07.密やかなララバイ
私は寝室のふかふかのベッドの上で微睡んでいた。
頭は冴えているが体がまるで動かない。
今日も色々あってすっかり疲れてしまったのだが、考えることが余りにも多い。
退廃の匂いをさせる謎の商人、血に塗れた認識票、カルワリアという女の名前、壊れた宝飾品、シェーデルが式の日に言った言葉……。
どれも1つもわからない。ただ全て繋がっている気がした。
これを繋ぐのはウェーナ自身だ。
しかし繋いだ時に出来上がるそれはあの拙いネックレス以下の、ロクなものにならない気がした。
そんなことを考えていると扉が開いた。
こんな時間にノックもせずに入るのはシェーデルだろう。
「……起きているのか」
やはり彼の囁き声だった。
私は返事をして起き上がろうとするが、体がいうことを聞かない。僅かに指が動いた程度だ。
シェーデルはベッドに腰掛けると私の顔を覗き込んだ ……気がする。
目が開かないので気配でそう感じただけだが。
彼の手が私の頬を撫でる。
温かい手で気持ちがいい。
暫く彼は私を撫でていたがノックの音がして手が離れていく。
まどろみから自分が解放されるのがわかる。
「……シェーデル様……お休みのところ申し訳ございません……」
「トレーネ? どうしたんだ?
……ああ、入っていいから……」
微かに扉が開く音がした。
音がしないよう慎重に動いているらしい。
彼女の声が存外近くで聞こえたので驚いた。
「……ウェーナ様はもう寝られているのですね」
「疲れているんだろう」
「シュティルン様と会った時大分困惑されていましたし……最初に言っておくべきだったのかも」
「……言いにくいだろ……いきなり、男言葉で話すかもしれない言われても困るだろうし……」
「出会い頭から既にあちらの喋り方だったから……」
トレーネはいつもの丁寧な喋り方ではなく柔らかい喋り方だった。
幼馴染なのだから当然といえば当然だが、普段の硬い口調しか知らないので新鮮に感じた。
それにしても、私は大分眠りから覚めてきてしまった。
盗み聞きするのも悪いが、もしかしたら私の記憶に関する何かを話すかもしれないと思い寝たフリをする。
「……シュティルンはあの後どうなった? 」
「ちょっとフラフラしていたけれど、なんとか」
「安定してきたのかな……。
だがお前がこんな時間にここに訪ねてきたのはシュティルンにとっても良くないことだろ? 」
「その通りです。
ブルート様が帰られます」
トレーネの言葉にシェーデルは唸り声をあげた。
ブルートとは誰だろう。今ある記憶では聞いたことはない。
「帰って来なくていいのになあ……」
「本当の本当に」
「嫌だなあ ……。どっか遠くで元気にやっててくれればそれで ……。
……アイツが帰ってくるってことは戦果があったってことか? 」
戦果? 兵士か騎士なのか?
トレーネが様を付けているということは将軍だろうか?
「防衛は成功したらしいですよ」
「流石だよ本当……。
1年前の大怪我なんかまるで無かったみたいだな。片足が動かないのに……。
しかし、形だけとはいえ同盟を結んだのに何故侵入してくるんだか」
「相手側は単なる賊、ということになっているから。国が侵略しようとしたのではなく、賊が勝手にやった。
そう言い訳するつもりでしょう」
「嫌になるな全く」
この国を侵略しようとする国は多い。
……だが同盟を結んだ……その言葉からしてこの相手側というのはコルプス国な気がした。
「要件はそれだけか? 」
「はい、お邪魔しました。
……今夜もこちらで寝るのでしょうか? 」
「ああ」
シェーデルが私の手を握った。
心臓が跳ねるが、私は寝たふりを続行する。幸い二人には何も気付かれなかった。
「 ……良かったね。一緒にこうして眠れて ……」
「本当の本当に。
……記憶が無くなってようやく受け入れてもらえると思うと悲しいが ……」
「今のうちに世継ぎを作っておけば逃げれないわよ」
トレーネの淡々とした言葉にシェーデルが息を飲んだ。
「……よくそんなことが思いつくな……」
「早くあなたの子供を見たいです。このままじゃ私老衰で死にますよ」
「孫の顔を見たがる祖父母のようなことを言って……。
だがまだ無理だ。……というかまだというかなんというか……」
「ヘタレ」
トレーネのこの一言に驚く。
普段あんなにシェーデルのこと尊敬しています、みたいな態度をしておきながらこんなこと言うのか。
「ヘタレじゃない!
