12.失踪カノンⅡ
聞こえてきた悲鳴は乙女の「キャッ! 」という甲高いものではない。
南国に住む怪鳥が鳴いた時のような「ギャー! 」という悲鳴だった。
何事かとシェーデルとトレーネがすくと立ち上がり扉を開けた。
私も彼らの背後から覗き見る。
そこにいたのはブルートと、うずくまり嘔吐しているシュティルンだった。
「しまった。シュティルン今日ここに来る予定だったのか」
シェーデルの焦燥した声が、シュティルンの泣き声の合間に聞こえる。
彼女は「酷い目にあわされるくらいならいっそ殺して、嫌だ嫌だ」と泣いていた。
いつも以上にまずいことになっている。大丈夫じゃなさそうだ。
「シュティルン、吐くなよ。
僕の義足にかかったらどうするんだ? これ高いんだぞ? 」
ブルートはやれやれと首を振っている。
義足の心配をしている場合か。
「全世界の皆様、ごめんなさい。
この男が存在していると知っていれば私は生を受けたりしませんでした」
泣きわめくシュティルンにトレーネがそっと声をかける。
「シュティルン落ち着いて」
「トレーネ……!
うう、どうしてこの男が帰って来てるって教えてくれなかったのよお……」
「急に帰って来たのよ。誰も喜ばないのに」
「うそうそ、シェーデルは僕が帰って来て嬉しいよね? 」
シェーデルはブルートを無視して「シュティルンは昔ブルートに虐められまくったせいで、あいつ見ると泣いたり吐いたりするんだ」と私に教えてくれた。
「へ、へえ。
二重人格もそれで ……? 」
「原因の1つかもしれないが多分違う」
シュティルンは体を震わせ泣いていた。
トレーネは彼女の吐瀉物を掃除している。
シュティルンの追い詰められた泣き方は、ハーレムにいた女たちを思い出す。
そして私もそうだった。
私は彼女に近づいてハンカチを渡した。
「ごめんなさい、こんなこともういやだ、もういやだよ、しにたい……ううう……」
「だ、大丈夫……? 」
「……ありがとう……」
なんとかハンカチを受け取るシュティルン。
舌が回っていないし顔色が悪い。
ブルートは一体何を ……いや考えるのはやめておこう。
「ひ!? そのちは……?」
「え?」
「シュティルン、ほら。俺に掴まれ」
シェーデルが彼女の細い体に腕を回した。
それを見て私は思わず嫉妬してしまう。
いやいや、彼女は今それどころじゃないんだから……。
「だ、だいじょうぶよ! ひとりでたてるから」
「嘘つくなよ。大丈夫だから……」
「いいいいい」
……前に会った時も変な人だと思ったが、今日会っても変な人だと思う。
正直前回会った時の方がまだまともだった。
口元吐瀉物塗れのまま小刻みに首を振っている姿は失礼だがどこぞのモンスターかと思う。
彼女は一人でゆっくり立ち上がると私のハンカチで口元をぬぐいながらこちらを見つめた。
「 …………もどったのね」
「え? 」
「記憶……」
……なんでそんなことわかるんだ。
私は思わず彼女をジッと見た。
「わかるわよ……だってあなた……」
「な、何事ですか……? 」
甘い匂いがして振り返ると、ウォクスとネルフがそこにいた。
シェーデルはウォクスを見るなり「げ」と言い、ウォクスはシェーデルを見るなり「殿下……」と囁いた。
「何故ここにいる」
「ウェーナ様がこちらにいると伺ってってああ!? ウェーナ様ぁ!?」
「ひゃい!? 」
「ど、ど、ど、どうされたんですかその血は……!? 」
彼の悲鳴に、自分が血まみれのドレスを着ていたことを思い出した。
ウォクスはさぞ驚いただろう。
血まみれのドレスを着た女と、吐瀉物まみれの女が廊下に蹲っていたのだから。
「大丈夫、私の血じゃないから」
「そういう問題じゃないわ……じゃないですよ!
その、それで……? 賊が出たとかではないのですね? 」
「もう殺したから大丈夫。アハ、彼女のドレスの血はその賊の血なんですよ」
ブルートが笑うと、ウォクスが僅か一瞬だが顔をしかめた。
「ブルート殿下、戻られていたのですね……」
「どうも!
