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10.彼女の​諦観トロイメライ

声が聞こえる。
声は水の中で聞いているようにくぐもって聞こえる。

「カルワリア」

私の名前だ。
なんとか目を開け体を起こそうとするが、どうしても体動かない。

私の名前はカルワリア。
コルプス国の貴族の1人だ。
私の家は王家とも多少繋がりのある名家であり、私と弟のカプト何不自由なく育てられた。
しかし私が18になったあの日、テルグム王から通達が来たあの日、私たちの人生は狂ってしまう。

王からの通達は、私に孫娘ウェーナの友人役として、そしてカプトに国王の騎士団の騎士として、王城で暮らして欲しいといった内容だった。
私たちはそれは喜んだ。特に父は、やっと王に認められたとはしゃいでいた。

私たちは余りにも無知で、何故私が選ばれたのか少しも不思議に思わなかったのだ。

王城に向かいその真意を知る。
孫娘ウェーナの友人役などというのは単なる方便でしかなく、本当の目的は後継であるサングイス王子のハーレムの一員になることであったのだ。
名のある貴族の血筋、彼等はそれが欲しかった。
そんなこと私には出来ない、そう断ろうとしたがそれは出来なかった。

「ここで断ればお前の弟は最も危険と呼ばれる場所に配属しようか」

テルグム王腹心の男が冷たく言い放つ。
弟を騎士団に入れたのは単なる人質でしかなかった。

「何故私なのです」

「後ろ盾もなく血筋を重ねてきた貴族ほど使えるものもない」

両親は善良だった。純朴で、人を疑うことを知らない。
両親はまさか私がハーレムの一員になったなど思いもしていないだろう。
ハーレムに入れば確かに王子からは愛されるかもしれない。
だが王子から愛されなければその後は「お下がり」の烙印を押されるだけだ。
誰が王子のお下がりを愛すことができる?

サングイス王子は夜着に着替えて縮こまる私を見て重々しくため息をついた。

「俺は誰も抱けない。
祖父王は俺に後継を作って欲しいんだろうがもう無理なんだ」 

王子は不能だった。
サングイス王はそれを認めず国中の女をかき集めて王子のハーレムに入れているらしい。
その為なんの取り柄もない貴族の私にまで白羽の矢が立つこととなったのだ。
私たちは形式的に体を重ねてはみたものの最後まで行うことができず、当然ながら世継ぎが出来ることはなかった。

もしそれだけで済んだら良かった。 しかしそうはいかない。
テルグム王は未だ世継ぎを作らないことに関し、私たちに腹を立てた。
王によるハーレムの女たちに対する暴力が始まった。

一度、サングイス王子に止めるように頼んだ。
だが彼は疲れたように息を吐く。

「お前の顔は好きだから、顔を傷つけないよう伝えておくよ」

それだけだった。

その言葉に私は怒りを覚えたが、だが一度だけ彼がテルグム王に殴られていたのを見た時酷く遣る瀬無い気持ちになった。
彼はテルグム王が怒りに身を任せて暴力を振るうのは当然のことだと思っており、だからこそ止めようと思わないのだ。
殴られ床に倒れこむサングイスは諦め疲れ切った表情で王を見ていた。

ハーレムの中で私たちは人として扱ってもらえないことで身も心もすり減らし、中には自殺するものまで現れた。
彼女の死は秘密裏に処理された。それを知った時、絶対にここで死んではならないと決意を固くする。

そんな中私に声をかけてきたのがウェーナ王女だ。
気高く、美しく、そして強かった。
祖父王も兄も見下し、いずれ彼等を殺すと私に囁いた。

「能無し共が国を統べることが出来ると? 荒廃していくだけだわ。
だから、もしあなたが後少しだけ耐えられるというのなら力を貸して」

ウェーナ王女は来年結婚するのだという。

「ケルパー国と同盟を結んだでしょう?
その証として結婚するのよ。でも王がそんな生易しいことするはずがない。
何か嫌な計画を立てているはずだわ。
兄は王に認められたくて仕方ないから、兄も一枚噛んでるでしょうね。
あなたは兄のハーレムの一員として彼の手足のフリをして欲しいの」

「……なんで私なんですか……」

また騙されるのは懲り懲りだと思い声を振り絞ると、ウェーナ王女は軽く言った。

「兄のお気に入りだから」

それだけらしい。
だがその理由だけで充分だと思えた。
確かに私はサングイス王子と言葉を交わすことが多く、夜を共にする回数も多かった。
怯えているか、気に入られようと必死になる者が多い中で投げやりな私の態度を気に入ったのだろう。
もしくは自分に似ていると思われたか。
とにかく、私はサングイス王子のお気に入りであり、それはスパイにもってこいと言えた。
単純明快で、そして役に立てそうだ。

ウェーナ王女が結婚するケルパー国の王子とは幼い頃会ったことがあるそうだが、彼女は困ったように眉を下げていた。

「争いごとが大好きで血濡れの将軍って呼ばれているらしいわ。
昔会った時はそんな恐ろしい人だとは思わなかったけれど。時の流れって残酷ね」 

「血濡れの ……だ、大丈夫なんでしょうか? 危ない人なんじゃ……」

「危ないでしょうね。でも仕方ない。
それに争いごとが好きなら早く死にそうだしいいんじゃないかしら? 」

「取りやめには出来ないのですか? 」

「甘いわね。そんなんだから弟を人質に取られるのよ……。
ああ、安心しなさい。彼はまだ無事なようよ」

カプトとはしばらく会っていないが、ウェーナ王女は彼の近況を教えてくれた。
それに時々彼から手紙が送られてくる。
「月の君」というなんとも仰々しい名前が、手紙の中での私の呼び名だった。
カプトは昔から抜けているところがあるから心配だ。

