08.記憶ポルタメント
朝、眼が覚めるとシェーデルが私を抱き締めて寝ていた。
昨夜のことを思い出し顔が赤くなる。 結局彼は私にキスしたんだろうか……。
「……ん……」
シェーデルの青い目がうっすらと開く。
私は照れ臭い気持ちになりながらも声をかけた。
「おはようございます」
「……おはよう……ございます……」
寝惚けているようだ。
まあ、まだ朝も早いしもう少し寝ていても問題はないだろう。
「まだ起きなくても平気ですよ」と伝え、彼の腕に収まる。
シェーデルはボーッと私を見ていたが、やがてハッと目が見開かれ何やら意味不明な言葉を発しながら体を勢いよく離した。
「わあ! なに!? 」
「ち、違う、これは、寝惚けてて、だからうっかり抱き締めていただけで、その、」
私が嫌がると思ったのだろう。酷く狼狽していた。
「別に構いませんよ……」
「………………ああ、そうか。記憶が……」
そこまで忘れていたらしい。彼はどうも朝が弱いようだ。
いや単に昨日遅くまで起きていたから?
「 ……悪い ……寝惚けていた」
「フフ、朝苦手なんですね」
そう笑うと、彼は私の顔を見つめ真っ赤になっていた。
弱点を見つけられたのが嫌だったのだろうか。
「……あの? 」
「……お前が、そうやって笑ったの、初めて見た……」
……私、相当無愛想だったんだなあ。
それなのにどうして彼はあんなにも私を好きでいてくれるのか、理解が出来ない。
「本当、記憶があった時の私って嫌な女ですね」
「そんなことない。……そもそもお前は悪くないんだ」
シェーデルはそれだけ言うと立ち上がり、身支度をしに部屋を出て行ってしまった。
それだけ好いてくれるのは嬉しいが、理由が無いと不思議でしょうがない。
私の何が彼を魅了しているのだろう。
今日の予定は特に無い。 シェーデルも午前中に予定は無いという。
「なら、2人で出掛けませんか?
遠くでなくて良いので……城をぐるっと回るだけでも」
「俺は構わないが……」
なんで? と言いたげだった。
ただ私は彼ともっと話したかっただけだ。
出会った時はずっと怒ってばっかで怖かったのだが、今は怖くない。
「なら、少し屋上に登るか? 」
「屋上? 」
「王都を一望出来る」
そう言って彼は悪戯っ子のように笑う。
私たちは護衛も付けずに城の屋上に登った。
城内の、しかもこんなこところまで賊を通さないだろうということだ。
もちろん屋上入り口外には護衛はいる。
落下防止の柵の隙間から街を見下ろす。
城の屋上から見る景色は圧巻だった。
王都がまるでおもちゃのように小さかった。
赤や黄色や青の屋根や行き交う人々、緑の木々に大きな川……なんて色彩豊かなんだろう。
私のいた国はいつも真っ白だった……そうだ。私の国は、コルプス国はいつも雪で真っ白だったのだ。
微かな記憶が蘇る。
吐く息も凍るほど冷たい空気、雪を踏みしめた時のキュッとした感触、それから……小さなあの子……。
「 ……どうした? 」
シェーデルに覗き込まれハッとなる。
「今 ……少しだけ記憶が ……」
「戻ったのか!? 」
「……雪の記憶だけ……他のこと思い出そうとしてもなんだか靄がかかったみたいになって……」
ダメだ。思い出せない。
小さなあの子、とは誰だっただろうか。
私には兄しかいないらしいし、だとすると友達? 王家の子供かもしれない。
もしかしてそれがあの商人の言っていたカルワリアのことだろうか。
カルワリアを捨てろ……。
捨てる、と言う言葉も幼い子供に向けてなら納得だ。……嫌なことだが。
「無理に思い出さなくてもいい……だが良かった。
記憶が戻る兆しが見えただけでも良かった」
彼のホッとした顔を見て私も息を吐く。
ずっと記憶が戻らなかったらと不安だったがそれはなさそうだ。
しかしやはり何かが引き金になって記憶というのは蘇るらしい。
となると色々なことを見て聞くことこそが一番の近道なのだろう。
私は柵に近づいて更によく街を見た。
「あれは? 」
「出店だ。お前はよくあそこに行っていた。
隣は大道芸だな。
そういえばお前の城では芸人を雇っているらしい。
なんでも、その歌声を聴くとどんな者でも涙が溢れてくるほど歌の上手い男がいるとか……」
「へえ……」
全然思い出せない。
しかしそんな歌声是非聴いてみたいものである。いや、昔は聴いていたのだろうか?
