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16.失踪カノンⅥ

私が部屋に戻ると、ネルフから「シュティルン様からお茶会のお誘いがありましたよ」と言われる。
早速だ。
もしかしたらユグルムから何かを聞いたのかも……ブルートによると彼女は人の感情に敏感だという。

きっと嘘をついていることもバレてしまう……。
だが、これはチャンスでもある。
ファウストなる人物の情報を得るためにも行くべきだ。それからユグルムの様子を見ることも。
シェーデルは迷惑がるだろうが私はその誘いを受けることにした。 

「行きます」

自分で返事を書くべきだと思い、夜、あーでもないこーでもないと文章をひねる。
短すぎても長すぎてもおかしい。
絶妙な長さで返事を書かねば……。

後ろで扉が開く音がして私は慌てて振り返った。
立っていたのはネルフだった。

「お返事書けました? 」 

「 ……ううん。もう少しかかりそう。
明日の朝渡すよ」

「かしこまりました」

ネルフはお休みなさい、と部屋から出て行く。

私がカルワリアだと名を告げてから一度も夜にシェーデルは現れない。
当たり前だ。当たり前のことだ。
だけど、ついこの間まで彼が隣にいてくれたことを思うと辛くてたまらない。
私のことを好きだと言ってくれたのに私は全部裏切った。
いや裏切りきれなかった。中途半端に彼に好意を示したりして、なんて残酷なんだろう。
私がウェーナ王女の代わりに死ぬべきだった。
カプトが死んだ時一緒に死にたかった。

涙が勝手にボロボロと零れ落ちる。 
シェーデルは初めて会った時から好きと言っていた。
ウェーナ王女が彼に会ったのは幼い頃だったという。
きっとその時から長いこと想っていたに違いない。

なのに、なのに私なんかがウェーナ王女の代わりに来てしまって。
私があの王女じゃないと知った時どんな気持ちだったんだろう。
それを考えて胸を掻き毟りたくなる。

いくら謝っても私の罪は消えない。

* * *

あくる日、私とウォクスとネルフはシュティルン邸宅にお邪魔することとなった。
王族の紋章を刻んだ馬車を走らせ僅か15分ほどでシュティルン宅は到着した。
大きな屋敷だった。いや、いっそ城と言っても過言ではないだろう。

私は若干緊張しながら庭の芝生を踏みしめた。
美しいバラ園が遠くに見える。

「お待ちしておりました」

彼女の家の使用人が私たちを部屋まで案内してくれた。
屋敷の中の調度品は古臭いが立派で、由緒ある家系であることがありありとわかった。
大理石の玄関に踏み入れると中年の男女が仰々しく私を迎え入れた。

「ああ! ウェーナ王女様!
よくぞこちらまで足を運んでくださいました! 」

​「こちらから伺うべきでしょうに……申し訳ありません」

シュティルンの両親だろう。 派手さはなく、上品に着飾られている。

「いえ、こちらこそいきなり伺って申し訳ありません。 
庭のバラを少し拝見しましたが大変美しかったです」

「まあそんな……」

奥方が微笑む。
2人ともあまりシュティルンに似ていない。
いや、パーツパーツは似ているのだが彼女のあの今にも壊れてしまいそうな雰囲気は 2人からは全くしなかった。

「あの子ってば、王女様を待たせて何をしているのかしら ……。 
申し訳ありません、少し鈍臭いところがありまして」 

「いやそんな! 」

「本当に、体も気も弱くておまけに頭の回転も遅いでしょう?
王女様を困らせていないか心配で心配で」

この2人は何を言っている?
そんなことは全く無い。彼女は聡い。
そもそも何故初対面の、しかも一応王女である私にそんなことを言う。 

「ウェーナ様」

私の動揺を読み取ったかのように、シュティルンが階段から私を見下ろしていた。
一瞬何かを探るような目をしたがすぐさま逸らしてこちらへ降りてくる。 
 
「申し訳ありません。着替えに手間取りました」

「いえいえ、こちらも少し早く着いてしまいました」

「どうぞ中庭へ。バラを見ながらお茶を飲みましょう。
ユグルムくんも御一緒しても? 」

「勿論」

「ユグルムくん、行きましょう」

ユグルムは階段の奥の部屋からひょっこりと顔を出すと、戸惑った表情を浮かべたまま着いて来た。 
シュティルンの両親は焦ったような表情を浮かべながらも私たちを送り出した。

