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18.発見フーガⅠ

レーバー亭に行かなくてはならない。
私は強く手を握る。 そこに行けば全てがわかるのだ。

「だからお願いです。レーバー亭に行かせてください」

もう何度目か、シェーデルに深く頭を下げる。
昼下がりの午後、自室で休んでいた彼にとってまた面倒ごとをと思われただろう。
そもそも彼は私にもうこの件に関わるなと言っていたのだ。それを破ったことになる。
けれどここで行かなければ王女の手がかりが無くなってしまう。そんな気がした。

「私が行かないと」

シェーデルの座る椅子が軋んだ。
椅子を降りてこちらに歩く足音が静かに響く。

「何故お前はいつもそうなんだ」 

低く震えた声だった。 
短い言葉に怒りが詰まっている。

「お前はいつもいつも、俺の言ったことと反対のことをする。
言ったよな、この件に関わるなと。こちらで対処すると」

「はい、ですが」

「もういい。黙れ。
レーバー亭には他の奴を行かせる」

反論を受け付けない冷たい声だった。
だがそうはいかない。
彼だってこのことがウェーナ王女の発見に繋がるとわかっているはずなのに。
きっと私が言うことを聞かないから躍起になっているのだ。
なんとか説得しなくてはいけない。

「シェーデル様。
私を許せない気持ちは理解しているつもりです。
ですが、いえだからこそ私に手伝わせてください。私が出来る唯一のことをしたいのです」

シェーデルはなにも言わなかった。
私は頭を下げ、つま先を見たまま言葉を続ける。

「私は、あなたに迷惑ばかりかけていました。
ずっと嘘をつき続きて、最悪な形であなたを裏切りました。
もう私の顔も見たくないと思います。
最初からあなたを利用することしか考えていない愚か者です。
……お願いです。こんな私に、全てを元に戻させてください。
ウェーナ王女とあなたが結ばれ私は国に帰る。それが本来あるべき姿なんです」

言い終えた瞬間、シェーデルの腕が私の肩を強く掴んだ。
見上げた先のその顔は怒りに染まっていた。

「国に帰りたいなら帰してやると言った。御託を並べる必要は無い。
それともそんなに俺が信用ならないか? 
俺が約束を違えると思っているのか? 」

「い、え、私は、」

「わかっていたさ。お前がずっとここから出て国に帰りたがっていたことくらい。
そこまで本物の王女を早く見つけて帰りたいなら何処へでも行け。
そうして二度と帰って来なければいい」

私の言葉を勘違いしている。
私は国に帰りたいのではなく全てを元に戻したいのだ。
しかし彼の怒りは今まさに爆発しかねないほどで、私は訂正の言葉を発することができなかった。

怖い。記憶を失って初めて会った時よりもずっと。

「……ご、めんなさい……」

言葉と涙が同時に溢れてきた。
シェーデルはそれを冷たく見下ろす。
この怒りは正当な怒りだ。泣いてはいけない。粛々と受け止めるべきだ。 
わかっていても涙が止まらない。 

「なにに謝っている。感謝すれば良いだろう?
この国から出してくれてありがとうとでも」

「わたし」

言い訳するのか。
みっともない。
お前が出来ないのが悪いのだろう。

そうだ、私は言い訳なんかしない。
ウェーナ王女を探しに行き、そしてこの城には戻らない。それで良い。

「……ありがとう、ございます……」

シェーデルは私から手を離すと深いため息とともに部屋から出て行った。

背中が痛くてたまらない。
私はその場に蹲った。

* * *

城から出ると決めたは良いが慎重に行動しなくてはならない。
荷物は元々そんなに無く、まとめる必要はない。
必要なのはちょっとした経費だけだ。

引き出しを開けると暗号に使っていた宝石が出てきた。 
これを見られるのはマズイ気がする。
自分が贈ったアクセサリーが暗号に使われたと知ったらどんな気分になるか。
シェーデルには悪いがこれは旅費に変えさせてもらおう。

カシャンと音がした。
慌てていたので宝石を落としてしまったのだ。
腰を屈めてそれを拾うと、それはあの暗号で「さようなら」と示されたネックレスだった。

……さようなら?

ー「そうやって、記憶喪失を装えば逃げられるとでも思っているのか? 」 

記憶を失って初めて会った時彼はこう言っていた。
私は、記憶を失う前からどこかへと行くつもりだった?