「シェーデル様は歌うたいますか? 」
「ああ。
……どんな者も涙を流すほどじゃないが、人並みには」
「歌ってください! 」
シェーデルは難しそうな顔をしたがやがて口を開いて歌い始めた。
聴いたことのない歌だ。
戦いの歌のようで、男が家族や友人という愛する者のために敵国戦っていく物語だ。
シェーデルの歌声はとても良い。澄んだ声ではないが体の底を震わせる響きがある。
歌の中の男が愛する者を想いながら死んでいく。そこで歌は終わった。
「良かった。でも悲しい歌ですね」
「……とっさに思いついたのがこれだった。もっとマシなのにすりゃよかったな。
兄がいつも歌っていたから、つい」
「お兄さんが?
そういえばシェーデル様のお兄さんってどんなお兄さんなんですか? 」
彼は顔を顰めて黙り込んでしまった。
触れてはいけなかったようだ。
「あ、いえ、あの、私は兄がいたようなので、兄とはどんな感じなのかなと思って」
「俺の兄は歳が10も離れているしそれに……なんというか……ロクでもない奴で……」
「……私の祖父よりも……? 」
「テルグム王はその昔……保守的な時代には素晴らしい王だったんだよ。
ただ時代が進んで王だけ取り残された……権力は持ったままな。
兄が素晴らしかったことは一度も無い。その点、テルグム王の方が遥かにマシだろう」
どんな兄なのか……会ってみたい気もするがどんな目にあわされるのかわからない。
シェーデルは「会わないで済めば良いんだが」と呟いた。
私たちはまた街を見下ろす。
長い川 ……この川は国にとって重要な存在だ。
皆あの川から水を引っ張って生活している。
……はて、これは誰から聞いた話だったか ……。
「 ……そろそろ戻ろう」
シェーデルがくるりと街並みから背を向け出口へと向かっていく。
「あ、待って、1つだけ良いですか? 」
「なんだ」
私はジッと彼の顔を見つめる。
それに彼は面食らったように顔をそらした。
「私の……どこが好きですか? 」
我ながら大胆な質問だと思う。
現に彼は耳まで赤くし口をパクパクと開閉した。
「な、なんでそんなこと聞くんだ! 」
「……少し気になって……。
無ければいいんです」
「ある!
……あ……いや、無い」
「……そうですか……残念です……」
私が目を伏せるとシェーデルはウッと呻いた。良心が痛むのだろう。
「…………あります……」
……この人割とチョロいよなあ……。
「どこですか? 」
「………………教えない」
「えっ……そんなあ」
顔だけは好きだから他はどうなっても顔に傷を付けるな……そう言われたとしても全く構わないのに。
……そんなこと言う人がいるかはどうか別として。
「意地悪しなくてもいいじゃない……。
まあでも、お陰でシェーデル様が私のことが割と好きということはわかりました」
「意地悪はお前だ! 」
「フフフフ。怒らないでください、きっとこれも記憶を取り戻す手がかりに」
言葉を言い終える前にシェーデルに腕を強く引かれた。
彼の顔が近づき、唇が重なる。
「……割と、じゃない。かなりだ」
シェーデルはそれだけ言うと先に屋上から出てってしまった。
割と好きじゃなくて、かなり好き、ということ ……?
自分の顔が熱くなるのがわかる。
ああ、もう。記憶を取り戻すどころか脳がドンドン溶けていく。
* * *
シェーデルにメロメロになっている私を、ウォクスが怪訝そうな顔をしながら見下ろした。
「どうしたのよその顔 ……」
「グフフ」
「やだ、会話までできないほど記憶が無くなっちゃった? 」
「デヘヘ」
ウォクスに呆れられながらも私たちは城下街に出た。
私がそう申し出たのだ。何か手がかりがあるかもしれないと。
王都を見下ろしただけで雪の景色を思い出せたのだ。きっと何かあるはず。多分。わからないけれど。
「シャッキリしてくださいな。街は人が多いんだから、あたしからはぐれないでよね? 」
「ムフフ」
「心配だわあ……」
いやいや大丈夫大丈夫。
確かに頭の中はシェーデルのことで一杯だが、ちゃんとウォクスのことは認識できている。
ウォクスの言う通り城下街は人でいっぱいだった。
まるで祭のようだ。
「……コルプス国にはこんなの無かった?」
「ありましたよ流石に……」
人目を気にしてかウォクスが敬語で答える。
「でもケルパー国の方が賑やかなのは確かですね。受容の国ですから」
「受容の国? 」
「どんなものでも受け入れるんですこの国は」
ウォクスは一瞬遠い目をした。
「……だからコルプス国と正反対。
ウェーナ様も最初戸惑っていましたよ。最近は慣れてきてしょっちゅうこちらに足を運んでいましたよ」
「ふーん。そんなものなのかあ」
記憶喪失とは不思議だ。
いつもいたところのはずが、まるで新たな世界に来たかのような気持ちになる。
「……おやあ、あなたは」
後ろから声をかけられ振り返る。
そこに居たのは昨日の気怠げで怪しげな商人だった。
「あら、どうも」
「またあなたですか。一体こんなところで何を」
「そりゃ商売ですよ。見ていかれます? 」
退廃の香りをさせた男はさっと自分の出店を腕で示した。
彼には聞きたいことが山ほどある。私は頷いた。
「ウォクスは私のこと見張っててね」
「その商人でなく……? 」
ウォクスから少しだけ離れたところで、商人の店を見た。
ここなら人の声もうるさいしウォクスに会話を聞かれることはないだろう。
「……あの、昨日の認識票に関して聞きたいのだけど……」
「記憶が戻らない内にお前に話すことはない。
ただ……お前に渡したある物を返してくれるっていうなら全部話すよ」
「ある物……? 」
男はやつれたように笑う。
「単なる青い小瓶だよ。中に入ってる薬は俺の持病を治す薬なんだ。
一時期的に預けていたがそろそろ返してもらわないといけない」
……そんなものあっただろうか?
