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05.不可思議のオーヴァチュアⅣ

部屋に戻り、こっそり認識票を眺める。

カプトとは誰だろう。

この革の認識票についた血からして死んでいるか、大怪我をしたのはわかる。 
それから認識票を持っているということは貴族の兵士ないし騎士だ。平民の兵士は名前を体に彫り込むと……消えていない記憶の部分で知っていた。
あの痩せぎすの商人の不気味なイタズラにしては意味深だ。 
いや、イタズラなわけがない。彼は私の全てを知っていると言っていた。その言葉もイタズラなのか?

わからない。

もう一度あの商人に会わなくては。
控えていたトレーネに声をかける。

「また外に出たいのだけど」

「構いませんが、少し休まれたらいかがでしょう。
頭を打ったのですから安静にしないと、戻る記憶も戻りません」 

言っていることは私を心配してのことのように聞こえるが、その冷たい表情からして、今私の公務をなんとかしていくれているシェーデルを想ってのことだということがわかる。

「早くその記憶を戻したいんだよ」

「でしょうね。早く戻らなければ代わりを用意されてしまいますもの」

ケルパー国は離婚が出来るんだったか。
私の故郷コルプス国では出来ない。代わりに貴族は愛人を何人も作るのだ。
そう、ハーレムである。 

「もう決まってるの? 」

「いえ。ですがそういう話は出ていますよ」

もしここを追い出されれば記憶は戻らないのではないだろうか。
いや、案外故郷に戻れば自然と取り戻していくかもしれない。

「それもアリかなあ」

トレーネの眉がつり上がる。
まるで、そんなことして生きていけるの? とでも言いたげなこちらを馬鹿にした表情だった。
私は慌てて弁明する。

「出て行きたいなんて思ってませんよ。ただ、故郷に戻れば記憶も戻るかなって」

「……戻りたいのですか? 」

「覚えてないからなんとも」

彼女は黙った。それもそうかと納得したのかもしれないし、何を言っても無駄だと思われたのかもしれない。
その時部屋の扉がノックされた。
トレーネが応対する。
しかし、彼女は珍しく困惑しているようだった。
首を伸ばす私に言いにくそうに「シュティルン様がお見舞いに来られました」と伝えてきた。

シュティルン。シェーデルの愛人か。
嫌味を言いにでも来たんだろうか。そう思うと憂鬱だが追い返すわけにもいかない。
私は彼女を通すよう伝えた。

現れたシュティルンは切れ長の瞳とプラチナブロンドの髪の美しい女性だった。
近くで見ると迫力がある。
年は20代前半だろうか?もう少し若いかもしれない。
少女時代を抜け大人の魅力が溢れてきている。

「この度は……なんと言えばいいかな。御愁傷様? 」

「いえいえ。お見舞いありがとうございます」

「ハハア、本当に記憶が無いのか。面白いもんだな……いや、面白がったら悪いな」

彼女はフッと笑うと私に花束を差し出した。
それをぼんやり受け取る。
……喋り方が……男?

「どうしたんだ? 間抜け面をして。まさか花は嫌だなんて言わないよな?
食べ物でも持ってったら毒を入れてるかと思われるから仕方ないだろう? 」 

その言葉に対し曖昧に笑い、トレーネを見る。
涼しい顔だ。
これは通常運転なの?

「シュティルン様は……あー……シェーデル様の幼馴染でらっしゃるとか……」

「そんなことも覚えてないのか。大変だ。
そうだ、俺はあいつの幼馴染。それからそこにいるトレーネもそうだ」

えっ、とトレーネを見る。やはり涼しい顔。

「知りませんで ……」 


「そりゃ記憶が無いんだからなあ?
あいつは元々貴族だったんだけど親がトチって剥奪されたんだ。娘に罪はないということでここで雇ってるんだとか」

「へー……」

本人の目の前でこんなプライベートなことを聞いて良いのか……。恐る恐るトレーネを盗み見るが、表情は一切変わっていなかった。
そういう顔のお面でも付けているのだろうか?

「じゃあ、幼馴染三人仲良く……? 」

「四人だ。シェーデルには兄がいて……」

ふとシュティルンが言葉を切った。
目が虚空を見つめる。

「……記憶は戻らないのか? 」

突然話が変わったことに戸惑いつつも慌てて頷く。

「え、ええ。取り戻す努力をしているところです」

「ふうん。なら俺になんでも聞いてくれ。
仲良くはなかったが、今のお前よりは知ってるだろうし」

シュティルンがニッと笑った。表情も男前だ。
それにしてもどこかで聞いたことのある喋り方だ。振る舞いも、誰かを思い出させる……。

「ありがとうございます。助かりますよ、全然思い出せなくて……」

私は作り笑いを浮かべながら彼女と共にテーブルに着く。
シュティルンはたおやかな所作で椅子に座り、それに合わせてトレーネが素早くお茶を用意した。
もしかして変な味がするのでは……と思ったが美味しいお茶だった。
あのネルフのお茶は何で作られていたのだろう。