……いや違う。これは私が作った暗号じゃない。
私に宛てた暗号だ。
目の前がグルグルと回転する。
ウェーナ王女の声が蘇る。

ー「名前はさようなら作戦。恐ろしいあの国とさようならして新たなる国を作り上げる」

彼女は死ぬ……いや死んだと言われる前にそう教えてくれた。
自分は革命を起こすと。
だから私はこれを見、ウェーナ王女が近くにいることに気が付いて慌てて探しに行こうとして ……そして、階段から落ちた。

それが記憶を失った原因。

シェーデルに逆上し襲いかかったからではない。慌てていたせいだ。
これを手に入れたのはサングイス王子のあの出店だった。
いつものように私が暗号を含んだ装飾品を売ると彼は黙って受け取った。
そして、私は店にこのネックレスが並べられているのを見つけこっそり取ったのだ。
サングイス王子からの暗号だと思って。

彼はあの時「シュヴァイス商会会長が来て誤魔化すのが大変だった。品物もどんどん動かすし色々聞いて来るし……」と言っていた。
シュヴァイス商会会長は、ファウストだ。 
ファウストがこのネックレスを置いていった?
なら彼はやはり、ウェーナ王女と繋がりがある。そして彼女の協力者だ。

そんな彼が私に直接レーバー亭に来いと行った理由は。

私は走り出した。
ウェーナ王女はもうそこにいる。

* * *

城下街よりも遠くに出るのは初めてだった。
レーバー亭の場所は通行人にに聞いて大体わかったが、それでも不安が残る。
せめてウォクスと……いや彼を巻き込むわけにはいかない。

レーバー亭の辺りは治安が悪いからあなたのようなお嬢様だと心配ね。
道を教えてくれた人はそう言っていた。 私も心配だ。
世間知らずの貴族である自分が嫌になる。
だがそれでもどうにかこうにかレーバー亭の看板を見つけることができた。
きっとここにウェーナ王女はいる。
早く行かないと……。

「おっと、随分可愛いね、キミ」 


腕を強く掴まれ引き寄せられた。
いかにもなゴロツキが3人、こちらを見ている。

「いやあ、趣味が悪いようで。
すみません急いでますから」

「まあまあ、そんなに急ぐこともないだろ!
俺たち暇してんだよ。相手してくれないかな? 」

「身なりがいいね。貴族?
この辺のこと案内してあげるよ」 

離す気はないらしい。サッサとお金を渡してしまおうか。

その時通りを颯爽と歩く女が見えた。
フードを被っていたがその横顔には見覚えがあった。

「ウェーナ様! 」

ここにいた!やっぱりここにいたんだ!
私は身をよじって彼女の元へ行こうとする。

「離して! 行かなきゃ」

「なら金目のもの置いていきな」

ポケットにしまっていた宝石を投げ捨てる。 
しかし男は手を離さない。

「ありがとよ。
気が強いんだな……気に入ったよ」

「おいおい、これがあるからいいだろ? 」

「いやあ、オレこういう女に弱いんだよ」

男が私を抱き寄せようとするので、慌てて突き飛ばした。
それに腹を立てたのか、逆に私は突き飛ばされてしまう。
石畳に叩きつけられ体が痛んだ。

「ったく、生意気でねじ伏せたくなるな」

男はニヤリと笑う。
男を無視し通りを見るがウェーナ王女はもういない。 
どこに行ったのだろう。
私は体を起こし彼女を追いかけようとする。

「おい聞いてんのか? 」

「どこに行ったんだろう……ウェーナ様……」

「こいつ、大丈夫か? 」 

「まあいいか。連れて帰ろうぜ」 

手首を握られどこかへ連れ去られそうになる。
そんな場合じゃない。私はウェーナ王女を見つけたのだ!
彼女に会わなきゃ。

「ウェーナ様! 」

「何をしている」

雑踏の中、冷たい声がした。

「 ……シェーデル様… …? 」 

なぜ彼がここに。 

「彼女から手を離せ」 

「なんだテメェ。文句あんのか? 」

ゴロツキの1人がシェーデルの襟首をつかんだ。
だが彼は眉ひとつ動かさない。

「私を誰だと思っている」

「ああ!? 有名な貴族様か? 悪いな! 俺たちゃなんも知らなくてよお! 」

「ケルパー国第二王子のシェーデルだ。
お前のこの行為は反逆罪にあたる。すぐに処刑しようか? 」

シェーデルは腰に下げていた剣を抜く。
男はそれを見て嘲笑していたが、剣に刻まれた紋章を見て顔色が変わる。
彼の言っていることが嘘じゃないとわかったのだろう。
シェーデルから手を離すと私を掴んでいた男の腕を叩いて走り出した。
他のゴロツキ達は怪訝そうな顔をするが同じようにシェーデルの紋章を見ると血相を変えて逃げ出していく。