私はカプとからの手紙を読んでは胸が締め付けられた。 
流れ矢に当たって死んだりしないといいのだが。

だがそれと同じくらいに血濡れの将軍と呼ばれる王子と結婚するウェーナが心配だ。
……そう、コルプス国中が勘違いをしていたのだ。
てっきり30手前で独身のブルート王子とウェーナ王女が結婚すると思い込んでいた。
まさか彼の弟であるシェーデル王子との結婚だとも思いもせずに。

ケルパー国の王子がコルプス王城に来ることとなり、私は邪魔にならないよう中庭でボンヤリしていた。
こう忙しい時は静かにするに限る。

そんな私の元へ闖入者が現れた。
ウェーブした薄茶の髪に青い瞳の、まだ幼さの残る青年。
なんて美しい人だろうと息を飲んだ。
私はこの時彼の正体に気が付かなかった。
てっきりケルパー国の単なる関係者だろうと。でなければこんなところをウロついているはずがない。
 彼は不思議そうな顔で私を見つめた。私も全く同じ顔で彼を見つめ返していただろう。

「……失礼、ここはどこだろうか」

コルプス語だった。
少し拙いが会話することは出来る。

「王城の中庭です。
あなたはどうしてこちらへ? 」

「王城を案内されていたが、案内人が緊急事態だと駆けて行ったので仕方なく……」

迷子のようだ。
それも仕方ない。この城はもし万が一にでも攻め込まれた時のために迷路のような複雑な作りになっている。
2年いる私ですら迷うことは多々あった。
案内人は何をやっているのだと呆れつつ私はその役目を引き受けることとした。

「良ければご案内いたします」

「……すまない、休まれていたのだろう? 」

「構いません。
取り敢えず……玄関までご案内すれば大丈夫でしょうか? 」

「そうしてもらえると助かる」

彼は困ったように笑った。
見た目は冷たそうだが、中身は案外柔和だ。
私たちは横に並んで王城を歩き出す。

「あの……あなたはなんの用があってこの国にいらっしゃったのですか? 」

「もうすぐ結婚をするのでその調整に」 

この言葉で彼がケルパー国の王子であると気が付いても良かったのに私は少しもその可能性を考えず、ただ敵国同士の結婚とは難儀だなと思っただけであった。

「お若いのに……」

「色々……あー……細々……」

彼は困ったような顔になる。
どうやら言葉が見つからないようだ。

「ややこしい? 」

「あ、ああ、そう。ややこしいことがあって。
……悪い、まだこちらの国の言葉をきちんと覚えていないんだ。もう少し勉強しないとな」

少し恥ずかしそうに彼は顔を背けた。

「謝るようなことではありませんよ。
それに今だってお上手です。そこまで意気込まなくても平気じゃないでしょうか? 」

「この国の人と結婚するんだ。この国の言葉が喋れたほうがいいだろう? 」

見た目は恐らく 17歳くらいだろう。だというのにもう相手の気持ちをここまで考えているのか。 
それに引き換えサングイス王子は……。

「お優しいんですね。
あなたの花嫁は幸せものです」

「……そうだといい」

フッと笑うその顔は優しげで、私は心底その花嫁が羨ましくなった。
だが私とは関わりのないことだと思い直し彼を玄関まで案内する。

「ここは見覚えがある」 

「それは良かった」

美しい男に別れを告げる。
もう二度と会うことはない、そう思っていた。
だがこの時、恐ろしいことが起こっていたのだ。
そして私は再び彼と出会うこととなる。彼の花嫁として。

その日、ウェーナ王女が朝方病気になったためにケルパー国の王子と会うことはなかったと人伝に聞いた。
私は少し心配になり、ウェーナ王女の元へ訪れた。
しかし彼女はいなかった。
この世からいなくなっていたのだ。

原因はなんなのか、どうせくだらないことだ。
ウェーナ王女の何かしらがテルグム王を怒らせた。
王は怒り狂い、持っていた杖で彼女を殴った。

「祖父王に逆らうからだ」

サングイス王子は妹が死んだというには冷静で、いつものあの疲れ切った表情を浮かべ静かにそう言った。

「カルワリア、お前はウェーナと背格好が似ているな」

「……何が言いたいのです」

「お前がウェーナになって、そしてケルパー国を潰すんだ」

何を馬鹿なことを言っているんだ。
私はそんなことはしないと抵抗した。
テルグム王に直訴までした。
だが結果は良くなるどころか最悪の方向へと行った。

私の母が、ケルパー国の兵士の慰み者にされた。

母はそのまま死んだらしい。父も兵士によって殺された。
聞いた話では両親が出かけている馬車をいきなり現れた兵士たちが襲ったらしいがそんなことあるはずがない。
テルグム王の手引きに違いない。
もし逆らえば次はカプトの命は無いだろう。

せめて弟だけでも守らなくては。
私はウェーナ王女の代わりを務める約束をした。
結局、私も両親と同じく無知だったのだ。

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