バラは見事だった。
きちんと手入れされているのだろう。鮮やかな色彩で咲いている。

「綺麗ですね」 

「母がバラが好きで」

白いティーテーブルには既にお茶と菓子が並べられていた。
私はいそいそと席に着き早速一口頂く。美味しい。

「それで」

シュティルンは私たちから離れたところで待つウォクスとネルフを見た。

「……色々と、聞くべきことはあるのでしょうね」

やはりユグルムから聞いているのだ。
彼を見るが、お茶にスパイスを入れることに夢中になってこちらの視線には気付いていなかった。

「あの」

「ですが私はどうでもいいのです。あなたがなんであろうと……。
あなたが嘘をついていることは初めて会った時から知っていました」

そう、だったのか。
思えば彼女を初めて見た時……あの時彼女は私を睨んでいた。
私の嘘に気が付いて、牽制していたのかもしれない。 

「でもそれでも良い。なんだって、どうだって。
私はただシェーデルが幸せであればそれで良いんです」

「……はい」

「シェーデルは……私にとって大事な友人です。
だからシェーデルのことを幸せにしてあげてください」

……娘を嫁がせる父親のようなことを言われてしまった。

「わかっています。私はこれ以上彼を裏切るつもりはありません」

「なら話は以上です」

「えっ? 」

あっさりと引き下がったシュティルンに思わず声が出た。
い、いいの?

「えっ……? 」

「いやだって、私に、何か……言いたくてここに呼んだんじゃ……? 」

「ああ……。
本当はもっとこう、ワーッて言ってやろう! と思ったんです。
シェーデルはああ見えて色々抱え込みやすい性格をしていて、きょうだいのことで散々悩んでいるのにこれ以上苦悩する姿は哀れで見てられなくて。
けれどよく考えたらあなただってシェーデルを愛しているのですから……まあ別に言うこともないかなあと……」

私はカップを落としそうになった。

「あ、あ、愛し……」

「初めて会った時からあなたはずっとシェーデルにべた惚れでしたよね。
見ていてこっちが恥ずかしくなるというか……。
なのに何故わざと嫌われるようなことをするんだろうと思っていたんですけど……素直になれなかったんですか?
しかもその後、よく泣いてらっしゃいましたよね? 目が赤くなってました。
分かりやすくて……なのにずっと嘘をついてるから変な人だなあと思っていました」

そ、そうだったのか。そう……。私の気持ちはシュティルンに筒抜けだった……なんと恥ずかしい。
というか私の記憶はまだ完全でないのだが、初めて会った時からべた惚れって……。

「は、恥ずかしい……」

「あ、ご、ごめんなさい……」

「いえ……そんな、バレてたなんて知らなくて……」

「あまりその……口出ししないようにしてるんです。拗れてしまうかもしれませんし」

シュティルンは顔を上げてウォクスとネルフを見た。

「あの2人のことも本当はもっと色々言いたいんですけれど余計なお世話ですから……」

「えっ!? あの2人がなんです!? 」

「わあすごい食いつき……。
もしかして気が付いてなかったのですか?
私てっきりウォクスさんは男性が好きだと思っていたんです……。
というか、前まではそうでしたよね? 以前お会いした時はそうだったような。
ネルフさん、でしたか、あの方と出会って変わられたんでしょうか」 