「……ありがとうございます」

「……怪我は無いか」

手のひらが傷付いていたがそれをそっと隠して頷く。 

「本当に出ていくとは思わなかった。それも、何も持たず誰も連れて行かないで ……」 

シェーデルは私の手を取って手のひらを見た。

「お前は無茶ばかりする。その上俺を頼ろうともしない」

彼の青い目は失望したように私を見ていた。
彼のその目を見ていられず石畳を見る。

「……申し訳ありません……助けて、もらって……あの……迷惑を……」

「……なんでそうなるんだ。俺は、」

シェーデルの言葉が止まった。
顔を上げると彼は唖然とした表情で通りを見ている。

「シェーデル様? 」

彼の見ている方を見た。

女がいた。
美しい黒髪に、白い肌。
つり目に高い鼻……それから右頬の大きなキズ。

「ウェーナ王女……」

私の中から言葉が溢れ出す。
ヨロヨロと、彼女の方へ向かう。

その傷はどうしたのですか。
生きていたんですね。どうしてここに?
私はあなたの代わりを務めることが出来ませんでした。記憶を失いました。
弟が死にました。あなたの兄は殺されました。
あなたの夫を私は愛してしまいました。
ユグルムは元気です。あなたに会いたがっています。
早く私を助けてください。

「久しぶり、カルワリア」

ケルパー語だ。

「酷い目にあった。それなのに頑張ったね」

ウェーナ王女が大きく手を広げた。
私は吸い寄せられるようにその胸に縋り付く。

「ウェーナ王女。私、もう無理です。
何もかも失いました。弟まで死んでいたんです。
なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんですか? 私は何も悪いことしてません」

「ごめんね。早くそのことを伝えてあげたかったけれど、怪しまれて中々あなたに近付けなかった」

ウェーナ王女が優しく私の頭を撫でた。
目から涙が溢れ出す。

「あなたの代わりなんて私に出来るはずがありません。
私はただのなんの訓練も受けていない娘です。王女だなんて無理でした」

「あの不能の兄のせいだね。それから一番は祖父王のせい。私も……悪かった。
あなたは何も悪くない。
けどもう大丈夫だよ。私が全部終わらせるから」

ウェーナ王女は私の背中を叩く。彼女にこれをされるとしっかりしなきゃいけないな、と思うものだ。
私は目をこすりながら彼女の横に立った。
シェーデルがこちらを見つめている。

「初めましてシェーデル様。
私がコルプス国王女ウェーナです」

ウェーナ王女は優雅に彼に一礼した。
こんな路地裏には似つかわしくない美しい仕草だった。

「初めまして、ウェーナ王女。
早速で申し訳ないのですが、詳しく話を聞かせてもらいたい」

「そうですね、急ぎましょう。
ファウストも一緒に。彼はシュティルン様に呼ばれてそちらに行ったようなので」

彼女は歩き出した。私とシェーデルはその後を追う。
彼女の側には誰も近寄らず歩きやすかった。

「この傷、気になるでしょう」

彼女が喋ると傷の隙間から舌が見える。それくらい深く大きな傷だった。

「シェーデル様が我が王城に訪れたあの日、私は婚姻などしないと言ったのです。
ああ、勘違いしないでください。あなたが嫌だったというようなくだらない理由ではありません。
祖父王が同盟を反故にすることがわかっていたから嫌だったのです。
私の言葉に祖父王は腹を立て、怒りのまま杖を振り下ろしました。それがその傷」

やはりテルグム王のせいで……。
ウェーナ王女は話を続ける。

「この傷のせいで私は 3ヶ月高熱が下がりませんでした。 
そしてやっと体が動けるようになると自分が死んでいることになっていました。
それから、カルワリアが私の代わりに嫁ぐことになっていることも……。
私のこの傷は祖父王が暴力を振るったという言い逃れのできない証拠です。
だから私を口封じするために死んだことにした。
なんとかしようとしたのですが、私は既に王城外に追い出されていて会うことが出来ずじまいで」 

