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03.不可思議のオーヴァチュアⅡ

トレーネと一緒に衣装部屋から部屋に戻る時、渡り廊下の向こう側にシェーデルが見えた。
挨拶でもしていこうかと思ったがその気持ちはたちまち消えていく。
彼は女と一緒にいたのだ。それもやたらと距離が近い。

「……あれは」

「シュティルン嬢ですね。シェーデル様とは幼い頃から親交がある、所謂幼馴染という関係です」

「それだけ? 」

あのシュティルン嬢の顔はどう見てもそれだけじゃないだろう。
愛情に満ちた瞳でシェーデルを見ている。彼もまんざらではなさそうだ。
私の浮気を疑うくせに彼は構わないのか……と思ったが、ケルパー国は一夫多妻の国なのかもしれない。覚えていないが。

そうだとしたら私が責められることではないと思い部屋へと戻ろうとするが、シェーデルの元へ1人また1人と女が増えていく。
彼女たちは皆美しく微笑みながらシェーデルを囲んでいた。
一夫多妻の国だとしても、これはあまりにも露骨ではなかろうか。

「私のこととやかく言えないんじゃない? そもそも私は浮気じゃないし」

「は? 」

「男のステータスってやつなのかな。理解に苦しむけどこればかりはなにも言えないね」

私はハーレムだなんて嫌いでたまらないけれど、でも厳しい環境で子孫を残すためには仕方ないことだ。
……いや、この国はそんな厳しい環境ではない。

シュティルンを見ながら考える。
そもそもなぜ私はハーレムが嫌いなんだっけ。
ジッと見ていたのがわかったのか、シュティルンがこちらを見た。
睨むような視線で見られた気がする。こちらが本妻だからだろう。
私は慌ててその場から離れた。

今日はディナーなどしている場合ではないだろう、ということで私は先に湯浴みをして休ませてもらうこととなった。
湯浴みの手伝いを断りいつも1人で入っていたらしい。それに倣い今回も1人で入ることとする。
階段から転げ落ちたばかりなので周りは手伝いたがったが、いつもと同じ行動をすることで何か思い出すかもしれないと思ったのだ。 

冷たいタイルの床に立つ。

広く豪華絢爛な浴室だ。浴槽の中には花まで浮かんでいる。

なんて心地のいい……と思ったが1つ違和感があった。
鏡がない。
私の僅かにある知識では浴室には鏡があったのだが……。

そういえば、私の部屋にある鏡は鏡台の顔しか映らない小さな鏡だけだ。

* * *

ベッドに横になってつまらない哲学の本を眺めていると扉が開いた。 
見るとシェーデルが立っていた。ゆったりした衣服、恐らく寝巻きだ。彼も眠るのだろう。
私はベッドの半分を開けて再び横になる。

「……何をしている」

声色は静かで、怒ってはなさそうだ。
やっと怒っていない彼と話せると内心嬉しく思う。

「見ての通り読書ですよ。あなたはこれを読んでいたのですか? 」 

シェーデルは私の質問に答えず、ベッドに腰掛ける。
それから私に覆い被さってきた。

なんと、あれだけの愛人がいながら……絶倫というやつなのか。
彼は私の唇をゆっくり撫でた。

「……本当に何も覚えていないんだな」

「明日には思い出せると良いですが」

そんな予兆がないので無理だろう。
そんなことを思いながら彼と口づけを交わす。
やはりなんというか、相手は慣れていた。
だが私も慣れていた。ウォクスではない本当の浮気相手がいたのか? という考えが頭をよぎる。

シェーデルの手が私の腰を撫でる。
その時頭の中で警報が響いた。

これ以上はダメだ。決して触らせてはならない。

そして気がついたら私は彼の体を思い切り押し退けていた。

「……あれ? 」

何故拒絶しているのだろう。
まずいと思いシェーデルを見ると酷く疲れた顔をしてため息をついていた。

「あ、いや、ごめんなさい。まだちょっと……今夜はゆっくり休みたいので……もうそろそろ……」

「……俺の何がそんなに気に食わない」

「へ? 」

「記憶が無くなっても俺を拒絶することだけは忘れていないのは何故だ。俺の何が悪い」

彼の中の怒りがまた増幅しているのがわかる。
ああ……しまった。
夫婦仲が冷え切った原因は私にあるのはわかってきた。
贈り物を開けず使わず仕舞い込み、同郷のウォクスにしか心を許さずにいたのだから。
だからここで彼を拒絶してはいけなかったのに。

「そんなつもりはありません。私は……」

でもなんで私の頭の中で警報が響いたのかわからない。
うまく説明できずまごついていると、シェーデルはイラついたように私の腕を掴んでそのまま引っ張った。
無理矢理上半身を起こされ体が痛む。
しかし彼は御構い無しに、貪るようにキスをしてきた。