ん……どこかで会ったことがあったかな……? いや……気のせいか」
ブルートは1人で納得したように頷く。
金の髪がフワフワと揺れた。
「 ……取り敢えず ……ウェーナ様 ……お部屋に戻りますか ……?」
ウォクスが助けを求めるかのような顔で私を見た。
私もこのよくわからない状況から助けてほしい。そう思って頷いた。
だがそれをシェーデルが阻止する。
「悪いが彼女にはまだ聞くことがある」
「ええ? ですけれど、お召替えされた方がよろしいんじゃ……」
「ネルフに頼む。お前は警備にでも行ってきたらどうなんだ? 」
「着替えくらいいちいち頼まないでも良いですよ。
ウォクス戻りましょうか」
ここは早めに退散が吉。
何故か苦虫を噛み潰したような顔のシェーデルに一礼して私はウォクスの元へ行こうと……したところでまた邪魔が入る。
今度はシュティルンだった。
「あー! あの! わたしまだちょっと体調がすぐれなくて、ウォクスさん? 少し部屋まで運んでくれないかしら」
「あれ? 平気なの? 男が苦手なくせに」
ブルートが笑いを噛み殺した声で言う。
原因が自分だとわかっているんじゃないだろうか。
「わ、わ、わ、私が苦手なのは生きとし生ける全ての者特にあなただけだから」
「私も生きとし生ける者なのですが……。
ですが、そうですね。顔色も良くありませんし早くどこかに休まれた方がよろしいです」
「そうだね。じゃあネルフ悪いんだけど湯浴みの用意をお願いできる? 」
「……ああ! はい! すぐに」
ネルフは珍しくボンヤリしていたようだ。
ウォクスも彼女をちょっと驚いた顔で見ている。
「大丈夫ですか? もしかしてあなたも具合が……? 」
「いえ……。
現状を把握しようとしたのですが、何故このような奇怪な状況になっているのか理解が出来ず……」
それはそうだろう。
私もよくわからないし早くここから脱出したい。
「私にもなんとも ……」
「まあ、聞いても仕方ありませんね。
わたくしがお茶を用意しますからどうぞお部屋でお待ちください」
トレーネの言葉にウォクスは「良いですね」とニコニコと笑ったがシェーデルとトレーネが青い顔になる。
「いや、ネルフ。大丈夫。トレーネが用意してくれるそうだから」
「ええ、あなたは早くウェーナ様のお召替えを手伝ってきなさい」
「そうですか? かしこまりました……。
ですがすぐ用意できますからいつで」
「行こう」
未だお茶を淹れたそうにするネルフの言葉を遮り私は部屋へ向かう。
ネルフはブルートやシェーデルにお辞儀をした後、ウォクスに対してウィンクしていた。
それを見ていた彼は嬉しそうに頬を赤らめはにかむ。
ウォクスはお茶を飲むのかな……。まあ私の口に入らなければなんだっていい。
それを見ていた、隣のシュティルンが目をひん剥いていたのが気になるが。
* * *
湯浴みをして返り血を洗い流した後、私はネルフの用意してくれたドレスに着替えた。
やっとさっぱりした気分だ。
「ウェーナ様、何があったのか伺ってもよろしいでしょうか? 」
ネルフのおずおずした声に私は頷く。
いきなり王女が血まみれになったら聞きたくもなる。
私は賊が入ったことや記憶が少し蘇ったことを、自分の正体を隠しながら答えた。
ネルフは私の記憶が蘇ったことを喜んでくれ、また賊に遭遇したことを労ってくれた。
「あ、そうだ、お茶を淹れましょうか。
リラックス出来ますよ」
「い、いいよ、喉乾いてないから。
それよりブルート様やシュテルン様に関して聞きたいのだけど」
「と、言いますと? 」
少し迷ったが、私はブルートと出会うとシュテルンが嘔吐してしまうことを伝えた。
ネルフは特段驚いた様子もなく「ああ」と頷いた。
「ブルート様は人間性に問題がありますから。
シュテルン様はああいう方ですし、相性は良くないと思いますね。あくまでわたくしの意見ですが」
「そういえばウォクスもブルート様を見た時嫌そうにしてたなあ」
「……ウォクスさんが? 」
「一瞬だけね」
「そうなんですか……。
まあ、ブルート様のこと好きな人この世にいないと思います。
ウォクスさんのような聖人君子でも嫌いますよ」
ネルフはハッキリと言ってのけた。
ブルート……恐ろしい。
ただ私も好きか嫌いかで言われたら嫌いだ。
弟の死を早く教えてくれれば良かったのにという八つ当たりのような気持ちもあるし、愛は無かったとはいえ愛人を目の前で殺されその血を浴びているのだ。好きになりようがない。
「ネルフはブルート様嫌い? 」
「好きでも嫌いでもありません。そもそも私的なことを話したことはないですから」
そのあと小さく「あまり話したいとも思えませんが」と付け足した。
「近寄らないことにするよ……。
シュテルン様は……?」
「どう思うか、ですか?
特になにかを思ったことはありません。
……そういえば、ここに来たばかりの時もシュテルン様のこと気にされていましたね」
そうだったのか? 私は覚えてないと首を振った。
「どうしてだったか……ああ、そうだ。
彼女のご友人たちと一緒にいるシェーデル様を見た時、こちらの国にもハーレムはあるのかと仰られてました。
わたくしがハーレム制度はこの国にはないですし、シェーデル様の恋人ではなくシュテルン様の恋人だとお伝えしたら大層気にしてらして」
それは気にしてらしますね。
あの女性たちはシュテルンの恋人たちだったのか。すっかり、シェーデルの愛人だと勘違いしていた。
「シュテルン様は男性的な面がある時がございますでしょう。
その時は女性たちと一緒にいるのを好まれるようですよ。
そうでない時は人間嫌いで、特に男性が苦手なようですけれど……ああ、そういえば最近は男性嫌いの特訓としてある男の方を雇ったそうですよ。
その方が、女性と見紛うばかりの美しさだそうで……少し見てみたいですよね」
わざわざそんな人を雇うほどに男嫌いとは。
だが、ブルートに虐められて嘔吐してしまうほどだ。無理はない。
「へえ……詳しいね」
「全部トレーネさんから聞きました。
あの2人、仲良いですよね。不思議です」
シュテルンは2人が幼馴染だとは知らないようだった。
言わなくてもいいことだと思い、私は黙っていることにした。
しかしシュテルンが雇ったという、女性と見紛うばかりの美青年。
それが何か引っかかった。