私の持ち物は全て探したが青い小瓶に見覚えはない。
「探してみる。でもちゃんと病院行った方がいいよ。あなた今にも倒れそうだし」
「そうするよ」
男は面倒そうに答える。
この男の言う小瓶の中身はなんだろうか……。まさか本当に持病を治す薬なわけがないだろう。
この男を信頼するべきか、否か。
私のそんな考えがわかったのか、男はフッと唇を歪めて笑った。
「俺が信用ならないんだろう? 」
「……まあ」
「なら3つ、質問に答えてやる。3つだけな」
3つだけ……。これは慎重にいかないと。
私はまず、基本的なことを訪ねた。
「あなた何者なの? 」
「しがない商人さ」
「そうじゃなくて ……なんで王女である私と関わりがあるの」
「それが2つ目? 」
まるで意地悪な妖精との会話だ。
既に1つ目の質問を終えたことになったらしい。
「……私とあなたの関係は。
商人と客、とかは無しだよ」
「……あー……愛人……? 」
どういうことだ。
私は思わず身を乗り出し彼に掴みかかった。
「何を言っているの!?
まさか私は本当に浮気していたの……!? 」
「浮気じゃない。
はい、3つの質問は終わりだ。手を離しな」
浮気じゃない? どういうことだ?
呆然としたままでいた私の体はいつの間にか離されていた。
「もっと知りたいなら青い小瓶を渡すんだ。いいな? 」
そう言って男は出店の前の椅子に腰掛け目を瞑ってしまった。
これ以上話を聞く気は無いと言わんばかりに。
「……あなたが本当のことを言ってるかどうか。全部私を騙すための嘘かもしれない」
私の言葉に男が薄眼を開けて嘲笑う。
「確かにそうかもなあ。
ならサービスだ。俺は知ってるぞ、お前の背中の傷を」
思わず背中を振り返った。
服の上から透けて見えるということもないだろう。
私のこの傷はトレーネにもネルフにも言ってないはずだ。そしてシェーデルにも。
なのに何故。
「嘘じゃないとわかったか? 」
「……どんな傷か言えるの? 適当に言ってるんじゃない? 」
「まず、太ももに痣があるよな。あれは蹴られた時の痣だ。 2年前だったかな ……。
それから背中のあの傷は鞭と、杖と、その他諸々で殴られたからだ。
どんなに酷い状態になっても医者はちゃんと手当てをせず結局跡になった」
まるで見ていたかのようにスラスラと答える男に、私の傷だらけの背筋は凍りついた。
「あなたが……やったの……? 」
「違う。そんなことしていない。 するわけがないだろ……言ってもわからないか。
とにかく。これで俺のこと多少信じる気になっただろ」
わからない。
この男は何者なんだ。愛人とはなんだ。
私は浮気をしていたのか? でも浮気じゃないと言う。
では何故彼は私の傷跡を知っている。この男の望む小瓶は何が入っている。
ウェーナは何をしていた。
「ウェーナ様」
甘い香りと共にウォクスの心配そうな声が降ってきた。
私の様子がおかしかったからきっと何事かと思ったのだろう。
「……顔色が悪いです。
戻りましょう」
「……うん」
私は男を見たが、彼は素知らぬ顔でお辞儀をしていた。
彼の出店の商品が目に入る。
貴金属がメインのようで、たくさんの宝飾品が並べてあったがその中でひとつ目を惹くものがあった。
バラバラになった宝石のパーツだ。
まるで私の引き出しの中に仕舞われている贈り物のように。