13.失踪カノンⅢ
私は部屋の窓からぼんやり庭を眺めながらウェーナ王女の居場所を考えていた。
どこにいるのだろう。
たった 16歳で殺されたと思っていた。
彼女は強く、生き生きとして生命力があった。
だから彼女が生きていたと聞いた時はやっぱり、という気持ちが少しあった。
あんなに強い人なのだ。簡単に殺されたりはしない。
気になるのはどうやってあの城を生きて抜け出したかだ。
テルグム王の監視を掻い潜って抜け出すのは至難の技だ。
死んだフリをしてそこから出たのだろうか。
誰かの手引きが無ければ出来ないことだ。
「……起きていたのか」
声がして振り向くとシェーデルが立っていた。
その顔はどこか暗い。
当たり前だ。私は彼を騙していたのだ。
2人きりになって改めて思い知る。
私は18歳のコルプス国の王女ウェーナではなく22歳の単なる貴族カルワリアであり、彼を愛するため国を平和にするためではなく、彼を殺し国を潰すためという名目でここに来た。
彼の顔を見ていられない。罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
そう、私はこの感情をなんとか抑えようと抑えようとしては溢れ出し、苦しみ、ウォクスに泣きついていた。
そしてシェーデルを拒絶した。彼と一緒にいると苦しくてたまらなかった。
早くカプトをこちらに連れて来て、計画を頓挫させなくては。
気持ちは焦れど中々カプトをこちらに連れて来られず……死んでいたのだから当たり前なのだが ……時間だけが過ぎていた。
その間に私たちの関係はドンドン冷えていき、シェーデルが私の浮気を疑い、私を見れば苛立つようになっていった。
なんて私は身勝手なんだろう。
「シェーデル様……本当に申し訳ありません」
シェーデルに向かって頭を深く下げた。彼は何も言わない。
私のことを罰しないと言ったが、きっと許せない気持ちでいっぱいだろう。
彼は私のことを好きだと言ってくれていたのに私はそれを考えられる一番最低な方法で裏切ったのだから。
本当なら今すぐにここから追い出したいに違いない。
だが私よりも国を守ることを先決し、私から情報を得るために罰しないと言ってくれた。
ならば私はせめて存在するはずのテルグム王の第2の計画を絶対に阻止する。これが彼に対する贖罪だろう。
「もし万が一ウェーナ王女を見つけ出せなければ私を交渉の材料にしてください」
「どういう意味だ……」
彼の声は僅かに震えていた。
私は自分のつま先を見つめながら答える。
「私はコルプス国王城の至る所まで知っています。
そもそもそれをブルート様に教えるためにこの役目を受けてたったのです。
ですから、もしウェーナ王女を見つけ出すのが間に合わなければ私を使ってテルグム王と取引をしてください」
「……お前はどうしたい?
お前の望みはコルプス国に帰ることか? 」
あの国に少しの思い入れもない……と言ったら嘘になるが、だが帰りたいとは思わない。
あそこにはもう何もない。
寂しいところと言ったウォクスを思い出す。
あそこは寂しい。雪と破滅していく人間しかいない。
しかし私の居場所はここにはないのだ。
「……もし戻れるならば」
せめて両親の墓にカプトの認識票を埋めてやろう。
「…………そうか。わかった。
お前が国に戻れるよう全力を尽くす」
「いえ、そんな!