す、すごい観察眼 ……。
いや今はそこじゃない。

「ね、ネルフの方は……その……ウォクスを……好き……的な……? 」

「……8割方そうじゃないでしょうか?
まだ本人もよくわかっていなさそうですけれど。
あの2人はなんだか甘酸っぱいですよね。こちらがドキドキします……」

へええ〜……!そうなのか!
ウォクスよかったね……お幸せにね……。
と、私が生暖かい目線を送っているとシュティルンがハアとため息を吐いた。

「ああいう甘い恋はこちらも見ていて微笑ましくもあるのですが……」

ウォクス31歳、ネルフ27歳。年齢を考えると見ていてそこまで微笑ましくはないが私は頷いておいた。

「あ、いけない。あまり話すべきじゃないですわね」

「えっ、ここまで話しておいて!? 」

「つい ……。王女様もあまりこのことは話さないでくださいませ。
それで本題に入りましょうか。ユグルムくんも飽きてきていますから」

ユグルムはソワソワと落ち着かない様子で椅子に座っていた。

「ごめん……。
でも本題って? 」

「トレーネにファウストさんのことを聞かれました。
私の両親から話た方がいいのかもしれませんが……私からお話しします」

思わぬ展開に背筋が伸びる。
こんなあっさりファウストなる人物のことを聞けるとは。

「ファウストさんはユグルムくんが国境付近で行き倒れているところを保護したんです。
見ての通りの美貌ですからもしかしたら女性と勘違いして助けたのかもしれませんね……憶測ですけれども。
そしてファウストさんは彼にケルパー語を教えて働き先も工面しました。
そこが私の家。私がその……男性嫌いだと間違った噂が流れていまして」

本当は男性嫌いなのではなく人間が怖いんです、とシュティルンは呟いた。

「彼なら男に慣れるのに丁度いいのではないかと……なんでそうなるのかよくわからないんですけれど、それで私の家にいます」

「ユグルム……あなた、すごく運が良かったのね」

「ふうん」 

ユグルムは興味無さそうに口を尖らせた。
もしそのファウストさんのようないい人に見つからず悪い奴……例えば奴隷商人に見つかっていたら彼は今頃ビシバシ鞭で打たれていたことだろう。 

「ユグルムは普段何をしてるんですか? 」 

「歌を勉強しています。
歌が上手いので折角だからそっちの才能も生かすべきだとファウストさんが……。
ですけれど、あなたが雇っていた楽士なんですものね。上手くて当然でした」

「良かったね」

「うん。
この声でも歌うたえるんだねえ」

彼は喉を押さえ笑った。
あの透き通るような美声はないけれど、この破れた声の歌もきっと美しいのだろう。

「今度聞かせてくれる? 」

「うん」 

「ありがとう。
……それで、ファウストさんって結局何者なんですか? 」

シュティルンは目を細めた。

「そうなると思ったので呼びました」

「え、ええ!? ここにいるの!? 」

話が早い! 

シュティルンは控えていた彼女の家の使用人に何か伝えた。
そして僅か5分もしないうちに男が現れる。もしかして待たせていたのだろうか。申し訳ない。
しかしなるほど、確かに賢そうで……厄介そうだ。つり目だからだろうか?それとも瞳が緑色だからだろうか?
茶色の髪は綺麗に整えられていて身なりも良い。成金と聞いていたが品もある。
彼は私を見るとニコリと人懐っこそうに笑った。

「初めまして王女様。私を捜していると伺いました。
シュヴァイス商会会長のしがない商人、ファウストと申します」

「初めまして、ウェーナ、です。
申し訳ありません、お呼びたてして」

「身に余る光栄です。
それで、ご用件と言うのは? 」

「あー、えっと、」

私が答えあぐねていると彼は愉快そうにニッと笑った。

話がトントンと進んでいる。
ここで聞いて良いのだろうか? シェーデルやトレーネからは止められている。
だけれどこのチャンス逃して良いのだろうか? 

「私は席を外しましょう」

「いえ! そんな! 」

立ち上がろうとするシュティルンを慌てて止める。主催者を追い出すような真似は良くないだろう。
それに彼の言葉の真偽をシュティルンに確かめてもらいたい。

「ですが」

「王女様が構わないのでしたらシュティルン様もこちらにいてくださいませんか?
さすがに私1人ですと心細いです」 

シュティルンはそう言うなら、と頷いた。 
ファウストは満足げに頷く。
……満足げに……というか、愛おしくてたまらないと言わんばかりの視線をシュティルンに向けているのだが……。
これはこういうものなの? この人は常にこういう顔なだけ?