仕方ないだろ! 嫌がられて……あ、」
「嫌がられてるんですか?
シェーデル様……もしかして臭うんじゃ? 」
「……えっ……」
いや、臭わない。大丈夫。
「風呂にちゃんと入ってるんだが……歯磨きも日に3回してるし……」
「冗談ですよ。
嫌がるのはウェーナ様側の問題でしょう。
全く、彼女に固執しないで他の女にでも産ませればいいのに」
「……俺はお前のそういうところが怖いよ。
大体それで最低な想いをさせられるのは子供だって知ってるだろ」
「それならウェーナ様と離婚すれば良いじゃない? 世継ぎのいない今ならあなたに損失はない」
あっさりと言ってのけるトレーネ。
私も彼女のそういうところが怖い。
「何を馬鹿なことを……。
俺は彼女と結婚したんだ。離婚するつもりなんてサラサラ無い」
思わぬ言葉にまた胸がときめく。
顔が赤くなっていないか心配だ。
「初めて会った時から好きなんだっけ? 」
「……そうだよ」
「ベタ惚れだね。
今も手握っちゃって……」
シェーデルは言葉に詰まったが、手を離そうとはしなかった。
それどころかフンと鼻を鳴らし開き直った態度を見せる。
「うるさい。大体、こんなに可愛いのに惚れないのがどうかしてる」
「それだと全人類敵にならないかしら……」
「可愛い……見ろよこの寝顔……やっぱ見なくて良い……」
「どっち」
シェーデルが私の頬をまた撫でた。
そう思われていたのか……。耳まで熱くなってくる。
「正直、公務に戻らせたくないんだ。
こいつの影のあるところが良いとか言いだしている馬鹿共の前に出したくない。
今みたいに城から出したくない。いやいっそ部屋から出したくない」
「うわあ……。嫌われてるくせによくそこまで執着できるわね ……」
「うるさい。
……なんで嫌われてるんだろう……流行りのドレスもアクセサリーも全然喜ばないどころか着てもくれない……」
シェーデルは悲しげにそう呟く。
まずい……。こんなに傷つけていたのか……。
ドレスは傷跡が見えるから着られないし、宝飾品は分解されて身に付けられないというのに……。
「趣味じゃなかったのではないか、と言ってたけれど」
「趣味を聞けるならそうする」
「シェーデル様が怒鳴ったりするから」
「怒鳴ったり……はしたけど、俺の言ったことと真逆のことやるから……。
それにそんな強く言ったつもりはない」
その言葉にトレーネが大きく息を吐いた。
「いい? 何度も言うようにシェーデル様の周りには私やシュティルンやその取り巻きのようなロクな女がいないからわからないかもしれないけれど、普通の女は怒鳴ったりしてくるような人愛せないわよ。
しかも彼女は敵国から嫁いできたのだからあなたが守らないといけない」
トレーネがまともなことを言ったのでまた驚く。
というか、自分のこともロクな女じゃない認識しているのか。その通りだけれど。
「……守りたくても敵を教えてくれないと守りきれないだろう」
「今の彼女には誰が敵かもわからないのだから、教えられないのよ」
「そうだな。
……今まで以上に彼女を守らないと ……」
シェーデルがこんなにも私を好きでいてくれて、心配してくれて、凄く嬉しかった。
ウェーナはあんなに酷いことをしたというのに……。なんとか彼の好意に応えたい。
今の私に恋愛感情を抱く余裕は無いがそれでも私が今までしてきたことを塗り替えられるように ……。
「警護を増やしますか? 」
「そうしたいが ……彼女は嫌がるだろう。
どうもあの、黒髪の男を気に入ってるようだからな。
前に護衛を増やそうと伝えた時凄く嫌がっていた」
ウォクスのことだろう。苛立ったようにシェーデルは吐き捨てる。
「ああ、ウォクスさん……。
彼、警護隊で一番の腕前だし、気は利くし、嫌なこと言わないし、立場をわきまえているし、愛人の噂さえなければ良いのだけどね」
ウォクス流石。心は乙女だから、女性が嫌がるようなことをわかって言わないのかもしれない。
しかし彼はそんなに強かったのか……。 あんなに甘い匂いを漂わせて強いのか……。
「……腹が立つな……。同郷だから仲良くしてるだけだと言われた時、仕方ないから側にいることを許したが……。
記憶が無くなってもああやって仲良くしていられるとはらわたが煮えくりかえる」
仲良く……はしている。しているけれど、それはウォクスしか仲の良い人がいなかったからで……。
誤解だよ! と叫びたくなった。
「……私もあの保守的なコルプス国の王女が随分大胆に浮気をするものだと思いましたけれど、もしかしたら違うのかも……」
「違わなかったらどうしてくれようか」
「ウェーナ様のことはわかりませんけれど、ウォクスさんは……多分、ネルフのことが好き……なんじゃ? 」
あんなにあからさまなのに気が付かないのか……。いや気が付いていたら私と愛人だなんて噂は立たない。
というか、というかというか、あんな甘い匂いをさせあんな可愛らしいハンカチを持っている時点で彼の心は淑女ということに気が付かないだろうか?