私のことなど全てが済んで余裕があればで構いません。
まずは国を守らなければ」
「何故そこまでケルパー国に肩入れする。
お前はコルプス国の生まれだろう」
頭を上げシェーデルを見た。
彼は硬い表情で私を見ていた。
私はテルグム王が恐ろしく、それ以上に憎くてたまらない。
彼の王は自分の子孫よりも何よりも国を大事にしている。
だから私は奪いたいのだ。私の大事な家族を奪った者から。
「 ……復讐です」
それに、もしケルパー国がコルプス国のものとなればシェーデルは苦しむことになる。
もう彼を苦しめたくはない。
「……そんなことしないでいい」
「え? 」
意外な言葉に間の抜けた声が出る。
「俺の兄は恐ろしく強いんだ。片足になってもその強さは変わらない。
おかしな言い方だが、戦争の才能があるんだよ。それから戦士の育成の才能もな。
もし戦争になったとして、必ずコルプス国に勝ってみせる」
彼は私をあの青い目で捕らえた。
「お前は何もしないでいい。
あとは俺が、俺たちがなんとかする」
これは……お役御免ということか。
残念だ。せめて彼の役に立ちたかったのに。
だが私なんぞいない方がいいだろう。
「わかり、ました」
「今後のことは心配するな。今大臣たちと相談している」
「はい」
「まだ話したいことがあるが ……悪い。
ブルートがまた余計なことをしかねないからそろそろ様子を見に戻らなくては。
もし何かあったら言ってくれ」
シェーデルはこちらを振り返ることなく行ってしまった。
振り返らなくてよかった。今私、ひどい顔をしている。
* * *
衣装部屋で私は蹲って泣いていた。かれこれ30分は経っているだろう。
その横でウォクスが「この感じ懐かしいわね」と言いながら頷いている。
彼は私が何も言わず泣き噦るのをただ黙って見守っていてくれた。
「……ウォクス」
「やっと喋れるようになった? 声ガラガラだけれど」
ウォクスは微笑みながら私にハンカチを差し出す。私はそれで涙を拭った。
「いつもこうだったの? 大変だったよね……」
人ごとのような言い方をする自分が嫌になる。
彼を巻き込んでいるのは自分だ。
「抱えてるものが大きいあなたのほうが大変よ。こんなのなんでもないわ」
彼は目尻のシワを深くして大らかに笑う。
その笑顔を見た時言葉が漏れ出た。
「……あのさ、私、記憶戻ったんだ」
ウォクスが頷いた。驚いていないようだ。察していたのかもしれない。
「ここに来てからのことは思い出せないけど……。
ごめん。ウォクスにいっぱい迷惑かけていたでしょう」
「そうねえ、ま、少しね。
でも今まで護衛した人の中だとあなたは一番良い人だわ。なんたって優しいもの」
その言葉に私は涙が溢れる。
本当に優しいのはウォクスである。そして私はその優しさを利用していた。
彼が私に優しいことを利用し、私が多少変なことをしていても目を瞑ってくれるだろうと思い護衛にしていたのだ。
目論見通り、彼はサングイス王子と連絡を取るためにしょっちゅう城下街に行く私を誰にも報告しないでいてくれた。
何かおかしいとは分かっていただろう。だが私を信じて何も言わないでいてくれた。
「ごめん……」
「何謝ってるの? 良いのよ。
あなたが言ってたんじゃない。感受性が高いことは良いことだって。
それに泣いたら少しはスッキリしたでしょ」
彼はウィンクをして笑った。
なんて優しい。聖人なんだろうか?