「あれ? ファウストなんでいるの? 」 

ユグルムはハッとしたような顔でファウストを見た。お茶に夢中になっていたようだ。
前会った時以上にボーッとしてるなあ……。

「なんでって、呼ばれたからだよ。
ったく、またぼーっとしてたのか? 俺今来たばっかじゃないんだけどな」

ユグルムの肩を叩いて彼は席に着いた。
ユグルムに対しては普通の、人の良さそうなお兄さんと言う感じだ。
しかしさりげなくシュティルンの横に座っている。
別におかしくはないのだが、ユグルムの隣でも良いような。
いや……お茶を飲むシュティルンを見つめる眼差し。

明らかにシュティルンのことが可愛くてたまらないという表情だ。
こいつ 30いくつなのに一回り以上年の離れた女の子に対して ……。 
というかシュティルンはこのめちゃめちゃわかりやすい好意に気がつかないはずがない。
どう思ってるんだろう、と彼女を盗み見ると居心地悪そうにお茶を見つめていた。
気づかないはずが……ないよね。

「あー、あの、それでは、本題に入りましょうか」

シュティルンは頬を染めながら話題を戻した。

「そうですね。
早速で悪いのですが、あなたはどこでユグルムと出会ったのですか? 」 

「国境のあたりです。あそこは治安が悪いのですが、だからこそ取引したいという人も多くて。
そこでたまたま彼を見つけたんです。
行き倒れなんて多いですから置いていこうとも思ったのですが、彼を見た時まだ10歳くらいの子供だと思い助けました」

ユグルムは声は高く、背はそこまで高くない。
みすぼらしい格好でいたら子供と間違えてもおかしくはないかもしれない。

「しかし何故面倒を? 」

「成り行きです。彼をどこかに預けようにもどこの施設も空いてなくて仕方なく」

口ぶりでは面倒そうだが、会話の隙にユグルムが欲しがるお菓子を渡したり袖を捲ってやったりと非常に面倒見がいい。

「それでどういう経緯があって彼はこの家に雇われることになったのでしょう? 」

「それが偶々この家がある特定の人物を雇いたがってると、ある人が教えてくれたんです」

ある特定の人物とは、ユグルムのような男らしくない人物のことだろう。
確かに彼はぴったりだ。

「ちなみにその人の名前とか教えてもらえます……? 」

「ゲシュライと。ただ本名かどうかも定かではありませんし、どこに住んでるかも知りませんし、そもそも顔もよく見たことがなくて……」

「あ、怪しくないでしょうか……」

「かなり。ただ信頼に足る情報は持っていました。
彼のような素性を隠した人は少なくないですから慣れていましたが、改めて言われるとすごく怪しいですよね」

ニコニコとファウストは笑うが……笑い事なんだろうか。

「世の中いろんな人がいます。頬に傷を負っているから顔を隠しておきたい人や、かつて名のある貴族だったから素性を隠しておきたい人とかね。
わざわざ詮索はしません。周囲から信頼されているかどうか仕事の結果はどうなのかを重要視していますから。
勿論情報の重みによっては聞かざるを得ないこともありますがね」 

私も素性を隠している 1人なので黙っていた。

「しかし何故ユグルムのことを? 」

「実は探している人がいまして……。
ユグルムと仲が良かったので、もしかしたら彼が何か知ってるんじゃないかと思ったんです」

「そうなんですね……。
良ければ私もお手伝いしましょうか? 」

ウェーナ王女を探していると言うわけにはいかない。慌てて首を振った。

「いえ、大丈夫です」 

「そうですか。
もし気が変わったらご連絡ください。
……それか、レーバー亭に来るのもいいかもしれませんね。
レーバー亭はここから少し離れた酒場ですが、いろんな人が集まりますから何かしら情報は得られるかと思います。
まあ小汚い所なので王女様には相応しくないですが……その目で直接見たら得られることもありますよ」

ファウストは怪しげに緑の目を細めて言った。
レーバー亭というのは聞いたことはないが、庶民の通う店なのだろう。

「何かあると思うのですか? 」

「ええ」

彼は私にレーバー亭に来いと言っている? 
だが何故。 

「何があるんでしょう」 

「それは直接見ないと分からないでしょうね」

私を直接そこに連れていきたい理由とはなんなんだろう。
まさか。

「……わかりました。検討します」

ファウストが結局何者か分からないが、もしウェーナ王女と彼が繋がっているのだとしたらユグルムを助けたことにも納得がいく。
何も知らないユグルムは蠱惑的な桃色の唇を震わせて小さな声で歌っていた。
愛すべき者を守るために戦で死んだ悲しき男の歌を。

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