「ネルフ? 使用人の? 」
「これはあくまで推測ですけれど、ネルフといる時いつもニコニコしているし、それになにより……。
……ネルフのあのお茶を飲めるのよ」
「そんな……!? あの、飲み物と呼ぶのも烏滸がましい液体を……!? 」
「ええ。
味覚が狂ってるか、頭が狂ってるか、恋の病か、どれかだと思います」
酷い言いようだ。
ネルフのお茶は狂ってないと飲めないらしい。
「頭がおかしい人間はもう手一杯だ。やめてくれ」
シェーデルは呻きながら言う。
「ウォクスさんは会話は成立するから、恐らく味覚が狂ってるのか恋の病だと思うの」
「なるほど……確かにあの液体を飲めるということはその可能性が高いな」
お茶を飲めるかどうかではなく、態度でわからないかな。
心の中で呆れてしまう。どうもこの二人は鈍い。
「じゃあ ……浮気、とかは ……」
「前までは浮気していたということもあるでしょうけれど、今は違うんじゃないかしら?
もしかしたらウェーナ様の片想いだったりして」
「……クビに出来ないかな」
「ウォクスさんを失う痛手を考えたらウェーナ様と離婚された方がマシかと」
悲しいことに王女よりもウォクスの腕前は重いらしい。
「お前はどうしてそんなに彼女と離婚させたがるんだ。そんなに嫌いなのか? 」
「違う。私が好きなのはシェーデル様とシュティルンだけよ。
だからあなたを傷つける彼女には消えてもらいたいだけ」
ストレートな言葉だった。私はその強さに怖くなる。
シェーデルはハアとため息をつく。
「俺が好きだから彼女を好きになるっていうのは出来ないのか」
「今の彼女なら、消えて欲しいとは思わないけれど」
シェーデルを嫌わない私はここにいることを容認するということのようだ。
「仲良くしろとは言わないが、お前も彼女の味方になってくれないか? 」
「……わかっていますよ」
トレーネの声音は嫌そうだった。
だがシェーデルは満足気に「ありがとう」と礼を言っている。
「さすがのお前も手出しはしないだろうとは思うけど心配で」
「わ、私をなんだと……? あなたが傷付くようなことはしないし、それに人の命をどうこうしないわよ。
……ブルート様とは違う」
最後は低い声だった。
ブルートという人物と2人はどういう関係なのだろう。
「……問題が山積みだな。
悪かった、長話をして」
「こちらこそ夜分遅くに失礼しました」
シェーデルが布団に潜り込み、トレーネが部屋を出て行く足音がする。
しかし彼女はふと足を止め淡々と言葉を紡いだ。
「そう、大事なことを言い忘れていたわ。
寝ている人にイタズラをするのはどうかと思うからやめておきなさいね」
シェーデルが「何を言ってるんだ」と小さく怒ったが、トレーネはそれに返事をすることなく出て行った。
彼は重々しくため息をついて、私の髪を撫でる。
「……キスもダメなんだろうか……」
それくらいなら私は構わないが、多分トレーネはダメだと言うだろうな……。