「そうしたら……何から話せばいい」

「あなたの知ってる私から教えてください」

「ああ、ま、言った通りあんまり知らないが。
お前は……いつも思い詰めていたよ。ここの空気が合わなかったんだろう。
シェーデルはなんとかしようと努力してたけど ……あいつもあいつで追い詰められてたし ……うまくいってなかった。
いやそもそもあいつがあんなこと言わなけりゃ良いって話なんだが」

「あんなこと? 」

シュティルンは言うかどうか少し悩んだようだったが、結局赤い唇を開く。

「結婚式の日にお前の姿を見たあいつは、何をふざけているんだって言ったんだ。
あれには驚いた。あの場に俺もいたんだが……お前ひどいショック受けてて……可哀想だったよ。
何がふざけてる、なのか知らないが晴れの日に言うことじゃないよなあ?
あれでお前も嫌になったんだろう。見るからに避けていた」

ふざけてる……?
その言葉には違和感がある。
私が余りにも醜くてそう言ったのか?
だが、自分で言うことでもないが私は別に醜くもなんともない。貴族として真っ当なレベルには身綺麗にもしている。
何か手順を間違えた……とかだろうか?

「どうしてそんなこと言ったのでしょう」

「さあな。聞いたけど答えてもらえなかった。
あの時お前を見たシェーデルは見るからに狼狽していた。
顔色も悪く……その後も心ここに在らずだった。だがそれが何を意味するのかはわからん。
周りはケルパー国王女の癖にお前が地味だからそう言ったんだとか解釈してたけど俺はそうは思わない。
あの時のお前はすごく綺麗だった」

褒めてもらえてちょっと嬉しい。
にしても、この件に関しては本人に聞くしかないだろう。答えてくれればの話だが。

「その後の私は? 」

「淡々と公務をこなしていたよ。陰のある笑顔が良いだなんて持て囃す奴もいたな」

「誰と仲良かったんでしょう」

「あのケルパー国の……ほら、黒髪の護衛。あいつくらいじゃないか?」

やっぱり私はウォクスとしか仲良くないのか……交友関係の狭い奴だ。
そして王女としての振る舞いとしてそれはどうなのか。

「公務として、仕事としてでならいろんな奴と話してたけどプライベートで仲良くしてた奴なんて殆どいなかった。
壁があったな。やっぱりコルプス国に来たくなかったのか?
だけど俺はあの国よりもこっちのがいくらかマシだと思うがね」

どういう意味だ。
私が目で問いかけるとシュティルンは言葉を続けた。

「コルプス国のテルグム王は齢79にして今もなお玉座に座る独裁王だ。
昔からその性格の苛烈さは有名で、自分の息子……お前の父親を、折檻した挙句杖で殴り殺してる。
表向き別の事故で亡くなったということになってるけどな。 誰もが犯人を知っている。
他にも色々ある。お前の兄に早く世継ぎを産ませるためにハーレム作ってそいつらを鬱憤晴らしに殴っていたりとか、自分の言うことを聞かない貴族の妻を、敵国であるコルプス国の兵士の慰み者にしたりだとか……最低だよなあ?
しかもお前の兄はハーレムが合わなかったのかなんなのか知らないが失踪してる。
もしかしたら殺されたのかもしんないが、俺にはわからん」

私は絶句した。悪虐の限りを尽くしている、そんな奴が自分の祖父だというのか。
目眩がしてくる。冗談だと言って欲しい。
私の青い顔色に気付いたのかシュティルンはわざと明るい声を出した。