私がまた涙を零していると、衣装部屋にノックが響いた。
誰だかわからないが泣いているところは見られたくない。私は慌てて吊るされてあるドレスの中に隠れた。
ウォクスはそれを見届けるとどうぞ、と返事をする。
入って来たのはシェーデルだった。
「で、殿下……」
「げ……何故ここにいる」
ドレスの陰から2人はよく見えた。
互いに困ったような顔をしている。
「いえ……その、ウェーナ様に頼まれて……。
殿下こそどうされたのでしょう? よければ私が荷物をお持ちしますよ」
「良い。またシュティルンが吐いたからドレスを持って来てやろうと思っただけだ」
「ええ!? シュティルン様は休まれてたんじゃ……? 」
「ブルートのやつ……わざわざ探し出して嫌がらせをするんだ。本当に……どうしたら良いのやら……。
なんとか追い出してトレーネがとどめを刺していたから大丈夫だと思うんだが……」
シェーデルは深い深い溜息を吐いた。
どっちが兄なのか。確かブルートとシェーデルには10ほども年の開きがあったはずなのだが…… 。
「それは……あ、ドレスはこちらでよろしいですか? 」
「本当はあいつの物だから一言断るべきなんだろうけど」
きっとあいつとは私のことだ。
体が硬くなる。
「ウェーナ様は怒らないんじゃないでしょうか? 」
「袖を通してもいないドレスだ。なんとも思わないだろう」
投げやりな声に悲しくなる。
私の背中の傷を話すべきだろうか? いやでも……。
そもそも私なんかのこともうどうでも良いんじゃないだろうか。
今の投げやりな声は、裏切られたことによる怒りからだ。私は罪悪感から身を縮こまらせた。
「ウォクス」
「はい? 」
「お前はコルプス国の生まれなんだよな? 」
「はい……」
ウォクスが不安そうな顔になった。
「何故ここに来た」
「仕事を探して。コルプス国では雇ってもらえなかったので」
「ん……? お前ほどの腕なら引く手数多だろう? 」
「腕があってもどうしようもないことがあるのです」
ウォクスがまた、あの寂しげな顔をして遠くを見た。
「そうか。
もうあの国に戻ることはないのか? 」
「ええ。
何故そのようなことを? 」
「単なる好奇心だ。
なあ、あいつに何かあったら頼むから守ってくれ。仲が良いんだろう?
いや、別に責める気は……まあ今は無い……嫌だけど……」
未だに私を守ろうとしてくれるシェーデルに胸が熱くなった。
勿論それは私から情報が欲しいためであると分かっているが、それでも嬉しい。
「ちょ、ちょっと待ってください。何かってなんでしょうか!? 」
ウォクスが慌てた声を出し、私の方を盗み見た。
何が起こっているのか問いただすような目で。
「いや、何かあるわけじゃないんだが……。
ブルートも帰って来てしまったし……」
そ、そっち?
いや、それだけブルートは危険な人物なのかもしれない。
現にウォクスも眉を寄せ溜息をついた。
「俺の言いたいことわかるだろう?」
「……いきなり殴りかかって来たりはしませんよね……? 」
「しないとは言えないな。
兄に関しては何を考えているのかまっったく分からない。
もう……本当に……何をしでかすのか……。
とにかく! シュティルンやトレーネ、散っていた使用人達のような目に合わせない為にもあいつの行動には目を光らせていてくれ」
「我が命に変えても」
2人は引き締まった顔でうなずき合っている。
なんなんだ一体。なんなんだ。
「じゃ俺はもう行く。邪魔して悪かったな」
「いえ! 」
シェーデルはどこか疲れた様子のまま衣装部屋を後にした。
ウォクスがほうっと息を吐いてこちらを見る。
「バレないで済んで良かったわ……ヒヤヒヤしたあ……」
私はドレスの陰から出た。
流石に暑かった。
「本当だよ。
にしてもブルート様、至る所で悪評を聞くなあ」
「具体的に何したかは聞かないほうがいいわよ。気分悪くなるから」
「トレーネも被害者なんだ? 」
「被害者というか ……あの 2人は元婚約者だったのにブルート様が戦争に明け暮れたせいで破談になったらしいわ」
……元婚約者!?
元婚約者!?!?
トレーネは隙あらばブルートを殺そうとしているのに!?
私の驚愕を詰め込んだ顔を見てウォクスは頷いた。
「わかるわあ……驚くわよね。トレーネさんは何も言わないし……。
でも周知の事実なのよ。というか、そのせいでトレーネさんは結婚したくても結婚出来ないらしいわ。
元婚約者がブルート様だと……関わりたくなくなるみたい……。何されるか分からないからって」
ブルートの威力はそこまで ……。
「シュティルン様も心配ね。送った後で馬車を手配したからそろそろ迎えが来ていい頃なのだけれど……」
彼女の蒼い顔が脳裏に浮かぶ。
呂律も回っていなかったし、体も頼りなかった。
私たちも様子を見に行くべきだろう。
シェーデルやトレーネがいるだろうが何か役に立つかもしれない。
私はウォクスにそれを伝えると「あたしも心配だったの」と言って一緒に彼女の休む部屋へと向かった。