14.失踪カノンⅣ
シュティルンが休んでいる部屋に向かう途中の廊下の窓から、城の外に立派な馬車が見えた。
アレがシュティルンの迎えの馬車だろう。
「あら、もう迎えが来てるみたい。
もしかしたらもう行っちゃったかしら? 」
「一応馬車の方に行ってみようか 」
玄関に向かうと、丁度シュティルンが出るところだった。トレーネも一緒だ。
私に贈られたドレスを着ているがサイズは問題なさそうだ。
顔色は……まあ悪くない。
「シュティルン様」
「 ……ウェーナ様。申し訳ありません、ドレスをお借りしてて……」
「大丈夫ですよ」
トレーネが目を細めて私を見る。
着てもいないんだから構わないでしょう、と冷たく言われた気がした。
「あの、今度またゆっくりお話ししませんか?
王城の外とかで」
「あちらの私と話したのですね」
彼女は私の「また」という単語に反応してか、困ったようにそう言った。
男のように喋るシュティルンの人格のことだと察して頷く。
「あまり、あちらの私は出てこないんです。
何か聞きたいことがあれば今言ってください。
あちらの私は、今の私の時に起こったことを把握しています。今だって……。
逆に私はあちらの私の時に起こったことを把握出来ないので何を話されたのか存じませんが」
そういうものなのか。二重人格とは大変だ。
もしあちらのシュティルンが今のシュティルンの望まないことをしていても彼女はそれを知る由が無いということ。
「ややこしいですけれどよろしくお願いします」
「私は今のあなたともゆっくりお話し出来ればと思ってますので……その、もし暇があれば……」
シュティルンはジッと私を見つめた。居心地が悪くなって目を逸らす。
好奇心からそう言っていると思われただろうか?
私はただ、彼女の追い詰められて行く様がハーレムにいた女たちを思い出して放っておけないだけなのだが……。
「お優しいんですね。じゃあ……あの恐ろしい男のいない所でお会いしましょう」
私ははい、と言ってから気づく。
待て、もしかしてブルートってずっと王城にいる?そりゃそうか。彼の家なのだから。
ということは私もシュティルンと同じように悪に怯えて過ごさなくてはならない……?
「すぐどっか争いごとをしに行きますよ……今までもそうでしたし」
「へ? あ、そうなんですね」
まるで私の考えを見抜いたかのような言葉に間の抜けた声が出る。
「それでは私はこれで」
こちらに一礼した彼女が歩き出すと待っていた馬車の扉が開く。
すると、中から人が出て来た。
艶やかな黒髪にきめやかな白い肌、赤い頬と唇、潤んだ瞳。
完璧な美少女だった。
貴族特有のフリルたっぷりの服に身を包んだ肢体が滑らかに動き、シュティルンに向かって歩き出した。
「わあ、すごく可愛い子ね。
妹さんかしら……? 」
ウォクスがこっそり囁いた。
いや違う。彼は……
「ユグルム……」
私の呼びかけにあの美しい顔がこちらを向いた。
「……カルワリア……? 」
美しかった少女のような声は嗄れ割れていた。
彼の美声を聞くだけで皆が涙したというのに。
「どうしてここにいるの? 」
拙いケルパー語。いつの間に覚えたんだろう。
「なんで? どうしたの? 」
「それはこっちのセリフだよ! 」
大きな声が出てしまい、ハッとなる。
しまった。
ウォクスやシュティルンが不思議そうに私達を見ている。
「あ、あの、彼は、私のお城のお抱えの楽士だったので……」
「なにを言ってるの? 」
ユグルムが不安そうに私を見た。
「なに? おかしいよ。
そもそもどうしてここにいるの? きみは家にかえされたんじゃなかったの?」
「ユグルムくん、少し黙ってもらって良いかしら」
シュティルンが私を見つめながらユグルムに冷静に言う。
ユグルムはより混乱したようだが口を閉じた。
「ご紹介が遅れましたね。彼は私の人間不信を治す為に両親が雇ったのです」
人間不信をどうやって直すの、とは口を挟まないでおいた。
しかし、「どうやって治すかは知りませんけれど」とシュティルンは言葉を付け足した。
顔に出ていただろうか?
