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24.孤独に眠れ

ウォクスは王城を見渡した。
かつてここに来たばかりの頃は全てが見違えるようだった。
今もある意味、見違えているかもしれない。
ウェーナ……否、カルワリアがこの国に嫁いで来てから様々なことがあった。

なんやかんやすったもんだあったが、カルワリアとシェーデルは晴れて正式に夫婦となった。
2人は今ハネムーン中だ。

ウォクスも付いて来てほしいとカルワリアに言われたがシェーデルがその背後でものすごく嫌そうな顔をしたので辞退した。
シェーデルのことは当初、パワハラを繰り返す最低な男だと思っていたのだが彼には彼で色々思うことがあったらしい。
最近では怒るようなことはなくなった。

ただし、ウォクスに対しては未だ嫉妬心をむき出しにする。
カルワリアの愛人だとまだ思っているのだろうか……と彼は呆れた気持ちになった。
だがそれも彼女への愛情の裏返しだとして、せめてカルワリアとはコルプス国出身にしかわからない話で盛り上がる程度で勘弁しておいてやろう。

コルプス国といえば大きな変化があった。
王が殺され、王子も殺され、残されたウェーナ王女が正式に後継者となったのだ。
まだ年若い彼女だが既に政に携わっている。
ゆくゆくは偉大な女王となるだろう。

彼女の友人……というが傍目からしたら恋人にしか見えないユグルムという少年はウェーナ王女の元で暮らすことになった。 
というのも、シュティルンが駆け落ちして居なくなったのだ。
どこに行ったかは分からないが、別の街で彼女にそっくりな女性とその夫を見たという噂を聞いたことがある。
夫はシュティルンにベタ惚れで、彼女に男が話しかけるとやんわり間に入っては追い払うのだという。
一度だけ会った貴族の娘は追い詰められ苦しそうに見えた。

彼女はウォクスに対して「あなたは孤独な人ですね」と呟いていたのを覚えている。 
自分は孤独なのか。いつから孤独なのだろう。
生まれた時か、自分が他の人とは少し違うと気がついたときか、それとも……。 

「ウォクスさん? 」 

いつのまにか横にいたネルフが心配そうに彼の顔を覗き込む。

「ぼーっとして……珍しいですね」

「守る人がいないと気が抜けてしまいますね」

ネルフはクスリと笑った。
その邪気のない笑い方に癒される。

「戻られるまでは幾らでもぼーっとしてくださいな。 
あ、お茶を淹れましょう。談話室で待っていてください」

ネルフは表情がクルクル変わる。そこがとても可愛らしく、つい触れてしまいたくなる。
そう考えてウォクスは自嘲する。
自分のようなものに触られたら彼女は穢れてしまうだろう。

「……私も手伝います」

「いいんですか? ならお願いします」

彼女はニコニコ笑って給湯室へと向かう。
が、目の前に現れた人影を見たときその顔が一瞬で曇った。

人影はブルートだった。
2人は慌ててお辞儀をする。いつもならそこで終わりだ。
それなのに今日に限ってブルートは機嫌がいいらしく、笑いながらウォクスに近づいて来た。

「思い出したんだ。お前、コルプス国の英雄じゃないか? 」

その言葉にウォクスの肩が震えた。
周りの者が何事かとこちらを伺っているのがわかる。

「ウォクス……だよね? 」

名前を言われ仕方なく頭を上げ返事をした。

「はい、そうです」

「アハ、やっぱり。お前に僕の大切な軍隊が何回崩されたことか……。
でも噂は本当だったんだ。
お前が男色だってバレて軍を追われ、しかも母親が自殺したんだって。ほんと、面白いよ」

ブルートは高らかに笑う。
ウォクスは目の前が真っ白になった。
よりにもよってなぜこの男に知られなくてはならないのだろう。

「コルプス国はゲイに厳しいんだね。母親も拒絶したんだ」

何か言わなくてはと思うのに舌が動かない。
横で頭を下げていたネルフが身じろぎした。
彼女に聞かれた。軽蔑されるだろう。
ウォクスは絶望的な気持ちになる。
周りにいた者だってまず間違いなく今の話を聞いていた。
折角、王女の護衛という栄誉ある役職に就けたのに。もうここにはいられない。

「アハ、良かったね、ケルパー国は実力主義だから。誰を好きでも誰も死なないよ」

ブルートは楽しくてしょうがないとでも言うように何度も笑った。

「なあ、どうやって国を追われた? 母親はなんて言って死んだの? 」

王子は笑いながら残酷な問いかけをする。
ウォクスがそれに答えようとしたが、それよりも早くネルフが口を開いた。 

「で、殿下! 彼の生い立ちよりもっと面白い話がございます! 」

「へえ、どんなの? 」

ブルートが興味深そうに目を細めた。
ネルフがその興味が薄れまいとするように早口で喋り出す。
ウォクスは彼女が何を言い出すのか、ハラハラした。

「わたくしの話なんですが、その昔強盗をやっつけたことがあるんです。
夜家で寝ていたら怪しげな物音がして、怖かったけれど妹を守らなくてはと思って、わたし、ナイフを持って玄関に行ったんです。
そしたら黒い大きな影が私に向かって手を伸ばしました。
わたしは怖くなって、そいつの足にナイフを突き立てたんです。
そいつは血を流して倒れて動かなくなりました。そう、強盗を倒したんです!
でも、よく見たらそれはわたしの父でした。
父は出稼ぎに行った帰りだったんです。わたしへのプレゼントを持って死んでいました」

ネルフはあははと乾いた笑い声をあげる。
その目には大粒の涙が溜まっていた。

「父がいなくなったので、わたしの家は困窮してわたしは学校にも行けませんでした。
だから文字も読めず……でも、こうしてここで働けるのもひとえにトレーネさんの口添えがあったからなんです。本当、彼女には頭が上がりません! 」