まあ確かに私に非があった。それは認めよう。
だがそもそもこの男がパワハラをしてくるからなんじゃないのか?
そう思ったらなんだか腹が立ってきたので、彼の下唇に力一杯噛みつく。

シェーデルが思わず体を離したその隙に私はベッドから飛び降りた。

「やめてって言ってるじゃないですか! この絶倫が! 」  

「ぜっ……!? 何言ってるんだお前は!? 」

「確かにどうやら私はあなたのことが大層嫌いだったようですね。
それは贈り物を開けようともしてないところからも分かってきました。それが私たちの夫婦仲が冷えているということの原因だともね。
だけれど! そもそもはあなたの態度に問題があるんじゃないですか!? 
記憶を失った妻を疑っては肩を掴み、腕を引っ張り、怒鳴り散らす。
そりゃ奥ゆかしい私には耐えられない仕打ちでしょうよ! 私可哀想! 」

私は己の体を抱きしめた。
自分のことは自分で愛するしかない。誰も私を愛さないのだから。 
シェーデルは私の言葉に眉間にシワを寄せまた鬼の如き形相になっている。

「誰が奥ゆかしいんだ! 誰が!
そもそもの問題というが、それはお前だろう!? お前は決して俺を受け入れようとしないどころか触れることすら震えて嫌がったじゃないか! その時なんて言ったか思い出させてやるよ。
あなたなんかに触られることは耐えられない、子供が欲しいなら他の女を当たれ、だ! 
俺たちの関係は最初から最低だったんだよ……! 」

子供が欲しいなら他の女に当たれ……。淑女から出た言葉とは思えない。
絶句し、シェーデルをぽかんと見つめることしかできなかった。
だから私が彼に抱きついた時、彼は困惑していたのか。

「か、可哀想……。それなのに贈り物をくれるとか優しいんですね……」

「優しいよなあ? お前は一度も袖を通さなかったがな」

彼はそう吐き捨てた。
申し訳ない。だが多分それは趣味じゃなかったからというのもあるだろう。
しかしそれを除いたとしても徹底した嫌いっぷりだ。

「うーん。でもなんでそこまであなたが嫌いなんでしょう。
私のあなたへの嫌い方は凄まじいものがありますよ。
ウォクスとの浮気が疑われても訂正しなかったのはあなたへの嫌がらせなんじゃとも思えてきました。
あなた、私に何をしたんです? 」

シェーデルはため息を1つ落とすと疲れ切った声で「ケルパー国の王子だからだろう」と答えた。 

「ああ ……仲悪いんですもんね」 

「ずっと領土の奪い合いをしていたからな」

「……でもあなたを嫌いだと表立って言うことに利点はありません。そうでしょう? 
敵を増やすだけ ……なんでここまで敵意を露わにするんだろう」

「んなもんこっちが聞きたいよ」

記憶喪失になった今、私の感情は闇の中だ。

* * *

結局私たちは同じベッドで寝た。
普段どうしていたのかと聞くと、シェーデルは彼の私室で寝ていたそうな。そして私も自室で寝ていたと。
これが新婚だというから驚きだ。

翌朝目が覚めるとシェーデルの腕が私の腰に回っていた。
誰と勘違いしているのやら。その腕をゆっくり外して身を起こす。 

寝室を出てトレーネとネルフに着替えを頼むと、2人はキョトンとした顔を見合わせた。

「どうかしたの」

「あ、いえ。いつもなら着替えは1人でなさるので」

「コルセットすらご自身で締めていましたよ。ジャケットを着るだとかスカートのリボンを結ぶだとかはわたくしたちがやりましたけど基本はご自身でなさりたいとかで」

それは凄い。どうやるんだ?

「ちょっと出来るか確かめてくるよ。無理だったらお願いね」

私は1人、コルセットを締め上げドレスに着替える。
なんとやってみると案外出来てしまった。
それにこれなら無闇に締め上げられずに済む。今後も自分でやろう……。

私が着替え終わると同時にシェーデルが寝室から姿を現した。
彼は眠そうな目をこすりながら私たちに挨拶をすると身支度を整えに行った。
彼に挨拶を返すとその後ろでネルフが拍手をし、トレーネがハンカチで目頭を押さえているのがわかった。

「……なにやってるの」

「おめでとうございます。やっと一歩大人になられましたね」

「私、ずっと王子のやや子を抱くのが夢だった……」

「勘違いしてるところ悪いけどただ一緒に寝ただけだよ。
それに」

多分私は処女ではない。
恐らく経験がある。
だがそんなことはわざわざ言うことではないだろうと言葉を止める。

ただ、王女である私が何故経験があるのか、それは気になった。
王女だからといって処女とは限らないのか?
蝶よ花よと育てられるものではないのか……? 

消えた記憶がゴボッと嫌な水音を立てて更に深くに沈んでいく。

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