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拘束(菫と無花果)

何故……何故少女漫画の言うことなど信じてしまったのだろう。

私は手錠を眺める。サマータイプにぴったりのラベンダーのクッションが巻かれていて痛くないが、それよりも楡くんがこれを引き出しに入れていたことが恐ろしい。

いつか使うつもりだった……なんてことないよね。

 

「菫、菫」

 

それよりも問題は猿轡だ。

こんなのされるなんて思いもしなかった。どこで買ったのだろう。

 

「菫」

 

いや。猿轡なんて問題じゃない。

一番は楡くんだ。

彼は私の体をギュッと抱きしめて名前を連呼している。すごく苦しい。

 

「俺は菫が好きだ。凄く凄く。だから嫌いって言われたならもう、」

 

非常にまずい。このままだと標本にされる。

だがさっきから唸っても胸を叩いても何しても聞いてもらえない。

むしろ私が何か言おうとすると首を振って私を抱き締め押さえ込んでしまう。

 

「どこにも行くな。無理なんだ。菫がいないと生きていけない。

逃げないでくれ。頼む。ここにいてくれないならお前に近づく男を全員」

 

なんとかしないと……私は必死で足を伸ばして自分のストレートタイプによく似合うトートバックを蹴った。中身がどさどさと溢れる。

目的のものも溢れたようだ。

楡くんの肩を叩きながら足でそれを示す。

 

「どうした? いつも通りの綺麗な足だけど」

 

そっちじゃない。

私が足でバンバンとそれを叩くとやっと彼は気が付いた。

「ニーナと小鳥の恋」という少女漫画だ。

 

「これがどうかした?」

 

足でそれを引いて彼の目を見る。それで通じたのか、楡くんは漫画をパラパラとめくり始めた。

 

「こういうのが好きなのか?

前にナナとカオル読んでたからてっきりSMが好きなのかと」

 

それは私の趣味ではない。ある子羊かつ女王様の趣味だ。

 

「……これが?」

 

私は身を乗り出してあるコマを見せる。

それは主人公の少女がわざと「嫌い」と言って意中の相手の気持ちを推し量ろうとする場面だ。

正直に言おう。私は楡くんにこの男の子のように動揺して欲しかっただけだ。浅はかなのは分かっている。

決して拘束されたかったわけじゃない。

私のやりたかったことがやっと楡くんに伝わったらしく彼は漫画をしげしげと眺めて「ああ……」と呟いた。

 

「もしかして……これをやってたってことか?」

 

私が何度も頷くと楡くんはホッとしたように顔を綻ばせたあと、ハッとして青白い顔で猿轡を外した。

​なんども大きく息を吸い、吐く。息がしやすい。

 

「ごめん。別れ話かと思った」 

 

「ううん。私もついうっかり楡くんが危険人物だって忘れてた……。ごめん。

この猿轡と手錠はなに?」

 

「菫がそういうの好きならと思って用意しておいた。

ただどっちがやりたいのか分からなくて一通り買っておい」

 

「待って、私その、そういうのは、好きではない」

 

「菫がやりたいなら俺はどっちでも……」

 

 「待っ、ちがうよ!」

 

「そう?」

 

楡くんが私の手錠を外す。

やっと自由になった。私は彼の体に抱き着いた。

 

「ごめんね。嫌なこと言った」

 

「菫……。悪かった。痛むか?」

 

「痛くないよ。大丈夫」

 

「ごめん。ごめん」

 

「怒ってないから。ね?」

 

赤松さんが帰ってくるまでの間私たちは抱きしめ合っていた。

ちなみに彼女は帰ってくるなり「荷物届いてたけど中身首輪だったから捨てておいた」と言って楡くんをダンベルで殴っていた。

 

……楡くんは、私の恋人で、ちょっと、いやかなり危ない。

それは忘れないようにしようと決意した金曜の放課後だった。

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