ウェーナ王女が私にごめんね、と言った。

彼女がどうやって城から出たのか気になっていたがまさかそんな。
孫を殺したことにしてまで自分の権力を守りたいのか。

「身分の無い娘になってしまった私でしたが、どうにかしてテルグム王の暴走を止める必要がありました。
兄に会いましたか? 兄は祖父王の傀儡なんです。
祖父に認められたくて必死で、好きな女すら利用するどうしようもない不能で ……」 

「彼は死にました」 

シェーデルが少し躊躇ったように、だが彼女の言葉を遮って呟いた。
ウェーナ王女は僅かに目を見開いたが、やがてフッと微笑んだ。

「そう。祖父王の手駒が減りましたね。
ちなみに何故死んだのでしょう? 」

「私の兄が賊として処刑を」

「なるほど。だから私のところまで話が来ていないのですね。
ああ、そんな顔しないでください。
私と兄は確かに血の繋がりはありましたが、どうにも考えが違いましてね。ロクに話したことも無いんですよ」

それどころかウェーナ王女自身がいずれ殺すと息巻いていたことは黙っておく。

「シェーデル様のお兄様と言うとブルート様が?
ロクデナシ同士でまあ……あ、いや失礼。あなたのお兄様の悪い噂を聞いていたもので」

「事実ですから構いません。
それで、どうしてこの国に? 」

「ええ。兄がその通り役に立ちませんから私が祖父王を止める必要があります。
その為に私には戦力が必要でした。
そこで王に気付かれないよう秘密裏に革命軍を作りました。
独裁政権ですからなんとかしたいという者も多いのですよ。

そしてコルプス国で革命軍を作った後、単独でケルパー国に赴きました。
王がこの国に何か仕掛けるとわかっていましたから、先回りしておこうと思ったのです」 

革命軍 ……。いつの間にそんなものを。 
王女が死んだとされていた空白の 2年の間に彼女はそれだけのことをやっていたのか。

「そこで出会ったのがシュヴァイス商会会長のファウストです。彼に色々と手伝ってもらいましたよ。
兄が商人のフリをして商会に入りたいと言って来たのは僥倖でした。
彼の行動を逐一監視し、カルワリアの様子も伺っていたのですが ……まさか記憶喪失になるだなんて。 
精神的な負担が大きすぎたのでしょう。
やはりこんなこと長いことさせてはいけないと思いました。
ファウストがシュティルン様に近付くようになったのでちょうどいいと思って、彼にカルワリアの探りを入れさせたんです」

ウェーナ王女はこちらを振り返った。

「でも記憶が戻ったみたいで安心した。 
もう少しだけ待ってね。すぐにあなたを国に帰すから」

「待ってください。ウェーナ王女、あなたは今後どうするつもりなんだ?
テルグム王の暴走をどう止める」

「冬が来る前に王を殺し、私が王になります」

一瞬、通りのすべての音が聞こえなくなった。 
ウェーナ王女が、王に?

「どうやって」

「私のこの傷は、被害者の象徴です。
死んだと思われていた王女が顔に大きな傷の付け戻りそして王を糾弾すれば民衆は動きます。
祖父王の力は強い。だけれど老いてもう未来が無いことなど誰もが知っているところです。味方は多いでしょう」

そしてもしそれがうまくいかなかったときのための革命軍というわけか。 

「……彼女をどうするつもりだ」

シェーデルが私を見た。

「カルワリアの望むことを叶えます」

ウェーナ王女も私を見る。

私の望み……。
かつてはカプトと家に帰ることだった。
でももうそれは叶わない。
だだもし許されるならシェーデルと……。
そんなことは許されるはずがない。
そもそも私はなにも望んでいなかった。
ハーレムに呼ばれたあの日から全てが狂ってしまった。

「テルグム王を殺してください……」

私の絞り出した言葉にウェーナ王女が頷く。

「絶対にその願いは叶える」

王女は、2年前から変わらず、いや一層より強くなっていた。
ウェーナ王女は出来るかわからないとは言わない。絶対に自分の望みを叶えようとする。

だから私は彼女を信頼できるのだ。

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