「彼は元々コルプス国のお抱え楽士とは聞いていましたが、ウェーナ王女と面識があったのですね。
積もる話もあるでしょうし、どうでしょう? 私の屋敷に来られては? 」
「い、いえ……」
私がウェーナではなくカルワリアとバレるとまずいだろう。
色々聞きたいことが山のようにあるが他の人がいるところじゃ話せない。
そんな私の迷いを察してかトレーネが助け船を出した。
「ご挨拶だけでもされたらどうです? コルプス国の方は懐かしいでしょう。
ああ、ウォクスさん、悪いんですがネルフにお茶を用意するように言って来てもらえます? 戻ったらお茶会をと」
「今でしょうか?」
「今すぐに」
「は、はあ……」
首を傾げながらもウォクスは場内に戻っていった。
トレーネの考えがわかる。
今の隙にコルプス語でユグルムと話せば、コルプス語のわからないだろうシュティルンから私の正体を隠すことができる。
「ユグルム、落ち着いてまず私の話を聞いてほしい」
コルプス語で語りかけるとユグルムは怯えた表情をしながら微かに頷いた。
「私は今ウェーナ王女の身代わりになってこのお城で働いているの。このことは皆には内緒にしてね。
私のこともウェーナ様って呼んで」
「なんで? ウェーナじゃないのにウェーナってよばないといけないの? どうしてそんなことをしているの?」
理解ができないようで何度もユグルムは首を振った。だが全部を説明している暇はない。
「ごめんね、詳しくは話せないんだ。
それよりウェーナ王女はどこ? あなたなら何か知ってるんじゃない? 」
「しらない……。
オレ、声がダメになったんだ。へんな水のんじゃったから。
そしたらウェーナはオレのこといらないって。それからウェーナとは会ってない」
ユグルムは長い睫毛を伏せた。
へんな水……毒だろう。
彼はウェーナ王女の一番のお気に入りだった為やっかんでいるものも少なくなかった。
恐らくそれで毒を飲まされたのだろうと思うのだが……命があるだけでも良かったと思うべきか。
しかし、ウェーナ王女が彼をいらないと言うはずがない。何があったんだろう。
私は彼とずっと会っていなかった。
恐らく2年前……ウェーナ王女が死んだと言われるより少し前から会っていない。
だが久しぶりに見た彼は変わらず美しく可憐で、そしてその純粋な瞳は弟を思い起こさせた。
「どうやってこの国に来たの? 」
「ファウストがたすけてくれたんだ」
ファウストとは誰だろう。名前からしてケルパー国の人間だが ……。
「そのファウストさんはウェーナ王女のこと何か言ってた? 」
「うん。なんにもおしえてくれないけど、ナリキンだからこういう泥くさいことがとく意なんだって」
成金 ……商人か?
そんな人が何故ウェーナ王女のことを知っているのだ。本当に知っているのか?
そのことを深く聞きたかったが、ユグルムは言葉を続ける。
「それで、よくわからないんだけど、シュティルンさまは男のひとがキライだから、オレのような女みたいな男からなれればいいんじゃないかって言われてシュティルンさまの家にいるんだ。
オレはそんなんでキライなのがなおるとおもわないのに」
「私もそう思うけど。
シュティルン様の屋敷では嫌なこととか無い?」
「シュティルンさま、あんまりオレとはなさないし」
それじゃいつまで経っても人間不信も男性嫌いも直らないんじゃ。
「ま、まあ、なんかあったら言ってね。出来る限りのことはするから」
「うん」
これ以上は怪しまれるだろう。
シュティルンの怪訝そうな視線から逃れるように私はユグルムに手を振った。
彼は可憐に微笑むとシュティルンの手を取って馬車に乗って行く。
シュティルンは激しく嫌がったが、ユグルムは全くそれを意に介していなかった。
彼女は私たちを見て訝しげな顔をしていたが結局なにも聞かずに挨拶だけして行ってしまった。
ありがたい。が、きっとユグルムから色々聞くつもりなんだろうなあ……。
「シュティルン様には事情話しちゃダメかな」
トレーネに尋ねると、少し首を傾けて考えていた。
「あまり厄介ごとに巻き込みたくないんですが……。
なんとか誤魔化しておきましょう」
「ご、ごめん……。
えーと、とにかく、ファウストって人が手がかりかな? 」
「ユグルムさんの言ってることに信憑性があるんでしょうか? 」
「嘘をついたりとかは出来ないから。
シュティルン様の両親にそれとなく聞けないかなあ ……」
「私から聞いておきます。面識はありますのでスムーズかと」
「ありがとう」
シェーデルは私になにもしなくていいと言っていたが早速手がかりが見つかったのだ。
やはり私も、テルグム王の計画阻止に携わりたい。
それで私の行いが全て許されるとは思っていないが、出来るだけのことはしたい。
「では早速聞いて来ましょう。……ウェーナ様は先にお部屋に戻っていてください」
トレーネは近くにいた護衛騎士を呼んで私を部屋に送り出した。それも優しく微笑みながら。
トレーネってばいきなり優しくなってどうしたの? と不審に思っていたがそれは部屋の外からでも漂ってくるあの混沌とした甘ったるい匂いでわかった。
そうだ……ウォクスにネルフにお茶を用意するよう頼んでたんだっけ。
既に捕まっていたシェーデルと共に私たちはお茶を飲んだ。
なんて味なんだろう。
私たち2人が絶望している横でネルフとウォクスは笑い合いながらお茶を飲み干していた。
あの2人だけ別のお茶を飲んでいるんだろうか。