何かするたびに私が手伝った。最初の方こそ「平気だから」と言っていたダユトだったけれどその内何も言わずに私のなすがままになっていた。

ソファに座り本を読む彼に寄り添い、代わってページを捲る。
医学の本で難しい内容だ。それでも以前より文字が読めるようになっていたので少し理解できるようになっていた。
懸命に文字を追っていると頭を撫でられる。

「……あ、ごめん。次のページ……」

「アルラが読み終わってからで良いよ」

ダユトの目は優しく細められている。彼はもう私から文字を隠したりはしない。
顔を上げてダユトの頬にキスをする。

「どうしたの急に」

照れ臭そうにダユトは笑う。

「ダユトのこと大好きだなって思って」

「アルラは本当に可愛いね……。困っちゃうな」

「嫌だった?」

読書の邪魔しちゃった。そう思ってごめんねと呟くと彼は首を振ってふんわりと笑う。

「いっぱいキスしよっか」

彼は本をローテーブルに置くと私の体を抱き寄せた。ダユトの体にすっぽりと収まり彼を見上げると顔が近付いてきた。
唇が触れ合う。
キスをしていると頭が幸せで蕩けそうになる。ダユトが優しくぎゅっと抱きしめてくれて、可愛いとか好きとかそういうことをたくさん囁かれ、力が抜けた。ダユトに触れられているところだけが輪郭を保っている感じがする。もっと触って。

けれど不意に体が離れていく。

「……だゆと?」

「力抜けちゃった? ごめん、やり過ぎたね。
僕は体洗ってくるから少し休んでて」

「お風呂入るの? 手伝うよ」

私は体を起こす。まだ頭はふわふわするけれど動けないってほどじゃない。

「いや今日は温まっちゃダメって言われてるから体拭くだけ……え?」

「そっか。捻挫の時ってお風呂ダメなんだ」

ならタオルを温めよう。私がタオルを取りに行こうと立ち上がるとダユトが慌てて止めてくる。

「ま、待ってアルラ」

「どうしたの?」

「1人でできるからね?」

「遠慮しないで良いよ」

「遠慮じゃなくて、そもそも、いや……」

彼はどうも話しにくそうに口をモゴモゴとさせている。どうしたのだろう?

「昔はよく一緒に入ってたのに」

「アルラがこんなちっちゃい頃の話でしょ」

そう言ってダユトは親指と人差し指で卵サイズの何かを指し示す。

「あの頃のアルラも可愛かったなあ」

「もう、ふざけて。
桶とタオル持ってくるからちょっと待ってて」

「あれ? アルラ……? 平気だってば……」

熱い湯を張った桶とホカホカのタオルを用意し、私はダユトを布団に座らせる。彼はまだ1人でできると言っているが、とんでもない。
無理に腕を動かして悪化したら大変だ。

「シャツ脱いで。
あ、脱げないよね。脱がしてあげる」

座る彼の足の間に入りボタンを外していく。明日から着替えも手伝わなきゃ。
ダユトは顔を赤くし目を逸らしていた。手伝ってもらうことは彼にとって物凄い恥ずかしいことらしい。私にするのは平気なのに不思議なことだ。
中のタンクトップの裾を引く。
……脱がさなくても彼の古傷は見えていた。

「もしかして、傷見られるの嫌だからお手伝い嫌なの?」

「え? あ……違うよ。今更だし」

「そう? ならなんでそんなに嫌なの」

「嫌じゃなくてちょっと……アルラが可愛いから、ドキドキしちゃって」

「えー? 変なの」

クスクス笑いが溢れる。けど彼は至極真面目な顔をして「可愛いよ。世界一可愛い」と寝ぼけたことを言っている。

「ほら、下着脱いで」

手伝いながらダユトのタンクトップを脱がす。体中、あちこちに痣が残っていた。
胸が苦しくなる。
ダユトのお父さんなんて大っ嫌いだ。故人にこんなこと思うべきじゃないと分かってても、ダユト自身は恨んでなくても、それでもそう思う。
どうしてこんなに優しい人をここまで痛めつけられるのだろう。

タオルで傷を覆うように拭う。びくんと彼の体が跳ねる。

「痛かった?」

「ううん、くすぐったい」

「もう少し強い方が良いのかな」

ゴシゴシと彼の胸を拭きお腹を拭く。

「せ、背中だけで大丈夫だから」

「わかった!」

彼の背後に周る。背中の傷は前側よりも酷い。何よりチェイラが付けた傷まで残っているのだ。
そっと傷跡に触れる。

「……もう痛くないよ」

「うん」

ダユトは私の顔に書かれた文字を見る時こんな気持ちだったのだろうか。
ダユトが痛い思いをしたことが凄く苦しくて、泣きそうになる。胸が潰れそうになるし、傷を付けた相手が憎くてたまらない。

私は彼の逞しい背中に抱きついた。

「ダユト。大好き」

「僕もアルラのこと大好き」

熱い背中に頬を寄せ傷跡を撫でる。
……ふと、以前印を付けられたことを思い出した。傷跡を印で覆い隠せば……。
そう思って私はそっと傷跡に吸い付いた。

「あっアルラ? な、なに、何を」

「印付けてる」

「なっ、は、誰がそんな破廉恥なことを教えたの!?」

「ダユトだよ……」

彼はうなじまで赤くしている。喜んでる、のかな?
私はそのまま傷跡の一つ一つに印を付けた。

「なんで、ど、どうした、の?」

「ダユトの傷を私の印にする」

キスするたび背中の筋肉がびくっとする。それがなんだか嬉しくて、私は傷跡の無い部分にもキスをした。

「どうせなら」

ダユトが振り返りこちらを見つめる。熱い視線。

「唇が良い」

私は赤い頬にキスをした。少し、不満そうな顔になる。
その顔が可愛くてちょっとだけ笑い、今度こそ唇にキスすると彼は嬉しそうに目を細めた。

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