「王族なんてみんなこんなものだ。
シェーデルのとこだって酷いから気にするな」

「そうなの ……? 」 

「あそこはどっちも色狂いでなあ ……実際のところ何人の子供がいるのかわからんくらいで……」

彼女の言葉が止まる。
目の中は虚ろだ。

「……シュティルン様? 」

声をかけても返事がない。
彼女の細い肩を揺すってみる。
首がガクガクと動くだけだった。
異変を感じたトレーネが音もなく近づき、シュティルンの背中に手を当てる。

「シュティルン? どうしたの? 」

普段とは違う、優しい声だった。
シュティルンはそれでやっと気が付いたのか、ハッとしたように目を見開くと「いけない……」と呟いた。

「シュティルン様、あの……? 」

「長居しすぎたわ……もう帰らないと……」

先ほどまでの快活な男らしい口調は消えて落ち着いて上品な口調に変わっていた。
凛々しかった表情も打って変わって憂いを帯びている。

「……お話聞かせていただけて助かりました」

「こちらこそ楽しかったわ」

彼女は美しい所作で立ち上がる。

トレーネは心配そうに眉を寄せながら扉を開けた。

「シュティルン? こんなところで何している」

驚いたことに扉を開けた先にいたのはシェーデルだった。
彼は怪訝そうな顔で私たちを見回し首を傾げた。

「彼女に私がどんなだったか話を聞いてまして」

「……ああ。そうか……」

シェーデルは納得したのかしてないのか、微かなため息と共にそう言った。

「もう帰るところよ。ウェーナ様とお話しできて良かったわ。お邪魔しました」

「家まで送ろう」

「結構よ。お気持ちだけいただくわ」 

「ならトレーネ、送ってやってくれ」 

「かしこまりました」 

「 ……彼女は使用人じゃない」

シェーデルはシュティルンの言葉に嫌そうに黙ったが、トレーネは例のあの涼しい顔で「今は使用人です」と答えて、彼女を連れて行った。

扉が閉まると同時に私は息を吐いた。
複雑な人間関係が見え隠れしてきている。
シェーデル、トレーネ、シュティルン、それからシェーデルの兄は幼馴染だという。
しかしトレーネの親の不祥事により彼女は使用人となった。シュティルンはそれをきっと認めていないのだろう。
逆にシェーデルは彼女を使用人として扱っている。幼馴染だったことなど無かったかのように。

それにしても……シュティルンは一体。
てっきり愛人だと思ったのが話しぶりからしてそうではなさそうだし、それになにより話していた時と帰り際ではまるで別人のようで……。

「何を話していた」

シェーデルの声音から責めている訳ではないことがわかる。それに私はホッとした。

「私の祖父について ……あまりいい祖父じゃなかったみたいですね」

「いい祖父じゃないというのは大分柔らかい言い方だな」

「やっぱりロクデナシなの……。
……あの、シュティルン様は」

何故男言葉と女言葉で話すのか。
私はそれを聞きたかった。
シェーデルも分かっているのだろう。微かに頷いた。

「あいつは……精神的に不安定なんだ。
色々な要因が重なって、ああやって性格がコロコロ変わるようになった」

精神的に不安定じゃなければああはならないだろう。

「変わった幼馴染ですね。トレーネさんもそうですけど」

「彼女の話を聞いたのか」

私は少し躊躇ったが頷いた。
彼がトレーネをどう思っているのか気になったのだ。

「あなたはなんとも思ってないのですか? 彼女が使用人になったことに」

「どうなんだろうとは思ったが、他に働き口も無いし仕方がない……。
それに、彼女がそれを良しとしたならば俺は彼女を使用人として認めるよ。そうした方が多分良い」

シェーデルの口調はあっさりしたものだった。
なんとなくだが、シェーデルとトレーネは似ている。
本人の心の内は分からないが少なくとも表面は冷たく見えるのだ。

……だが結婚式の日に「なにをふざけている」と言うほど冷たい人だろうか。
シェーデルを盗み見る。彼は扉をじっと見つめ何かを考えこんでいた。

「シェーデル様……」

「ん……なんだ? 」

「シュティルン様から伺ったんですけど ……どうして結婚式の日、私に対してなにをふざけてるんだ、なんて言ったんですか? 」

彼は私の問いに黙り込んだ。
眉を寄せその顔は苦しげに見える。

「今のお前に言っても無駄だ」

絞り出すように彼はそう呟いた。

「……私が醜かったから? 」

「まさか! そんなわけないだろ! 」

シェーデルは私の顎を掴んで無理矢理上に向かせた。

「俺はあの時、心底お前で良かったとー」

ハッとしたように彼は私から手を離すと、その顔がみるみる赤くなっていった。
口元を覆うが、耳まで赤いのでまるで隠しきれていない。

つられて私も赤くなる。 

「違う、今のはそう言う意味じゃ ……ああクソ ……」

「私もあなたで良かったと、そう思ってました」

「記憶喪失のくせに……。そもそも俺と目も合わそうとしなかったくせに……」

「照れてたんじゃないでしょうか」

「それは無理がある」

……まあ、贈られたものを開けもしていないのだ。照れているという言葉では済まされないだろう。 

「そう、だ、お前に話があって。
暫く公務は休んでいい。こちらで手配は出来た」

「そうですか……どれくらい休めますでしょうか」

「記憶が戻るまで ……と言いたいが何年もかかるようなら難しいな。
長くても精々一年か ……。 
ただ仕事を戻すにしても人前に出るようなのは無くして、負担の軽いものからこなしていこう」

一年……。 案外長く休めそうだ。
だがトレーネはすぐに代わりが用意されると言っていた。実際のところ半年も休めないだろう。 
シェーデルはこちらを気遣って長く休んでいいと言ってくれてるのかもしれない。

「……できるだけ早く記憶を戻します」

「無理しなくていい。
……それに、俺は……」

シェーデルは青い瞳を悲しそうに暗くしていた。

「……たった3日前まではお前とこうして話すこともままならなかった。
ずっとこうして、他愛もない話をしたかった」

彼は腕をこちらに伸ばすとそのまま私を抱き締めた。
どこか遠慮したような、力のない腕だった。

「言っておきたかったことがある」

「はい」 

「俺はお前の味方だ。何があっても。
だから……だから何かあるなら俺に全部話せ。俺たちは夫婦だろう? 」

彼の言葉がゆっくりと私の中に沈んでいく。
ウェーナは「何」があったのだろうか……。

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