17.商人によるインテルメッツォ
男はハアとため息をついた。 
まさか王女様と対面することになるとは。 
彼の貧乏な家で生まれ、きちんとした教養も受けずに、ただ口だけでなんとかここまでやってきた。 
マナーなどロクに分からない。いろんな人と関わるうちになんとか覚えていったのだ。 
さすがに少し緊張したが伝えたいことは伝えられた。 
彼が路地裏を歩いていると、人影がこちらに近づいて来た。 
顔はいつも被っているフードの所為で見たことがないがその身なりの良さからそれなりの人物であることが察せられる。 
 
「今日アイツの所に行ったんだろう? どうだった」 
声変わり前の少年のような中性的な声だ。 
見かけも華奢で、ぱっと見は女のように見える。 
貴族間の裏の裏の事情まで知っている、謎の人物だ。
「どうもこうも、ま、ユグルムは元気そうだったから安心したよ。 
歌も勉強は続けてるみたいだな」 
 「そうか。 
だが俺が言ってるのはそっちじゃない。シュティルンのことを聞いている」 
 そんなのは彼だってわかっている。今のはほんの冗談だよと笑いながら答えた。 
 
「可愛かったよ。すごく」 
 「……いやそうじゃない。そうじゃない。そうじゃないだろ? 」 
 フードの人物は何度も首を振る。なんでそんなことを言うんだと言わんばかりに。 
 「なんでお前はいつもそう答えるんだ? そんなのはどうだっていいだろ? 」 
 「よくないだろ。 
ハー……可愛いよなあ……本当に……。お菓子を食べてるだけなのになんであんなに可愛いんだろうな? 
俺に理性が無かったらあのまま攫って1日中膝の上にいてもらってるよ」 
男は目を瞑って自分の膝に座るシュティルンを想像した。 
彼女の身の回りの全てを自分がやりたい。
朝起こすのも髪を梳かすのも爪を切るのも何もかも全て。 
そんな想像を察してかフードの人物は深いため息をついた。 
「気持ち悪いな。 
お前の気持ちは全くよくわからないが、シュティルン側はどう感じた? お前のことを好意的に見ていると思ったか? 」 
 「好きになってくれたら良いよなあ……。 
けど正直どうなんだろう。懐かれているとは思うけど好きとまではいってないんじゃねえの? 」 
 初めて会った時、彼女は遠くから男を警戒するように見ていた。 
だが今は隣に座っても警戒されることなく、それどころか時々彼に向かって微笑むようにまでなった。
そのはにかんだ笑みが堪らなく可愛くて愛おしくてまた彼を狂わせるのだ。
「なあ、わかってると思うがシュティルンの男嫌いを治す……つまりあの女と寝ればあの親からたんまり金がもらえるんだぞ。 
その金でお前は事業拡大、俺は別の国で別の人間として生活する。 
それが俺たちの約束だったよな? 」
 「わかってるって」 
「あまりあの女に入れ込むなよ。寝たらさっさと捨てて金だけ貰えばいいんだからな」 
そうは言われても男は既にシュティルンに入れ込んでいた。 
彼女のためなら人生が破滅しても構わなかった。 
シュティルンの男嫌いを直す為に彼女と寝る。 
話を聞いた時男は簡単な気持ちで受けてしまっていた。
別に女と寝たかったわけではなく単に貴族の娘が男嫌いとはどんな感じなのかという好奇心から仕事を受けていた。 
彼女のことを知らなかったし、男嫌いを直すのはそこまで大変ではないと思っていたのだ。 
しかし実際に彼女に会ってみると、まず男嫌いではなく人間嫌いで、しかも人と打ち解けようとせず殆どの時間部屋に引きこもっているという超難解な性格だった。 
これは簡単な問題ではないし、ここで直さないと彼女の生活に支障が出ている。 
そう思い彼は哀れな貴族の娘のために一肌脱ぐことにしたのだ。 
自分だけじゃ彼女の人間嫌いを直せないと思い、既に知り合っていたユグルムに協力してもらった。
というか、彼のニーズとシュティルンのニーズが偶然にもぴったり一致したのだ。 
そうしてユグルムである程度他人に慣れてもらった後で彼自身と仲良くなれば、多少は人間嫌いも直る、そう思った。 
だがまさか彼女のことを好きになってしまうとは。 
彼女が徐々に自分に怯えなくなり、笑顔や飾らない表情、ハッとするほど鋭い観察眼を見せるようになると男の心はすっかりシュティルンに絡め取られてしまった。 
そもそも初めて会った時からなんて可愛い子なんだと思っていたのだ。
顔や髪、体つきは勿論爪半月から人中から涙袋の膨らみまで全て好みだった。 
そんな彼女に懐かれたらもう。
だがあくまで男はこのフードの人物の依頼で彼女に近づいた身だ。
なにかあるだなんて思ってはいけない。 
シュティルンと夜を共にしようなどとは勿論思っていない。ただ彼女の将来のためにユグルムと共に人間嫌いを緩和できれば……。そんな風に男の目的は変わっていった。 
「もしお前にやる気がないなら他の男を使うことに」 
「やる気はある。安心しろ。約束は破らない。 
とにかく男嫌いを直せば良いんだろ? 」 
 「まあそうだが。 
早めにしろよ。金が必要なんだ」 
「わかってる」 
 
「 ……お前にやる気があるなら俺もそれなりの手段を使う」 
 それなりの手段とはなんだろうか。 
男がそれを聞こうとしたがそれよりも前にフードの人物は路地の闇へと溶けていた。 
 男はフードの人物を追うのを諦めてレーバー亭へと急ぐ。 
約束の時間に遅れてしまう。 
 レーバー亭のドアチャイムを鳴らし、奥の席へと向かうと目的の女は既にいた。 
 「遅かったね」 
流れる黒髪がサラリと落ちた。 
白い顔がこちらを向く。 
 「すみませんね、ちょっと話し込んでしまって」 
 「いい。それで? 」 
 「元気ですよ」 
女が目を細めた。 
彼女は美しい。 
きめ細やかな白い肌も茶色のつり目も高い鼻も何処か漂う退廃的な雰囲気も美しかった。 
そして一点唇から頬にかけて大きな傷。それが更に彼女が美しかったことを引き立てる。 
 「もう時間がない」 
女はそう言って拳を握り締めた。 
あっという間に冬が来る。凍える寒さと飢えの冬が。 