ネルフは顔中痙攣らせながら笑った。虚ろな笑い声が廊下に響く。

「トレーネにも優しいところがあるんだね」

「殿下、わたくしの話は面白かったでしょうか? 」

ブルートは杖を握り直して「すごいと思ったよ。自分より大きな相手を殺せたんだから」と笑って言った。
ネルフが涙を流しながらありがとうございます、とお礼を言う。

「どこを刺したの? 太ももかな、太い血管が流れてるからね」

「そうかもしれません」

「……なぜ泣いている?」

ブルートは不思議そうにネルフを眺めた。 
その時廊下に澄んだ声が響き渡った。 

「殿下! 何をなさっているのです! 」

トレーネだ。彼女は動こうとしない廊下の人たちに異変を覚えたのだろう。
ツカツカと靴を打ち鳴らしブルートの所へ一直線に歩み寄る。

「ああ、トレーネ。彼らと話をしていただけだよ」

トレーネは涙を流すネルフを見て何かを察したらしく、憎悪の篭った瞳でブルートを睨めあげた。

「なんで怒る。何もしてないだろ」

「あなたという人は……! 何かしたに決まってます! どうして人を傷つけずにはいられないのです!? 」

「全く理解できないな……。泣いてるのも怒ってるのも訳がわからない」

不思議そうに周りを眺めるブルートに、ウォクスはひどく遣る瀬無い気持ちになった。

「あなたには理解できないでしょう」

思わずそんな言葉が口をついて飛び出した。

「あなたは何一つ分からないのでしょうね。
彼女が泣いている理由も、トレーネさんが怒る理由も、私が悲しむ理由も。
寒さで食物が実らず飢えをしのぐ為に椅子の足を削って食べる者がいたとしてもあなたはそれを笑っているのでしょう」

自分が幼かった頃を思い出す。
独裁政治により農民は搾取され続け、食べるものはなにもなかった。
冬になると作物ができるどころか外に獣一匹おらず、飢えを凌ぐ為に死んだ妻を食べた者もいた。

ふと、カルワリアの背中を思い出した。
見るつもりはなかったがドレスのボタンが何かの弾みで外れて露わになったのだ。
あの背中の傷は恐らく恐ろしい王による傷だろう。

あの国は誰一人として幸せになどしなかった。
この国は対照的に豊かだ。暖かく作物は実り人々は微笑み合う。
誰も、男が男を好きでもそれを責めることはない。
この国の者にはきっと理解出来ない。あの恐ろしい冬の国のことも苦しみも。

だがそれと同じようにこの国の苦しみをウォクスは理解出来なかった。
シュティルンが何故二重人格なのか、シェーデルが何故いつも不安そうにしているのか、トレーネが何故他人を拒絶するのか。
しかしだからこそお互いを理解しようと苦しみながらも自分たちは手を取り幸せへと向かっていくのだ。

そしてそれはこの目の前の男も同じだ。
彼は周りの苦しみが理解出来ない。それを理解しようともがいている。
だが彼の手を取る者はいない。
誰もこの男の血に塗れた手など触れたくないのだ。

「あなたが裕福だからで理解出来ないのではなく、あなたが孤独だからです。
あなたは真の意味で孤独です。
あなたの側にはあなたしかいない」

ブルートはこの言葉に呆然とした。
彼の顔には怒りは浮かんでいない。ただ、驚いたような、絶望したような、全てを諦めたような、そんな顔だった。

「……ああ……それは……。そうなんだろう……。だから僕は1人が好きなんだ……」

孤独の王子は目を伏せて何ごとか考えていたがやがて顔を上げるとトレーネを見つめた。

「やっと今理解できた気がする。僕はきっとずっとお前から愛されることはない」

それだけ言うと彼は杖をつき、ゆっくり廊下を後にした。
残されたものたちはぎこちなく動き出す。
トレーネは理解できない、という風に首を振った。

「私たちはこれで失礼します」

「……ゆっくり休んでください」

ウォクスは礼をし、涙を零すネルフの肩を抱いて談話室へと向かった。

談話室には誰もいなかった。
ネルフを休ませようとするが、彼女は逆にウォクスを座らせた。
彼はネルフを見上げる。

「私を庇ってくれたんですね。すみません。嫌な思いをさせて」

「情けなくてごめんなさい……。怖くて、涙が……」

「あなたは情けなくなんかありません。情けないのは私です」

ウォクスは自分の手のひらを見た。ゴツゴツとした大きな手だ。
だというのに誰も守れない。

ネルフは泣きながらウォクスを抱きしめた。
まるでウォクスを慰めるかのように。

「わたくしは、あなたのことをとても大事に思っています。
あなたが辛い思いをするとわたしまで辛くなるんです」

「私なんぞのことで心を痛めないでください」

「無理です。大事な人が苦しんでいるのに何も感じないだなんて、それこそブルート殿下のようじゃありませんか」

その言葉にウォクスは少し笑ってしまう。
見るとネルフも笑っていた。
ウォクスはネルフの背中に手を回す。
あまりにも華奢で自分なんかが少し力を入れたら折れてしまうんじゃないかと心配になった。
だが彼女は「もっと強く抱きしめてください」と言ってきた。

「苦しくないですか……? 」

「そんなヤワじゃありませんよ。
それにこうやって抱き合うと、苦しみが分かち合える気がいたしません? 」

ネルフの言葉にウォクスは頷いた。
あの貴族の娘はウォクスが孤独だと言っていた。だが、それはもしかしたら今までの話かもしれない。
これからはきっと、苦しみを分かち合える人がいるから。

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